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【風(おと)と官能 】第7回 4K版公開記念『さらば、わが愛 /覇王別姫』深堀り対談 ~良くも悪くも”男子の絆”~

「風(おと)と官能」シリーズ第7回は、1993年公開 陳 凱歌(チェン・カイコー)監督の映画『さらば、わが愛/覇王別姫』についての深堀り考察をお送りいたします。お話相手は、私の大学時代の友人である 28 (にわ)ノ鳥さんです。えー私たちは「哲学科出身・恋バナ好き」です。なので恋愛論・社会論・宗教論などを絡めながら、行けるところまで深堀りするだろうとは予想していましたが、想像以上にディープな対談となりました。記事にすると思ってしゃべっていませんでしたが、消すのも勿体ないくらいなのでこうして掲載することにしました。

対談を読んでいただく前に。この機会を通して痛感したのは、私がいかに程蝶衣という人をこの上なく可愛らしい姫君だと思っていたかということです。幼い頃はディズニープリンセスに憧れていました。しかし今、私の中では蝶衣が最高級の姫様です。(女の私が)抱きしめたくなるほど愛おしいプリンセス オブ プリンセス。これが気持ちに気づくってことか!

この記事は、考察に必要な相当量のネタバレ&最近騒がれているセンシティブな話題が多く含まれますので、閲覧の際はご注意ください。


越水玲衣(以下、玲) そういえば自分って北京ものが好きだったのかと、このスペースをやろうと思った時にようやく自覚した次第なのですが。しかも以前、北京で「覇王別姫」を見ていたこともすっかり忘れていたのだけどそれも思い出した。完全に、眠っていた想いを再燃させられました。
28にわ(以下、28) 京劇の「覇王別姫」?
 うん。もともと『ラストエンペラ―』が好きで、20代で初めて海外へ家族旅行しようってなった時「絶対北京!」って譲らなかった思い出が。
28 そうだったんだ。
 家族は「えー中国?」って感じだったけど、行ったら行ったで今度は母がハマった。
28 京劇に?
 いや中国近代史に。それこそ文化大革命とか。北京って天安門を入ると紫禁城があるんだけど、その裏手に景山公園っていう小さい山があるの。デートスポット的な。そこで北京の街が一望できる。で、ツアーの最初にガイドさんに連れて行ってもらって北京の街を見渡した時に、母に何か「入って来た」みたいで(笑)。
28 笑。
 そう。それで猛烈に調べ始めて私より詳しくなった。母とは時々「もう一回行ってみたいね」と話す時もあるけど、まあこのご時世だし。
28 最初に行った時、日中関係はそんな冷え込んでいない感じ?
 いや小泉首相がお盆に靖国参拝をしてしまった時ですごいブーイングだった頃。でもそんな中でとりあえず行ったんだけど内心ヒヤヒヤしてた。そのツアー日程の中に夜の京劇鑑賞があって覇王別姫の演目を見たのね。
28 いいねえ。
 写真探したら「あった、そうだった」

28 映画は1993年公開だよね。リアルで観た?
 観てない。今回は劇場で4K版公開したのね。
28 そう。私は今回それを観ました。
 今回が初見?
28 いや、93年の公開当時に映画雑誌『スクリーン』で、その年に読者と評論家が選んだ映画ベスト1か2に選ばれていたので気にはなっていたんだけど、地方では公開されるはずもなく。でもTSUTAYAがまだ生きてる時代だったのでその後レンタルで観ました。
 じゃあ一度は観てたのね。
28 そう。
 「映画ウオッチ」というサイトがあって今それを見ているんですが。せっかくなので、このあらすじに沿って都度コメントしていくという方法を取ろうと思うんだけど、どうでしょう?
28 いいね。
 では、物語は1925年から始まります。

1925年、中国・北京。当時まだ9歳だった少年・小豆子(マー・ミンウェイ)は娼婦をしている母(ジアン・ウェンリー)に連れられ、孤児や貧しい子供たちが預けられる京劇俳優養成所へとやってきました。小豆子は指が6本ある多指症であり、行ったんは入門を断られますが、母は小豆子の指を切断すると我が子を捨てるようにして置き去りにしていきました。

