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兵庫県立美術館で開催されているゴッホ展を観に行ってきました

少し前の話ですが、兵庫県立美術館で開催されているゴッホ展を観に行ってきました。

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https://go-go-gogh.jp

昨年の10月から今年の1月にかけて、東京の上野の森美術館で開催されていたものが、関西にも巡回されてきました。上記URLがゴーゴーゴッホというのは気付いたときには少しめまいがしましたが、ゴッホに限らず有名人絡みのURLは取得が難しいでしょうから、今後も変わったURLでの特別展はあるでしょう。

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それはともかく、今回の鑑賞に備えて、原田マハさんのこちらの本も直前に読みました。

ゴッホのあしあと 日本に憧れ続けた画家の生涯 原田マハ / 著
https://www.gentosha.co.jp/book/b11692.html

ゴッホ展に備えて買ったというよりも、AmazonのKindleストアで幻冬舎新書の安売りセールがあったので読んでみたのですが、展覧会と合わせて読むと理解が深まった感じがしていいですね。

この本の中では、ゴッホとその弟テオとの間では膨大な数の手紙のやり取りがあったとあり、たびたび引用されていましたが、ゴッホ展でも作品と作品の間に手紙の一節が掲示されていましたので、その点も興味深いゴッホ展でした。

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サンレミの修道院に心の病として放り込まれた後の方が躍動感や生命力を感じる画風になっているのも不思議なところです。そもそも本当にそのような病を抱えていたのか、19世紀末の精神医学からは妥当だったとしても、現代医学だとまた違った診断になったかも知れません。

そういえば、私の好きなG・K・チェスタトンの「詩人と狂人たち」にも最後の方に20世紀初めの精神病院が舞台となる短編がありました。

詩人と狂人たち 【新訳版】 G・K・チェスタトン 南條竹則 訳
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488110123

一見、狂っているように見える人についての描写はチェスタトン独特の鋭さと面白さがあり、チェスタトンを好きな部分でもありますが、
「人が狂っている」
と判断することの難しさを、ゴッホ展とチェスタトンから思い起こしてしまいました。

19世紀後半、絵画はそれまで担っていた情報伝達の役目を写真に奪われました。それまでの絵画が情報伝達のためだけに存在していたわけではありませんが、肖像画や風景画がその人の顔や遠い場所の情報を伝える目的もあったことは確かです。しかしその点では写真に確実に劣ります。デフォルメして分かりやすく伝えたいことを伝えることは絵画の特性でもありますが、精密さや正確さから離れて絵画を次世代の絵画たらしめる印象派の登場は、偶然と言うよりは歴史的必然性があったようにも思えます。

筆の跡をはっきりと残す技法も、絵の具をぼってりとキャンパス上に盛るかのように描くことで立体的に感じさせますから、ある意味、二次元に過ぎない写真に対抗する三次元的な企みだったのかなあ、といったこともゴッホ展を観ながら考えました。

しかし、最近の新型肺炎の流行を考えると、密閉空間に近い美術館・博物館での展覧会もちょっと怖いですね。早く収束してほしいものです。次は、神戸市立博物館に巡回されてくる、

コートールド美術館展 魅惑の印象派
https://courtauld.jp

こちらを観に行くつもりですが、3月中はまだ無理かなあ。6月21日までなので、さすがにその頃には収まっていてほしいのですが。

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