現代のグレートゲームの失敗とグランドツアーの現在
近代のイギリスでは、グランドツアーと呼ばれる欧州各地への旅行が流行していました。旅行というと軽く聞こえますが、上流階級のものに限られて数カ月以上に渡り、古代の遺跡などを訪れていたので短期留学的なものとも言えます。
ちょうどイギリスが世界中に植民地を作り、産業革命によってさらなる経済発展を成し遂げていく時期と重なります。経済力を身に付けた国民が、世界旅行に出かけるのです。
「衣食足りて礼節を知る」という言葉が示す通り、生活に余裕が出てからでないと国外への旅行なんて出来ません。急速に経済発展した中国の国民が世界中を旅行するというのは、高度経済成長期以降の日本人と全く同じですね。
今の日本人からすると一緒にされたくないでしょうけれど、かつての日本人観光客も旅先では嫌がられたり馬鹿にされたりしていました。みんな揃って首からカメラをぶら下げ、団体で行動して、大声で自国語をしゃべり、どこでも撮影する、ついでにみんな眼鏡をかけている、といったステレオタイプな印象を持たれたものでした。カメラをスマホに変更すれば、現在の中国人観光客とほぼ変わらぬ姿でしょう。グランドツアー中のイギリス人が、イタリアやフランスでどう見られていたか知りませんが、急に国際的常識が身に付くはずもないのではないかと思います。
旅行によってその人や周辺に国際感覚が身に付けられるのであれば、いずれは中国も変わっていく、という話になりますが、昨今の強化されつつある習近平体制が変わらぬ限りはなかなか難しそうではあります。中国政府は欧米のルールを押し付けるなと反発していますが、中国のルールも他国に押し付けると当然反発を招くのは、南シナ海における九段線の押し付けが証明しています。
経済力を身につけた日本が経済における覇権をかけてアメリカに挑んで敗れたのが1980年代、そして今の中国は経済と軍事力での覇権をかけてアメリカに挑んでいます。アメリカvs反米勢力(中国、ロシア、イランなど)の構図が新たに生まれたアフガニスタンでは、アメリカが撤退した後に反米勢力間での綱引きになるでしょう。その結末は、どこも痛み分けになるのではないかと、アフガニスタン支配の難しさから容易に想像できます。
イギリス人のグランドツアーが盛んだった頃、中央アジアから今のアフガニスタン近辺を巡り、イギリスとロシアが激しく争っていました。「グレートゲーム」と言われたその争いは、ロシアは南下してインド洋に出るため、イギリスは既に権益を確保しているインド・中東へのロシアの侵略を排除するためのものでしたが、アフガニスタンに関してはどちらも支配することは出来ませんでした。
それ以前には、インドのムガル帝国、トルコのオスマン帝国、イランのサファビー朝によって一時的に占領されても、いずれは支配を逃れてきた歴史もあります。アフガニスタン地域の植民地化は労多くして利少なしの典型でしょう。
その抵抗の中心を占め、今でもアフガニスタンにおける多数派の部族であるパシュトゥン人の特徴を、過去の名著から引き出してみます。
河出文庫から出版されている「世界の歴史<19>インドと中近東」には、こうありました。
「かれらは自由と独立を求め、政府の圧迫や外敵の侵略に激しく抵抗する。政府を軽んじ、部族の自治を重んずる。
(中略)
危険に迫られた人が庇護を求めて自分の家へ来れば、それがたとい自分の敵であろうと、追い出したり危害を加えたりせず、自分の命を賭けてでも保護しなければならないことになっている。」
まさにソ連のアフガン侵攻失敗、アルカイダのテロリストをかばったタリバン、そしてアメリカ軍のアフガン撤退を予言しているかのような内容です。
これが現在書かれたばかりの書物なら驚くことでもないかも知れませんが、大元の初版は1969年、まだアフガニスタンが平和だった頃の話です。ソ連のアフガン侵攻より10年も前の記述です。
ちなみに、この河出書房による「世界の歴史」シリーズは1990年に文庫化されて出版されましたが、現在は紙の本としては品切れになっているようです。新たな研究による発見や理論が反映されていないので、なかなか再版には至らないでしょうけれど、AmazonのKindle版では普通に売られています。印刷物をOCRにしたものなのか時々誤字があるのですが、そのデメリットを遥かに上回る不朽の名作感がある通史シリーズです。
ともかく、グランドツアーに類するもので国際感覚を身に付ける国民がいる一方で、無理矢理他国を占領・支配しようとする政府がいるのは、近代以降の大いなる矛盾の一つの代表格と言えるでしょう。