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「映画ウォッチ」より

 まずここまで・・・孤児かあ、「四季」を作曲したヴィヴァルディを思い出すよ。ヴィヴァルディも、ヴェネチアのピエタ修道院という孤児の女の子が暮らす生活所でヴァイオリン作品を作曲して弾かせていて。やっぱそういう子たちが集められて生きるための芸を磨くっていう場所があるのは、世界共通の文化としてあるのかな。
28 演劇とかショービジネスをやるって、家が商売をやっている人や田畑を耕すことを生業としている人は絶対にやらないから、そのスキマとして存在するんだよね。
 主人公の蝶衣、映画ではレスリー・チャンが演じてるんだけど、確かジョン・ローンが演じていたかもしれないという逸話もあって。ジョン・ローンって京劇出身の人なのよ。
28 そうだったんだね。
 そしてジョン・ローンも出生・・・誕生日が曖昧だったと。だから彼もこういう生い立ちの人かもしれないなと。では先に行きます。

小豆子は同じような境遇の子供たちと共に虐待にも等しい過酷な修行の日々を送ることになります。子供たちから娼婦の子と言われていじめられる小豆子を庇ってくれたのは子供たちのリーダー格であった小石頭(フェイ・ヤン)でした。やがて小豆子は小石頭に恋愛感情ともとれる想いを抱くようになっていきました。
ある時、過酷な日々に耐えかねた小豆子(イン・チー)は仲間の小癩子(リー・ダン)と共に養成所から脱走しました。折しもこの日は京劇の人気役者が北京に公演のため訪れており、小豆子は小癩子と共に芝居を観に行き、すっかり魅力されて再び役者を目指す気持ちが湧いてきました。しかし、養成所に戻った小豆子と小癩子を待ち受けていたのは、二人の脱走を許したとして師匠から激しい体罰を受ける小石頭らの姿でした。小豆子は自ら願い出て小石頭らの代わりに壮絶な体罰を受けますが、その一部始終を目の当たりにした小癩子は恐れをなして稽古場で首吊り自殺を遂げてしまいます。

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「映画ウォッチ」より

 折檻に怖れをなして首つり自殺した子。このシーンあったっけ。
28 あったよ。
 これ、ちょっとジャニーズ事務所の初期体験みたいに見えなくもない。ジャニーズに入るかどうかって時、だいたいコンサートに連れて行かれる。そんでコンサートが素晴らしくて入ることに決めた、って話をよく聞く。
28 ああ、そうね。
 ここに入ってそれなりに頑張れば、将来自分はあっちにいるはずだ、というビジョンを見せられる。毎日の稽古場にいるだけだと、どうしてもイメージしづらいけど、実際にステージを見れば自分たちの目標としている場所がどこなのかということがより明確になる。
28 あのスポットライトを浴びたい、あの場に立ちたい、みたいな。
 あと小豆子は京劇養成所で「娼婦の子」って言われて馬鹿にされるんだけど、他の子はそういう境遇じゃないのかな?
28 他の子はわかりやすく「親に売られて」とか「クチ減らし」かな。大抵の子は「いつか迎え来るよ」って言われながらそのまま置き去りにされるみたいな子が多いらしい。
 さらに娼婦の母親が直々に連れて来た、というのも騒然となったんでしょうね。
28 小豆子は母親と遊郭で育って、でも男の子だからそれ以上育ったらもう置いとけないっていうんで連れて来られるんだよね。まあ女の子だったら母と同じ道を行くんだろうけど。
 でも結局「売りもの系」なんだ。
28 結局はそう。
 男の子だったから京劇という芸事の道を用意されていたけど、女なら「身ひとつで稼げ」と。
28 どっちにしても、卑しい身分だということだろうね。

時は流れ、女形として徹底的に鍛え上げられた小豆子は“”程蝶衣”(レスリー・チャン)、小石頭は“段小楼”(チャン・フォンイー)という芸名を名乗り、舞台『覇王別姫』 で共演し一躍大好評を博しました。しかし終演後、蝶衣は芝居好きな金持ちの老人に慰み者とされてしまいます。その帰り道、蝶衣は捨て子の小四(リー・チュン)を拾って養成所へと連れ帰りました。
やがて蝶衣と小楼の演じる『覇王別姫』は北京の人々から深く愛され、二人は名実共に人気役者への道を歩み始めました。そんな時、小楼は遊郭で見初めた女郎の菊仙(コン・リー)と婚約しますが、小楼への秘めた想いに加えて菊仙が自分を捨てた母と同じ娼婦出身であることから蝶衣は激しい嫉妬心を抱き、また蝶衣の小楼への想いに気付いていた菊仙も彼に敵意を抱くようになりました。蝶衣は自分と同じく同性愛者である京劇界の重鎮・袁四爺(グォ・ヨウ)を頼り、小楼との関係は悪化していきました。

