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2024年7月8日

はちゃめちゃに遊びまくっている7月。重い仕事と散々引き延ばしていた締切案件が終わり、やったー!!とあちこちに出かけている。遊びすぎて仕事ってなんだっけと忘れそうなぐらい。人生そんなもんでちょうどよい。

大量の文化的養分を摂取しているが、最近どれも印象深いものが多い。当たりが続いている。その中でも断トツで感銘を受けたのは、BankArtStationで開催中の島袋道浩さんの展示〈音楽が聞こえてきた〉である。そこで作曲家の野村誠さんのパフォーマンスがあるという情報を開催前日に知り、疲れた心をすりすりさすりながら退勤後に東京から横浜へ向かった。

BankArtStationは駅の地下改札階に位置していて、地下通路の一部が展示空間になっている。地上から地下に下る階段の途中から、うっとりするようなピアノの音が聴こえてくる。野村さんが弾いているのかしら。美しい音色が地下に優しく響き渡っている。

島袋さんの作品は芸術祭やグループ展で何回か拝見したが、個展という形でまとまった一群を見るのははじめてだった。タイトルの通り、映像と音楽が重なり合う作品群が地下空間にゆったり広がっていた。特に、ブラジルのストリートミュージシャンによるタコの作品は本当に最高。最高としか言いようがないので、そのことを形容する詳細な描写は捨て去ります。

と言いつつも、少しだけ書き残しておく。タコの作品というのは、島袋さんが撮ったタコの映像(島袋さん自らが海で獲ったタコに東京観光をさせるというシュールな映像)をブラジルのストリートミュージシャンに見せて、その映像に合った字幕(という歌)をつくってもらうというプロジェクトである。島袋さんが現地の芸術祭に招聘されたときに、滞在先の近くでいつも歌っていた彼らのラップの虜になり制作を依頼したそう。ミュージシャンが気ままに映像を解釈したことがありありと伝わる歌、彼らが叩くタンバリンのリズム、ポルトガル語の歌詞を翻訳した関西弁の日本語字幕、そんな巡り合わせをユーモラスに包む映像、すべてがあたたかい。まじで優しい世界。世の中すべてがこんな感じでいいのに。

そんな展示で披露された野村さんのパフォーマンスは、島袋さんの作品に呼応しながらも、その場で起きる予想外の出来事をすべて受け止めていく抱擁の音楽だった。野村さんが起点となるその場かぎりの演奏は、深海よりも深い懐とはこういうことだとまじまじと突きつけてくる。私もそんな懐にゆったりと身を任せる。

この日私がBankArtStationで見たもの、感じたものは、何一つこの世の実利にはならない。そんなものに心底感動してしまう。私の中にこんなものがあったのか?と、どこかにあった不可侵の無垢な美しい心が突如ぽーんと現れる一瞬。その一瞬に気づかせてくれるものは、今のところアートという名を羽織った「表現といえる何か」の中にしかない。それも本当にたまにしか出会えない。島袋さんの展示や野村さんのパフォーマンスを見てそのことを思い出し、こんなに美しいものを見せてくれる人たちとの出会いと、それを世に発信し続ける態度を諦めたらあかんわと思った。ちょっと感動しすぎて、途中泣きそうになった。

次の日、都内の小さなカフェで開かれたジャズライブに行った。ハイセンスな夫婦が営むそのカフェは、マイクロなまちづくりの事例として何かの記事で知り、以前から気になっていた。ただ、交通の便が不便で行くきっかけに欠けていた。そんな中、そのカフェでジャズライブが開かれるという情報を先月知った。そのときまあまあ酔っぱらっていた私は、「酔っぱらいボーイズ」というゆるくてナンセンスなジャズユニットの名前に「ええやん」とノリでチケットを買ったのだった。

開演前、カフェの前の駐車場に人が集まり、ドリンク片手にのんびりおしゃべりをしている。この日はじめて会った、きゃらちゃんという金髪のきらきらした女の子と楽しくおしゃべりする。週2回はカフェに通っているという常連さんだった。ひとしきり話したあとに年齢を聞かれたので、「何歳に見えますか?」という面倒くさい質問返しをしかけてやめる。来月で31歳になりますとあっさり答えたら、あり得ないぐらいびっくりされた。同じぐらいかと思ってましたと言われ、恐る恐る年齢を聞くと、22歳とのこと。ひえ~。同じなわけないやろ。22歳は無理あるわ。と内心つっこみながら、お世辞コメントをどう受け止めたいのかわからない自分を知る。

最近道端で「お姉さん」と呼ばれる。それまでずっと「お嬢さん」だった。「お嬢さん」という幼い響きが嫌だったのだけれど、もうそんな風に呼ばれることはこの先ないのだと知るとそれはそれでちょっと切なくなった。いつから私は「お姉さん」に移行したのだろうか。

ちょっと前にバックパックに生花を挿して歩いて帰っていたら、すれ違った大学生位のさわやかな男の子に「お姉さん!」と後ろから話しかけられた。道端ではじめて語りかけられる「お姉さん」という響きにどきどきしながら振り返ると、私が花を落としていて拾ってくれたのだった。ありがとうございます、と受け取りながら、この人にとって私が年上だと瞬時に判断させているものはなんなのだろうかと考えていた。

一方で、その大学生と同じ年齢ぐらいに見えるきゃらちゃんは、31という数字に困惑を隠せない表情をしていて笑った。笑ってはいるけれど、どこか信じられない自分もいる。それでも私は確実に31歳になるのだ。

酔っぱらいボーイズの演奏後、カフェの前にゆるい空気が漂っていた。

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