経歴も、スキルも、メンタリティも。「ベンチャーっぽくない」僕が、それでもアトラエと言う理由
はじめに
こんにちは。アトラエ23卒内定者の長谷川です。
今は東京大学大学院の農学部にいて、キャンパスの隅っこでのんびりキノコの研究をしています。小中高と野球を続けてきましたが大学ではアメフトサークルに入り、今でも週1回程度顔を出しています。アルバイトは塾講師です。大学に入学して以来、地元の小さな塾で小学生から高校生まで幅広い年代の生徒たちに勉強を教えています。
以上。自己紹介のネタが尽きました。
新卒からベンチャーに飛び込む学生と言ったら、体育会でスポーツに打ち込んできたり、起業や長期インターンで学生のうちからビジネスの世界を経験していたり、何かしらありそうなものですが、僕にはそういった経歴はありません。
人柄もステレオタイプな「新卒ベンチャー学生」のイメージとはかけ離れている気がします。
四千頭身後藤というお笑い芸人に似てると言われがち、というのがもしかすると1番伝わりやすいかもしれません。とっとこハム太郎のねてるくんや、なごみ地蔵に似ていると言われたこともあります。
自信、行動力、カリスマ性。どれも僕からはおよそ縁遠い言葉です。
そんなわけでちょっとばかり背伸びしたくらいでは、高校を卒業するなりアメフトを極めに海を渡ったり、貧困問題の解決を志して世界一周したりという、同期たちのあまりにかっこいい経歴とは肩を並べられなさそうだったので、それは断念しました。
代わりにこのnoteは、「ベンチャーっぽくない」僕が、どうしてアトラエに行き着いたのか、その顛末をお話しします。特に劇的な展開もないのに、6000字越えとやたらと長くなってしまったのですが、お付き合いいただければ幸いです。
「行けもしない旅行の計画を立てて笑う」のか?
さて、ハヌマーンというバンドの「トラベルプランナー」という曲の中に、こんな歌詞が出てきます。
どうですか、この歌詞。遡ること1年前、大学院への進学を機にちらほらと就活のことを考え始めていた僕には、これがぶっ刺さりました。
大学は言わずと知れた名門。高校も地元ではまあそれなりに、という進学校だったので、先に就活を迎えた同級生や先輩の多くは、世間知らずな僕でも聞いたことのあるような有名大手企業へと就職していきました。また大学院まで来ると、専門分野を生かした研究職へと就職する学生も多いです。農学部だと製薬とか、食品とか。
長いこと、そういった就職の話というのは僕にとってあまり実感のないもので、○○が商社に行っただとか、△△はコンサルだと噂話を聞いても、ただ純粋にみんなすごいなぁと思うばかりでした。しかしいざ就活というものを目の前にして、今さらと言えばあまりに今さらながら、自分も彼らと同じレールの上にいることに気づきました。
自己紹介のとおり僕はそう尖った人間ではないので、他人の敷いたレールには絶対乗らないぜ!みたいなロックな思想の持ち主ではありません。
でも、高校や大学の進学先、大学院での研究テーマ、サークルやアルバイト。これまでの僕の人生の選択は全て、その時々で自分がやりたいと思ったことをしてきただけです。これに自分の人生を賭ける、なんて強い覚悟の重大な決断をしたつもりはない。それなのに、いつの間にかレールの上を走っているということに気づいて驚き、焦りました。
その焦りの感覚は、電車を乗り間違えたときと似ていた気がします。発車寸前の電車に飛び乗り、これで待ち合わせに間に合うとほっと一息ついて、ふと顔を上げたら車内電光掲示板に見慣れない駅名が表示されている。やばい。さーっと一瞬で頭が冷えて、とてつもない速度で脳が回転し始める、あの瞬間。
そんな時に冒頭の歌詞に出会い、僕はまんまと影響されたってわけです。
行けもしない、なんてはずはないんですよ。
がんばって予定を調整すれば行けるかもしれないし、極端な話、仕事をやめたら旅行できるんです。でもしない。するつもりがない。
あんなこといいな、できたらいいな、と描く夢がもはや理想ではなく、一瞬現実から逃れるためだけの幻想になってしまっている。貯金がいくらで、一度やめたら再就職にどれだけの時間がかかって、だから旅行には行けない、とかじゃなくて。特に理由もなく、ただ漠然と、なんとなく、でも頑なに。理想とかけ離れた現状を維持しようとしてるんです。
僕もこのままこのレールの上を流されていったら、それと一緒じゃないか?