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「映画ウォッチ」より

 ここは憶えてる。この人気絶頂になった時の輝き。蝶衣の煌びやかさがもう凄い。画面いっぱいの赤と禁で目がチカチカするくらい。
28 原色が華やかだったね。
 金の紙吹雪…花びらみたいのが舞台にバーっと舞っている中でカーテンコールしてて劇場は超満員の熱気。ここは最高に蝶衣が綺麗な場面。でもそれに目を奪われれば奪われるほど、その後のストーリーが悲惨だけど。
28 この舞台と現実の対比が凄い。
 そして小楼は遊郭で嫁さんを見初めた、と。
28 そう遊郭でね。でも「映画ウオッチ」ではこういうあらすじにしてあるけど、映画の中の蝶衣は母と同じ人(娼婦)と小楼が結婚すること自体には、さほどこだわっているようには見えない。
 確かにセリフでも触れてなかった。ここは深読みしたあらすじとして「映画ウオッチ」のライターさんの解釈が入っているんだろうね。それよりここは普通に恋愛がらみのジェラシーと考えた方が…
28 そうだよ、これは完全に三角関係。
 小楼は蝶衣の気持ちに気づいているのかな。これ、告白したんだっけ?
28 そういう感じでは言ってない。小楼の方は告白とは思っていないよ。
 確か蝶衣は小楼に一度だけ「これからもずっと一緒に舞台をやりたい!」ということを訴えていたよね。
28 そんな感じ。
 でもそれって・・・小楼って鈍感くんなのかな?「お前は何をそんなにムキになって・・・」みたいな反応だったものね。
28 小楼って確かにいろいろな人に対して面倒見はいいんだけど、そんなに情が深い人ってわけでもないと思うんだ。
 ああ、だから小楼が菊仙を「見初めた」という(あらすじの)表現もちょっと違くて、菊仙を凄い好きだったからというんじゃないと思うね。
28 客に絡まれていた菊仙のピンチを瞬発的に助けたって感じなんだよね。で、菊仙はそれに乗って押しかけ女房になると。
 菊仙は菊仙でこの結婚で「うまいこと足を洗えた」とすら思っている。
28 そこは女性のしたたかさがあるよね。
 そこいくと蝶衣は男で、小楼から見れば同性だし、私生活ではどうしてみようもないところなのが辛いね。しかも舞台では夫婦で一緒になっているじゃないですか。でもたとえ虚構だとしても夫婦でいられる時間はあるわけ。でも逆に小楼の気持ちに寄り添って考えてみれば「舞台ではちゃんと夫婦やってんだから、もういいじゃん」と思うだろうね。「芸の道に厳しいキミの相手役としてやれて俺は幸せだよ。これからも舞台でよろしく」と。
28 舞台では息の合う相棒だけど、その流れを舞台を降りて私生活まで持ちこむのは・・・という彼なりの区切りはあるよね。
 いやあ、私生活まで持ちこまないでくれという明確な気持ちすらも、なくない?
28 そう?そこは・・・どうなんだろう。
 「へ?」みたいな。この告白が何を示しているかわかってもいなさそうで。いや待って、これ当時はどういう事情として考えるのが妥当なんだろう。1930年代って、清朝じゃなくてもう中華民国なのか。
28 そうだね。
 ということは、紫禁城にいた宦官(去勢された男性の召使い)たちは、もう普通に市井に投げ出されていたのね。疑問なのは、こういう人たちがいた中で、普通の身体を持った男二人が私生活で一緒になるということに、当時どれだけのリアリティがあったんだろうということ。小楼が、蝶衣の言うことを「何のことを言っているのかわからない」と思うのは不思議じゃないと思うんだよ。非現実すぎる。それか逆に、花街とか芸事の世界では同性の愛人を囲うということは、かえって普通だったのか。逆にそういう関係なんだったら恋愛関係として成立できたのか。
今ってさ、恋愛関係は「すべて同じ世界線でやろう」って言われている社会じゃないですか。芸事の愛人を持つということは、確かにモーツァルトの時代にもあったけど、それは現実での奥さん・旦那さんとはまた別の次元でされる恋愛だった。今、その「別次元でのパラレルワールド的な恋愛」はしないでください。なぜなら道徳的にダメですから。恋愛は常にみんなと同じ世界線の中でしか・・・「でしか」って言い方も変だけど、してはいけないのですよ…そういう方向性になっているよね。だから小楼も、蝶衣がどういう関係を本当に望んでいるのかわからないというのもあると思ったの。「で?つまりお前は、俺の妾になりたいわけ?」と。でもそこまでも小楼は聞いてないし蝶衣も言ってない。だから逆に蝶衣の小楼に対する想いも、そういう意味ではやや具体性に欠けているよね。
28 確かに!
 どうなりたいというその先を、蝶衣は小楼に言ってない。
28 言わないねえ。
 むしろ蝶衣は、小楼・・・石頭と「舞台を降りること」すらしたくないんだろうね。
28 そんな感じだね。舞台の延長上で、常に二人だけにスポットライトが当たる世界がずっと続けばいいのに、と思ってる。
 実現できない理想だよね。だから小楼からは「それはオマエ、無理ってもんだww」と思われちゃう。だからこそ蝶衣は舞台への想いというか、決意表明みたいな告白しかできなかった。
28 そうね。
 蝶衣は舞台の鬼だから。決意表明くらいじゃ告白と取られないかも。
28 舞台の上でいくら「大王」と「大君」でも、じゃあ私生活でそんなふうに振る舞えるかといえばそうじゃないし、役者はただの役者だし。どこかで区別しなくてはいけないというのを小楼はちゃんと区別してるけど、蝶衣がそれをどこまで自覚的・無自覚的に考えていたのはか曖昧だよね。ただ愛情は深いんだけどね。

