職業選択の自由と教育
親が子どもの可能性を広げてあげるのは良いことだと思いますが、学歴のため受験勉強のためにあれこれ手を加えるのはどうかと思います。それで得た学歴を生かす仕事に縛り付けてしまいかねません。学歴は選択肢を増やすため程度に思っておいた方がいいです。その先はもう親の出る幕ではないでしょう。
義務教育にしろ高等教育にしろ、教育を受けることによって将来の可能性を広げることが出来ます。というかそれが受ける側にとっての一番の目的です。見方を変えると、教育を受けないということは将来就く仕事が限られるという逆の理屈も成り立ちます。
江戸時代を思い浮かべれば分かりやすいでしょうか。藩校や寺子屋はあっても一律に決まった基準で実施される教育機関が存在しなかった時代においては、親の仕事を子がそのまま受け継ぐのが当然でした。その場合、仕事を教えるのはまず親です。親が自分の仕事を子どもに教えるのが普通でした(もちろん全員が親の仕事をそのまま出来るわけではありませんが)。
そして明治時代も対比的です。明治政府の成立から殖産興業が始まり、そこでは新たな仕事がたくさん生まれました。そこでは当然ながら世襲はありません。鉄道、新聞などは特徴的ですが、新たな職業では新たな労働者が必要です。
そもそも国民への教育を義務化した近代国家の目的は、ある一定事情の読み書き計算を身につけた労働者を育てて、近代化してから生まれた産業に労働力を提供するためです。
親が子どもに教育を受けさせる土壌が無いと、強制させたとしても義務教育がなかなか普及しません。武士にしろ農民にしろ、親の仕事をそのまま子どもに受け継がせるのであれば、教育を子どもに受けさせる必然性が出てきません。
教育が無ければ親の仕事を継ぐか、非熟練労働者となって不安定な職業に就くことになります。その一方、教育によって職業の選択肢が増えることになります。
憲法で規定されている「職業選択の自由」は、「教育を受けさせる義務」、「教育を受ける権利」と密接な関係が存在します。
また、親の仕事を継ぐ方が稀になった今の時代では、仕事の内容を子どものうちに知ることも少なくなりました。
現代では就職してみないと仕事の中身・現実を知ることがないですので、だからこそ、うつ病やブラック企業、過酷な残業などの問題が出てくるわけです。その解決策の一つとしてインターンシップとかありますが、実際に就職してからでしか分からないこともあるでしょう。
かつての、労働基準法も児童福祉法も関係ない時代では、子どもが子どもとして働かなくても良い存在でいられるのは短い期間だけです。子守や家事手伝いなどだけではなく、親の仕事を手伝うのも当たり前のことでした。その中で仕事を覚えていく面もあります。
どっちにしたって良い面・悪い面はありますが、基本的には昔よりは今の方が多くの人にとっては良い環境になっています。その中でも問題があるにせよ、今後も少しずつ解決に向かっていくでしょう。そういったマクロレベルの話だけではなく、個人レベルでも、十分に注意して仕事を選び、そのために教育を受け良く学び、どうしようもない場合は自分を大切にすることを優先すれば、大きな問題にはならないのではないでしょうか。