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「もはや震災後ではない」「もはやコロナ後ではない」と言う日が来る未来

今回の東京オリンピックは「復興五輪」とも名付けられています。復興とは言うまでもなく、2011年に発生した東日本大震災による壊滅的な被害からの復興を意味します。

1923年に起きた関東大震災の後には当時の東京市長、後藤新平が「帝都復旧」ではなく「帝都復興」を掲げました。元通りではなく、それ以上の街を新しく作るのだという意気を持っていたわけですが、今の日本にそれがあるかどうかはともかく、震災後に東京オリンピックを開催しようとした点では同じです。

1923年関東大震災→1940年東京オリンピック(中止)
2011年東日本大震災→2021年東京オリンピック(予定)

となりますが、今回の東京オリンピックもコロナ禍で1年延期した上に、中止を求める人もいて、結局ほぼ無観客での実施となりました。単なる偶然の符合ではありますし、1940年のオリンピックも復興のためでもなかったので、今回のオリンピックと無理矢理重ねなくても良いかもしれません。ただ、スポーツを政治問題や社会問題の解決のツールに使おうとする考えは、特に最近始まったわけでもないことは明らかです。

2011年の震災から10年経ちましたが、あっという間の10年だったのか、長く感じる10年だったのかは人それぞれでしょう。大阪に住まう私としては、もちろん大変な未曾有の災害であることは理解していますが、理性での認知であって感覚での認知ではありません。どちらかというと実際に大きな揺れを体験した1995年の阪神淡路大震災の方が、感覚的な記憶は強く残っています。

日本は自然災害の多い国であり、地震、台風、豪雨、噴火など、毎年大きな被害が起きています。東日本大震災を感覚的に認知して直接的な脅威と捉えた人は、東日本に住んでいた人でしょう。それ以外の地域では、2011年以前や以後に起きた、身近な災害の方が記憶に残ります。

現代は、趣味も経験も多様化・細分化しています。誰もが歌える流行歌も、誰もが見ている国民的テレビ番組も、誰もが読んだ小説なんて存在していません。厳密には昔だってなかったですが、世代も地域も超えて話題に出来るものはかつてはありました。

知識として話題には出来ても経験としては東日本大震災ですら、西日本の人にとっては感覚的には語れません。

そんな中、決して歓迎できるものではなく、無い方が良かったのは間違いないですが、新型コロナウイルスCOVID-19によるコロナ禍は、2020年〜2021年を生きていた人にとっては死ぬまで共通で語れる事象となってしまいました。

このコロナ禍以前で、日本だけではなくほとんど全ての世界中に共通する話題というのは、おそらくは第二次世界大戦・太平洋戦争以来でしょうか。

いずれこのコロナ禍が収束した後、10年後や20年後に初めて会った人との共通の話題として、
「新型コロナは大変でしたね。あの時あなたは大丈夫でしたか?」
という話が一般的になるのでしょうか?

1945年の終戦から11年経った、1956年の日本の経済白書において、
「もはや戦後ではない」
と書かれて流行語になりました。

2011年の11年後に
「もはや震災後ではない」
と言えるでしょうか?

2020年の11年後に
「もはやコロナ後ではない」
と言える状況になっているでしょうか?

そう言えるかどうかは、結局は人類の真摯な努力次第でしかないのですが、果たして出来るでしょうか?

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