1937年。日中戦争は激化の一途を辿り、やがて北京は日本軍の占領下となりました。蝶衣の妖艶ぶりは日本軍の将校をも魅了しましたが、小楼は楽屋に乱入してふざけていた日本兵と喧嘩となり逮捕されてしまいます。菊仙は蝶衣に小楼と離別することを条件に、蝶衣を気に入っている日本軍将校の青木(チー・イートン)に取り入るよう懇願、引き受けた蝶衣は将校らの前で歌と踊りを披露、その甲斐あって小楼は釈放されました。小楼は日本軍に取り入った蝶衣を許せず、菊仙と結婚して蝶衣とのコンビを解消しました。小楼は一度は完全に芝居の世界から離れるも、賭博に夢中になり、かつての舞台衣装も売り払う程の堕落した生活を送っていました。やがて役者としての再起を決断した小楼はアヘンに溺れていた蝶衣と和解、二人で再び養成所の門を叩き、芝居の世界に舞い戻りました。それから程なくして師匠は他界、養成所は解散となり子供たちはそれぞれの実家に戻っていきました。蝶衣は捨て子のため帰る家のない小四(レイ・ハン)を弟子に迎えました。

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「映画ウォッチ」より

 日本軍の前で蝶衣が演じたのは、小楼を相手役としていないから覇王別姫ではなく、京劇でもなくて昆曲だったね。「牡丹亭」という。これってハッピーエンドなんだよね。幽玄な恋愛もので、冥界とこの世が錯綜しながら進むファンタジーで、ちょっとフワフワしていてスイート。でも最後は結ばれる。昔から人気の演目らしい。
28 そうなんだね。
 でも小楼は、そうやって助かったにも関わらず蝶衣が許せない。
28 しかも菊仙は小楼と別れると言いながら別れないで一緒に帰っていく。彼女のしたたかさがよく出ているよね。

やがて日中戦争は日本の敗戦に終わり、北京は中華民国軍の支配下となりましたが、小楼ら舞台関係者は中華民国兵の態度に腹を立てて乱闘沙汰となり、小楼の子を身籠っていた菊仙は流産してしまいます。

