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「教育」という意味

知人との会話やあるいは本を読んでいる中で、「教育」という言葉の意味や概念が結構差があるな、という気がします。

「教育によって国家が豊かになる」、という場合の「教育」は、将来の労働者になるための計算と読み書きが出来る人間を作るための課程を表します。その一方で、「豊かになった国家が国民に与える教育」は、道徳やイデオロギーなど精神的な指導、教導を表します。

もっと細かくいうと、発言する場面だけでなく発言する人によっても異なります。

教育関係者や教育に情熱を燃やしているような人にとっての「教育」という概念は、単なる「読み書きそろばん」に代表されるような基本的なリテラシーや計算能力だけではなく、道徳心や熟考する能力や疑問を解決に導く能力を教え育てることを意味しています。学校の教員にしろ塾講師にしろ、生徒たちにあなたが教えているのは何ですかと尋ねた場合、単に与えられる問題を解くだけではなく形而上的な精神論もおそらく付け加えて回答してくるでしょう。

一方、経済学者が産業発展の段階における教育の必要性や重要性を説く場合、そこで使われる「教育」の内容は、労働者として生産品を生み出すために、マニュアルを理解して計算してアウトプットする能力、つまりは「読み書きそろばん」を国民に教えるということのはずです。学校における授業で道徳や倫理、あるいは漢文の読み下し方を教えているかどうかは経済学的には意味がないでしょう。

また、政治学者や社会学者にしてみれば、国家が国民に与える教育とはその国家・政府を維持するために必要なイデオロギーや理念、国家の正統性を主張するために必要な歴史を教え込むことになります。学校で重力加速度や微積分を教えるのは国家利益的には有効ですがイデオロギー教育よりは優先度が劣ることになります。

あるいは、教育熱心な親が我が子に身につけてほしい教育というのは、高学歴を得ることができ、その結果として大企業・高級官僚・医師・弁護士などの比較的に社会的地位が高く収入面でも有利な職業に就くことを実現するために必要なものであって、実際に学ぶ内容としては谷川俊太郎の詩も元素記号表も大差がないはずです。

その人が語る「教育」という言葉の意味は、その人が語る文脈によって大きく異なります。前述の「教育」が表すパターンのどれが正しくてどれが間違いというつもりはありませんが、一般的に教育に関して論じられる場合は最初に挙げた、教育関係者が主張するような内容でしょう。

別に「教育」という言葉に限ったことではないのだと思いますが、こんな風に言葉が出てくる場面や人によって意味が異なる場合には気をつけて話さないと食い違いが発生し、お互いが理解出来なくなってしまいます。

とりとめもない話ですが、そんなことを思いました。

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