このレールは無意識のうちに乗ってしまっていただけなんだから、もう1回ちゃんと考え直すのが筋でしょ?僕は責任感や承認欲求の強い性格で、どんな仕事でもきっと頑張れる。でもだからこそ、学歴とか専門分野とかそういうことじゃなくて、本当にやりたいと思える仕事に就くべきだ。
本当にやりたい仕事に就けるまで、何年でもかけてやる。
毎日説明会生活と、アトラエとの出会い
そんな風に息巻いたは良いものの、僕の知っている仕事の種類といえば、パン屋さん!警察官!と言っていた小学生の頃から、さほど変わっていません。なので、まずは世の中にどんな会社、どんな仕事があるのかを知るところから始めようと思いました。
主な情報源は、YouTubeに残された大量のオンライン会社説明会のアーカイブ。毎日研究室と家との往復2時間半、片っ端から見漁りました。偶然の出会いを期待して、研究室に届く雑誌やテレビのドキュメンタリー番組もチェックしました。できるだけバイアスなく網羅的に知りたかったこともあり、就活サイトは規模によっては掲載されている企業すべてに目を通したこともあります。
調べてみると、こんな会社、こんな仕事があるのかと発見が楽しく、この生活も最初のうちは順調でした。
僕は考えごとをスマホのメモに書き留めるようにしているのですが、そのメモにも前向きな気持ちが綴られています。
かわいい。希望で胸がはち切れそう。ディズニープリンセスばり。
ただそれも1ヶ月、2ヶ月経つと様子がおかしくなってきます。
大荒れです。興味とは関係なく目に付く端から手当たり次第に企業を見ていたこともありますが、これという会社になかなか出会えず嫌気が差し始めていました。
そんなとき、アトラエに出会います。さっきのメモのちょうど2日後です。
他人様にお見せするのも申し訳ないくらいに、テンションだけで書いたひどい文章ですが、当時の自分の興奮は伝わってきます。これは一部だけの抜粋ですが、数えてみたら1000字以上に渡ってアトラエの良さを語っていました。
このハマりようを今になって客観的に見返せば、「運命の会社を見つけられたんだ、よかったね」と自分でも思います。もう他の会社など目もくれず、すぐさま選考に応募してもおかしくない。しかし当時の僕はまだまだ世間知らず。そうではありませんでした。
これぐらいハマる会社は他にも幾つも見つけられる。むしろあんなにたくさん見てきて出会わなかった今までがおかしい、と当たり前のように思っていたので、こういう会社もちゃんと存在するという事実にただ安心しただけで、2匹目のドジョウを探しにまた大量の説明会動画を見始めるのでした。
こんな仕事がしたい
大量の仕事を「おもしろそう」「おもしろくなさそう」と仕分けていると、自分が仕事に求めている要件が少しずつ見えてきます。
①自分の仕事と、その成果に実感が届く。
僕は「プロフェッショナル 仕事の流儀」のようなドキュメンタリーが好きです。そこで特集される人々のように、自分の仕事とその結果の及ぶ範囲に対して強い責任感と愛着を持って生きたいです。そしてそのために必要なのが実感だと、僕は思っています。最終的な成果から遠ざかったり、全体像が見えにくくなったりすると、責任感や愛着は薄れる気がします。
②人の役に立つ仕事
これは就活で一悶着あるやつですね。人の役に立ってない仕事なんてなくない?そのとおりです。だから、どちらかというと僕が求めているのは、誰かの役に立つために他の誰かを食い物にはしたくない、という話。病気のお母さんを助けるためでも、怪しい壺を売りたくはないってことです。
③夢のある仕事
世の中には0から1を生み出す仕事だけじゃありません。100を101にする仕事や、100を100のまま維持する仕事もたくさんあります。でもそこはやっぱり、まがいなりにも理系アカデミアの人間なのか、これまでにないものを世に送り出す仕事に惹かれます。なんでと聞かれても、その方が夢があるからとしか。
④言うべきことが言える信頼関係
根幹にきちんと哲学があり、その実現に対して真摯に向き合う会社。ならば僕もその一員として、言うべきことは言い、言われるべきことは言われる必要があります。そうでありたいとも思います。でも僕は、相手が自分のことをどう思っているのか、ついつい気にしてしまいがちな性格です。だから、お互いがチームの理想のために動いていて、言動に他意がないと信頼し合える関係性はとても重要です。
「アトラエやないかい」「ほなアトラエと違うかぁ」
こんな具合に、僕が仕事に求めていた要件はどれも抽象的、感覚的なもののようでした。そのため直接、会社の規模や歴史といった具体的な要素でフィルターをかけているつもりはなかったのですが、結果として残ったのは、多くが数十〜数百人程度の比較的小規模な企業でした。
老舗大企業やメガベンチャーのような規模の大きな会社は、採用活動も盛んなので目に止まりやすく、僕が見てきた中でも、そうした規模の大きな会社が数としては大半を占めています。それでも気を惹かれたのが小規模な会社ばかりというのは、よほど自分はそっちの方が向いているのだろうかと思いつつ、その中から幾つかの企業に面談や選考をお願いして、少し話をしてみることにしました。