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「映画ウォッチ」より

28 ここの菊仙と蝶衣は対照的に描かれていて、乱闘が始まった時に蝶衣はオロオロしてカーテンに隠れてしまうのだけど、菊仙は夫を助けようとして乱闘の中に入っていく。結局お腹を強打して流産しちゃうんだけど、ここは二人の性質が対比的に表されている。
 愛情の種類の違いがわかるね。蝶衣は究極的には、どこだろうと二人で舞台ができれば何でもいいのよ。現実で何が起こっているかというところに疎い。でも現実の妻となった菊仙は、夫をしっかり守ろうという。

中国は中華民国と共産党(後の中華人民共和国)との対立が激化、共産党思想に染まった小四は時代に合わせたモダンな演劇スタイルを志向、伝統を死守する蝶衣と対立するようになっていきました。やがて中国全土に文化大革命の嵐が吹き荒れ、小四はトップスターへと駆け上がる一方で京劇は堕落の象徴として弾圧され、失望した蝶衣は自らの衣装を燃やしてしまいます。やがて蝶衣と小楼は共産党員によって広場に引きずり出され、民衆から恥辱を浴びせられてしまいます。心の折れてしまった小楼は蝶衣が日本軍に招かれていたことなどを批判、二人は互いに罵り合いの口論となり、遂には菊仙が娼婦だった過去をも暴かれ、小楼は心ならずも愛していないと口走ってしまいます。その直後、全てに絶望した菊仙は婚礼の衣装を身にまとって首吊り自殺を遂げました。

