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「話を聞くために話を聞かない」

カウンセリングにおける個々の話には実は大した意味はなくて(ないわけではないけど)、その扱われ方、語られ方にこそ意味があるのではないかと私は考えています。話はり返し、繰り返し語られていくうちに、手垢にまみれ、棘の取れた物語になることで、自己対象化される。カウンセリ具における話というのは、そういうものではないかと思うのです。

これは決して話を聞いていないということではないし、はなしをききながしていているということではありません。ただ個々のエピソードに拘泥すると、聞き落としてしまうなにかがあると思うときはあります。実際、精神分析家のラカンも「話を聞くために話を聞かない」みたいなことを書いていたりもしますしね。

これはつまり、カウンセリングにおける個々のエピソード自体よりも、それがどのように語られ、解釈されるかが重要ということです。人々は物語を通じて自己理解を深め、自己の認識を形成します。エピソードそのものよりも、それがどのように語られ、どのように解釈されるか、どのように繰り返されるかによって、人々の自己認識や他者への理解が形成されるのです。

ラカンが言う「話を聞くために話を聞かない」は、具体的なエピソードにとらわれず、その背後にある潜在的な意味や無意識的な欲求に耳を傾けるという意味かもしれません。つまり、カウンセラーがクライエントのエピソードに深くとらわれすぎず、その背後にある無意識の構造や態度、欲求を読み取ることが重要という考え方です。

それは、話すことが単なる事実を伝えるだけでなく、自己を理解し、人生を解釈し、意味を見つけるための方法であるという認識を反映していると思います。

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