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✳︎ 日本では残念なことに
本音を受け止めて貰えた経験が乏しい人が多い。

出す前に遠慮、忖度、羞恥、空気読み。

それが、たとえとても言いづらいことや
受け入れてはもらえないかも、迷惑かな、と
先に頭によぎる内容であったとしても、
表に出して相手や周囲に伝える、ということには
想像以上の意義がある。

「本音を素直に出せたのはじめて」
「恥ずかしくて、拒否されるかと思ってました」
セッションでも他の場面でも、
そう言われることは少なくなく
皆、押し込めて我慢して生きていて
なんだか重たいぞ、と。

斯く言う私も過去葬った本音なんて死ぬほどある。

でも、私は既に知っている。

想像していた結末なんて、
簡単に覆されることが多々あること。

人は当たり前に経験が違い、意見も感覚も違う。
あなたの頭に浮かんだ想定問答は
あなたと同じ発想をする人を相手にする時のみに
有効だが、それは珍しいという感覚も
日本の中では持ちづらいのだろう。

だが、その相違はやってみないと気付けない。
または、やってもらわないと気付けない。

だからこそ、本音の表明は気付きのホイッスル。
すべからく本音の表明は有難いこと。
ノノガブームに深く感じ入る最近。
みんな言えないから、代弁する言葉は広がる。


苦言だろうがショックだろうが、受け止めてみると
その本音を伝えようとしてくれた裏側にある
想い・ニーズ・期待などなどと必ず出会えるものだ。

それは本気の本音であるほどに
心を揺さぶる。



✳︎ 少し角度を変えて
「言葉が突き刺さるとき」について。

「本音の伝え方」は工夫のしどころだが、

意識するのは、
オブラートに包むとか、耳触りよく話すとか
そういう「うわべの細工」ではなく

もっと奥にある「相手への敬意や尊重」で
丁寧に包んで伝える、
ということではないだろうか。

少なくとも、私はそう捉えてきた。


昔、小学校でこんな授業をしたことがある。

「相手への敬意や尊重」なく発せられた
傷付く言葉のナイフは、放った方は簡単に忘れるが
受け取った人の心にはずっと突き刺さるよ、と。

私の心には、
突き刺さったままの言葉が沢山ある。

大切な人の言葉ほど、強烈に突き刺さる。

だから、私はなるべく丁寧に
言葉の届け方、包み方を考えるようになった。

完璧とは思えないが(完璧なんてないが)
少なくとも凶器にならぬように。
誤ってナイフを突き刺してしまった時は
真摯に謝れるように。

そんなことを考えて仕事をしてるよ。
みんなも、言葉の放ち方、考えてみてね、と。

その授業を聞いた子達は
今頃どんな言葉を放っているだろうか。



✳︎ 翻り敢えて、良き効果を狙って
強く突き刺す表現を考える場合もある。

例えば世に広く届けるために紡ぐ言葉は、
そんなベクトル。

でも、誰かが傷付く言葉って
出来たら放ちたくない。
そう思って、封印してみたりもしてきた。


しかし安易に封印したら元の木阿弥。
冒頭のフリダシに戻るのです。笑

ここのバランスは、絶妙だ。


「発信」や「伝える」という作業って、
そんな簡単じゃないよなーとよく思う。

でも、だから考え続ける、思慮深く届ける、を
疎かにしないぞ、と
受け取る人が多い言葉ほど考える。


同じ突き刺さるでも、不安煽る系って不快だらけ。
それより「ハッと」を届けたい気持ちがある。

めいっぱいに人間愛にくるんで
「ハッと」する言葉で温もりが突き刺さるように。

今日も考え抜く。そんなタイプ。

全くもって発信でも
単にスピードや瞬発力や量産を求められると
必ずモヤっとするのは、
その考え抜くプロセスと推敲を
心ゆくまで出来ないからなのだろう。


私の言葉は、ファーストフードじゃない。
悪いけど消費はお断りだ。

そんな言葉が浮かんできて、
こんなに面倒なほどに言葉への思い入れが
強いんだなとつくづく。

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齊藤寛子(piroko)/発酵キャリア®︎ 「どんな経験をも好循環して美味しい人生を」
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