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「映画ウォッチ」より

 日中戦争が終わったら今度は文化大革命。
28 本当に徹底していたんだなあと思った。
 というと?
28 菊仙と小楼がお家でいろんなものを焼いたりしているシーンがあるじゃない。家の翡翠のグラスですら宮廷の象徴だからって突き出される。そんなもの1個だけ持っていても危うい。そんな時代だったんだなあと。
 何か一時のムチャクチャな世相のために自分たちが大事にしてきた文化が一夜にしてゴミ同然で否定されるっていうのは、なかなか切ない。かなり自尊心を傷つけられるだろうなと。
28 自己批判させられるってね。
 そう。自分たちが信じて「いい」と思ってきたものをもはや社会が良しとしなくなった。ジャニーズも今はそんな感じになって。
28 蝶衣たちの目線で考えると、今まで普通に生活していたのにいきなり自己批判しろって言われるのは本当に訳がわからないとは思うけど、弟子の小四が共産党思想に染まるのって、要するにトップスター級の師匠である蝶衣が自分を認めてくれなくて、それに対する鬱憤から来ているのだと思うの。だから蝶衣が自己批判された後に蝶衣の後釜に成り代わろうと、京劇のメイクをしているところを共産党の同志に見られるという。
 モダンな演劇スタイルとか、共産党思想とか言いながら、心の底ではやっぱり上の詰り感というか世代交代したくてもできない欲求があるよ。
28 あれが爆発していているんだよね全体的に。
 いろんな人の鬱憤が表現されたのが文化大革命のもう一つの顔だろうね。学生をずいぶん使ったし。Red Pageという清華大学の付属高校の生徒とか、抑圧された若い力を借りたわけだよね。また小四も、すごい人が師匠であり親だから、もう絶対に上に行けないという。
28 蝶衣と小楼の場合は、師匠がすでに養成所の師匠だったからいいよね。現在トップスターにある人の内弟子だとなかなかうまく行かない。
 小四は「覇王別姫」も演じているよね。
28 途中で虞姫が蝶衣から小四に変わるシーンがあるよね。そこで初めて蝶衣は舞台の上でも女房役を降ろされてしまう。その時に蝶衣を慰める意味で、菊仙が後ろからそっと上着をかけてあげる。蝶衣は「ありがとう、菊仙姉さん」とは言うんだけど。そう、あの時ぐらいなんだよ、菊仙を「姉さん」と呼ぶのは。本来、蝶衣は菊仙を「姉さん」と呼ぶべきなのよ。兄弟子の嫁なんだから。でも蝶衣はプライドが高いから、かけられた上着を払い落として去っていく。あのシーンはただもう痛々しい。小楼の妻は蝶衣ではないし舞台の上でも小四がいる。これが決定的になった。
 ここ、蝶衣も大人になったなあ!って思わない?だって若い頃なら絶対に言わなかったよ「姉さん」なんて。そこは素直に偉いなと思うけど、やはり菊仙は自分のライバルだろうね。逆に私には、こういう蝶衣のワガママさとか聞き分けのなさがすごく可愛く映る。
28 これ、小楼が「あんな女は妻じゃない、愛してない」と言う場面の前にこの場面があるよね。ここまでいくと、小楼の愛の矛先がどうというよりも憎しみで繋がっている蝶衣と菊仙の方がより強い絆を感じてしまうよ。愛するにしろ憎いにしろ、蝶衣には中間ってものがない。
 そこが可愛いんだよ。まさに永遠のお姫様。
28 ああそんな感じ。
 こんなふうに崩れ落ちなければいけない負け戦を、こんな綺麗に生きられるって…きっとどんな健気なディズニープリンセスも、蝶衣を前にすればどこかあざとく見えてしまう。蝶衣も虞姫も実に堂々と戦いを挑んで堂々と負ける、潔い。
28 あと品があるよね。だから蝶衣に比べると小楼が薄っぺらく見えて。
 映画のコピー「愛しても愛したりない、憎んでも憎みきれない」だったよね。
28 そうだったね!
 その愛と憎しみのコントラストが凄い。その中で小楼はいつもほどほど…っていうか、これが普通なんだけどな!
28 そうだった!蝶衣と比べると「何だコイツ」ってなるけど、確かにこれが普通です(笑)そりゃあ、自分の保身のために「愛してない」と口走るし自分の都合よく立ち回りもするよね。
 小楼って、菊仙と蝶衣に別種の愛を一心に受けている「だけ」の受け身の人。しかも人生いつも何かそれでうまくいってる。でもいざ自分の側から愛するってなった時、エネルギーが出てこない(笑)。愛するというのは小楼には持ち合わせていないものだから。だからこその普通の人なんだけど。
28 普通って言えばいいのか、ズルいって言えばいいのか。
 悪そうな悪いことはしてないのに、でも…
28 してない。ある意味ではいい奴。
 その優しさに吸引されてきた二人には、小楼はすごい優柔不断なダメ男に映ってる。
28 そう。同じくらい返して!と思われている。
 これは小楼はツラいなあ。
28 だって菊仙には「芝居を辞めて堅実に生きていきましょう」と言われるけど、小楼はずっと京劇しかやってきていないから「これ以外、俺に何ができるんだ」って怒るし。それはその通りで、でも菊仙からしてみれば自分が遊郭出身だからもう普通に生きたいと思っている。
 こういう男の人って、意外と(風俗通いには)いるかもね。いわゆる人助け的な情の深さ。愛情というよりは優しさでこの人と添い遂げようと「決めた」と、納得づくで結婚するような人が。小楼もそういうタイプなんだよ。でも、いかんせん蝶衣というもの凄いパワーの人が・・・だから本来は平和的なものになるはずの結婚生活が、ことごとく「普通じゃない方向」に引っ張られていく。
28 不幸な部類に入るよね。流産しちゃうし。
 うん。あとは小楼と蝶衣のディスり合いも凄い。「どうしてお前はそうなんだ」の応酬。愛の反対は憎しみではなくて無関心だということが、これでよーくわかりました(笑)
28 近くにいたからこその秘密も知っているだろうね。
 そう。コンビ組んでいたからこそ、お互いの我慢できないところがあって。愛の一面は執着だから、お互い期待するところもあるだろうし。

文化大革命の嵐が過ぎ去った1977年。11年ぶりに再会を果たした蝶衣と小楼は学校の体育館を訪れ、二人だけで『覇王別姫』を演じ始めました。全てが終わった後、蝶衣は小楼が腰に差している剣を抜き、これまで自らが演じてきた劇中の虞美人と同様に自らの喉を突き刺しました。驚いた小楼は小さな声で「小豆」と呟きました。