実際に話してみると、波長は予想していた以上に合いました。それまで「ベンチャー」と「スタートアップ」という言葉の違いさえ心得ていなかった僕は、殺伐としていたり、やたら体育会系だったりという、ステレオタイプなイメージが全てではないことを知りました。
なんだ、意外と怖くないじゃん。これなら楽しく働いていけそうな気がする。
そこで思い出されるのはアトラエです。
規模や歴史は同じくらい。それに加えてあの時、説明会であれだけ心を動かされたアトラエ。ちょっと気になって話してみた企業でこれだけ自分と波長が合う感じがするなら、アトラエはいったいどうなっちゃうんだと胸を高鳴らせつつ、僕は意気揚々とアトラエの選考に応募しました。
ところがどっこい、世の中そう甘くはありません。ことはそれほど順調に運ばず、期待は半分裏切られる結果になりました。
面接は主に僕の価値観について掘り下げていくような内容で、ディスカッションのような形で進んだこともあり、面接官であるアトラエ社員の考えや価値観についても、たびたび聞くことになります。そこで聞く話はどれもとても共感できるもので、やはりあのとき感じたとおり、僕とアトラエは同じ方向を向いていると安心できました。
しかし同時に不安もまた募っていくのです。
アトラエの社員はみんな、常に僕の質問に対して立て板に水。瞬時にはっきり明確な答えを返してきます。散々言い淀みまくりながら、どうにかこうにか言葉を絞り出す僕とは対照的です。
それは頭の回転の速さなのか、確固たる信念と自信に基づいて迷いなんか無いからなのか。どっちにしろ、仮に内定を貰えたとして僕はこの人達と一緒に仕事ができるのか。話せば話すほど心配になってきました。
時間をかけて考えれば考えるほど不安は膨らむもので、アトラエで自分がどうなっていくのか未来が全く想像できないだとか、この一体感の中に僕は入っていけるのかとか、別の不安も次々湧いてきます。
そもそも大きな会社がピンと来なかったからってノコノコやって来ちゃったけど、よく考えたら僕にベンチャーっぽい要素なくない? もともと合ってなかったんじゃない?
それでも
でも、僕はこうしてアトラエの内定者となっています。
なぜアトラエに入ることにしたのか。
それは結局のところ、直感です。
ここまで長い話に付き合ってきて、そんな結論かい!とお怒りの皆様、申し訳ありません。でも、それこそが本質なのだと僕は思っています。
ずっと疑問に思っていました。
就活をしていると、様々な会社選びの基準を耳にします。
「研修の充実してる会社がいいですよ」
「福利厚生はチェックしましたか」
「転勤の有無も確認しましょう」
そんなやり方で、この無限にある会社の中から1番を決められるのでしょうか。
明日、地球が滅亡する。その最後の晩餐を決めるという時に、期間限定だから〜とか、○○産△△の濃厚な味わいが〜なんて決め方をする人はいないでしょう。
そんな目に見える具体的なラベルやステータスで評価したら、きっと世の中には似たようなものが幾らでもあって、仮にそれらに序列を付けたとしてもグラデーションの中の1位にしかなりません。ぶっちぎり唯一無二の1番は決められない。
だからどれだけ具体から離れて、直感した抽象的な魅力に重きを置けるかが、就活の理想形なんじゃないかと僕は考えています。
僕にとってはやっぱりポジティブにもネガティブにも、あの日、初めてアトラエに出会ったときの興奮を上書きできる根拠はないんです。あれ以上にアトラエに行く理由もないけれど、でもちょっとばかり不安があるくらいじゃ塗り潰せない。
たくさん会社を見てきて、今ならわかります。こんなにも熱い気持ちになれる会社に出会えたのは、とてつもない幸運です。みすみすこのチャンスを逃せるわけがない。多少の不安は飲み込んででも、それでも。
そう思えたから、僕はアトラエに入りました。
おわりに
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
こうやって顔の見えない不特定多数に対して、自分の非常に個人的な考えを吐露するというのは、僕にとって初めての経験で、このnoteが誰にどう読まれるのか見当もつきません。だから僕の文章が誰かの人生を変えるなんてことは望むべくもなく、ただただ1人でも多くの就活生がこれと信じられる仕事に出会い、勇気を持ってそこに飛び込めることだけを祈っています。
でも実際のところ、もしこのnoteがアトラエに興味を持つきっかけの1つになって、後輩が入ってきてくれたりしたら。それはもう嬉しくて仕方がないだろうな。
アトラエ、ちょっと気になるぞと思われた方がいらっしゃれば、まずは気軽にご連絡ください。
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