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「映画ウォッチ」より

 ここから急にラストシーンに入ってしまうんだけど「覇王別姫」って、最後は虞姫が自害するよね。これ以上自分がいることで項羽の足手まといになると判断した虞美人は、彼が目を離した一瞬で自害してその場に崩れ落ちるという・・・まさか、現実でもそうやって終わらせるのかと。
28 私は原作の小説を読んでいるけど、ここのラストが違うんだよね。蝶衣は死なない。
 そうなの?
28 そう。
 このラストって学校の体育館なんだね。劇場じゃないなとは感じていたけど。
28 オープニングでも「上海」ってなってる。
 1977年だと文化大革命が終わってすぐか。
28 うん。
 ってか文革終わったらすぐ会っちゃうんだ、この二人は(笑)
28 笑。
 蝶衣推しの私としては、小楼はもう宿命として蝶衣との人生を受け入れて下さい、なんて思いたいところだけど。
28 原作では蝶衣は党の指導者から女性を紹介されて結婚している。逆に小楼は結婚していない。
 へえー。
28 確かに首には怪我したけれど「愛に殉じるのは舞台の上だけだ」って物語が閉じられていく。
 でも映画のラストが小説のようなら、それほど売れなかったかもねえ。
28 うん。あと小説の方は、菊仙との三角関係より小楼と蝶衣の関係性が軸になっていて。そうした方が映画の方が構図として対立関係もわかるし、エンタメ的要素も高い。
 これ、中国の作家が書いたのだろうか?
28 中国か香港か・・・
 この話って警戒されなかったのかな。
28 そう。これ本が出た当時って、どういう扱いだったんだろう。
 だよね。もしかすると結末をそういうふうにしかできなかった、というのはありそう。だって添い遂げられちゃ困る。中国共産党としては。
28 たしかに。小説の最後で「四人組が捕まって今はいい時代になっているよね」と一応は言わせているけど。書かれた時の政権では、この話は肯定されたとは言われているけど。
 えーこれ微妙だな。今、中国は同性愛は反対ですという方向に流していきたがっているよね。当時もそういう感じだったかわからないけど。
28 当時は「そんな人はいません」っていうようなスタンスだったんじゃない?
 意味深。でも映画の方がピュアな仕上がり。
28 そう。だから映画の方が好きなんだ。

あまりにディープな男性社会

 ここからは所感に移りたいと思います。では是非とも言いたいことはありますか?
28 芸能の中の性虐待みたいなところが、やっぱりちょっとあるかな。
 そうだね、どこだったかな・・・
28 このサイトのあらすじで言うと「蝶衣は金持ちの老人の慰み者とされてしまいます」っていうところかな。
 実は私は、最初の連帯責任の体罰シーンが霞んで忘れてしまうほどに、こっちの方が印象的なんだけど。
28 このお金持ちの老人って「元・宦官」だった人なんだよね。蝶衣はこの老人に「ご指名」されちゃうんだけど、その時「今、何年だ?」っ聞かれるんだよ。蝶衣が「民国27年です」って言うと老人は「清歴で何年や」みたいなことを言って怒り出す。老人の中では今も清朝が続いているのね。しかも宦官だから、自分には「持っていないもの」を女性を演じているのに「持っている」蝶衣にどこか惹かれてしまうというものありそう。
 確かにね。
28 これが芸能の世界の闇ってやつか。
 芸能の世界って、そういうのも「良し」とする文化があるよね。逆にいうと「通過儀礼(イニシエーション)」みたいに儀式化されてむしろ神聖視される文化すらある。
28 あるね。
 問題は、それを性虐待ではなくて芸術に携わる者の宗教的儀礼だよと言われてしまうことで。フタを開けてみれば単なるジジイの欲求なんだけど。それを周りが結託して一つの美しい世界観に丸め込んでしまうともうダメ。そういうことが起きやすい集団には共通点があると思うんだけど、その一つが「性別の偏り」だと思っていて。
28 男だけの集団だと起きそうだね、密教の「お稚児さん」文化とか。
 これって男社会での力関係とか上下関係の確認なんだろうと思って。性というチカラを使ったやり方でだけど。よく男子って女子とはまた違うやり方でじゃれている時があるけど、あれもどこかで上下はどっちか決めているようにも見える。
28 わかる、見えるね。
 あの身体的なじゃれ合いが女子には生まれないのは何故だろうと考えると、やっぱり男子はどこまでいっても上下で関係が決まるんだろうと。
28 男子同士も、上から肩を組んでくる方がマウント取ってる感じするわ。
 そういうところに、男性という性別の業の深さを感じたりする時があって。北京旅行で見た京劇で虞姫を演じてたのは女性だと思うけど、小楼と蝶衣の頃は男性ばかりの集団だったわけだ。今騒がれてる事務所もそうだし歌舞伎の世界もやっぱり男性だけの社会だから、そういう事案が発生しやすい土壌になるのかな…というのが最近の所感です。
28 芸事の世界はどこもあるんだろうと思う。
 とにかく「芸事」というものの性質上、そういう性的な事案が起こりやすくなるとは。みんな綺麗だし才能もある。でも体育会系だったりブラック企業だったら?と考えると、もろに暴力になったり派閥になったり悪事を働く集団になる。それは女の身体をしている私が外から見ていてもそう思うんだから。とても立ち入れないようなワールド。
28 本当はそういう男社会のおかしいところも、異物である女性が中にいるだけで男性は(そういうことが)やりにくいって思ってもらえたらいい・・・なんてことを『ミステリと言う勿れ』の中で言っているじゃない?だからジャニーズでもそういうふうに入って行ける異性がいたら良かったんだろうけど、むしろその中に組み込まれてしまった。
 その『ミステリと言う勿れ』でのあの発言は、ある一定の人数女子がいないと全然自浄作用は効かないと思うよ。これはさすがに説得力ないと思うなあ。
28 そうねえ。
 あとは女子たちが正規雇用ではないとか管理職じゃないとか、立場が下の女性がどれだけいても無理かも。そういう女性のことは視界に入ってないから。ゆえに今の日本的組織の中でホモソーシャルを倒せるほどの女性の目なんて、私は無いも同然だと思ってるけど、どうだろう。そもそも選ぶ側が男性だから、同格の位置には選んでももらえないのだし。何と言うか、とにかく「固まろう固まろう」というする反応がもの凄い。
28 日本的な考えで言えば「ウチ」と「ソト」の区別なんだろうね。ウチにいる人は家族同然の仲間だけど、ソトがどんだけ言っても「ああ外部が何か言ってるな」と。
 そう。西洋でも宗教団体ならあるかなあ。
28 日本は宗教ではなくて「共同体」だよね。
 日本はそれが企業とかになっている。その中にいる人は外のことに対して「関わる気もないし、とりあえず敵じゃね?」って思っているフシがある。残念ながら。

最後に、ただもう好きなシーンを挙げてみる

28 私は蝶衣がパトロンになってくれるユアンさんという人のところ行って、覇王別姫ごっこをした時に首に剣を充てるところかな。
 あそこはハッとするよね!
28 凄く綺麗だったの。刀身だけが白く光っていて、それでいてレスリー・チャンの顔が綺麗に出ているから。
 とにかく(監督の)チェン・カイコーは綺麗に撮っているよ。大事に大事に撮ってる。
28 それにワンシーンがどれも計算されていて。
 私は、阿片に溺れている蝶衣が金魚鉢越しで見えるあのカメラワーク。
28 あれね、セクシーだよね。
 そう撮るかと思って。あのシーンって水を通してるから世界が屈折で歪んでるんだけど、そこがまた上手だなと思ったことと、金魚っていう魚を使ったのがすごく象徴的でいい。金魚って、煌びやかで非力で人工的な魚だから。
28 その中でしか生きられない・・・
 そう。か弱くて、衣装みたいに尻尾がヒラヒラしていて。
28 うんうん。
 この映画にはそういう「象徴的なもの」がいっぱい出てくるよね。例えば「赤」の使い方とか。一体どれだけの意味を持つ赤が出てくるんだろうって。まずは中国共産党の色なんだけど。もう赤の洪水。
28 あと黄色かなあ。
 あと小楼の隈取りの白と黒。あれは役柄的に「性格がはっきりしている」という意味があって、白黒の隈取りをしているらしいよ。
28 そうなんだ。
 実際の小楼は、もう優柔の極みみたいな男だけど。あの白黒の男こそ蝶衣の理想のヒーローなんだよね。
28 なるほど。あと、阿片を抜こうとして暴れているレスリー・チャンの演技が凄いセクシーなんだなって、今年観た時思った!
 そうだね。レスリー・チャンは最高です。

これが(母がハマった)景山公園からの眺め

 今日は想像以上に深い話ができました!
28 そうですね。
 今日はありがとうございました。
28 こちらこそ。

※ この記事は、2023年9月16日 X(Twitter)スペースにて対談した内容をもとに再構成して掲載しております。


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