三井家の拓本コレクション
現在休館中の三井記念美術館(東京・日本橋)。(4/25時点)
オリンピックに合わせた展覧会「知られざる芸術と文化のオリンピック」も開催見送りが決まり、現時点での次回展は開館15周年記念特別展「三井家が伝えた名品・優品」となっています。
画像:ホームページより抜粋。
今回はこの展覧会に出品されるであろう、三井家の持っている中国の拓本について少し書きます。
三井記念美術館所蔵の拓本といえば、九成宮禮泉銘(李鴻裔本)や集字聖教序(劉鉄雲本)、石鼓文(中権本)など書を一度でも習ったことのある人なら必ず通るであろう王道古典の良質なものばかりです。
主な拓本コレクションは新町三井家9代目三井高堅(1867-1945)が蒐集したもの。それらは高堅の邸宅の名から聴冰閣(ていひょうかく)コレクションと呼ばれ、その数は530点余にのぼります。
高堅は三井呉服屋社長、三井物産社長、三井銀行社長など三井財閥の要職を歴任した実業家です。高堅の蒐集の時期は明治末から昭和初期。その頃はちょうど中国では250年にも及んだ清朝が終わりを迎え(1911年)、翌年に中華民国が成立するという未曾有の混乱の時期と被ります。多くの美術品が換金目的に海外流出していた時期でもあるので、紙くず同然のものから国宝級までが幅広く市場に出ていました。
さて、その大量に入ってきていた中国美術品、古拓本類を高堅はどのような基準で購入していったのでしょうか。
書の良し悪しは生まれながらに持っている感性では判断しにくいものです。高堅に対して入り知恵(助言)をした人物がいるのでしょうか。
その一人に篆刻家の河井荃廬(1871-1945)がいます。
明治36年(1903年)、京都の実家を弟の河井章石に譲り、東京下谷に転居し世帯を構えた。その後まもなく三井高堅(新町家9代)の庇護を受け、その邸内の簡素な家(九段富士見町)に移り住んだ。荃廬は中国文物の目利きとなっていたので高堅の蒐集のアドバイザーともなった。この頃、書家の巌谷一六から貫名菘翁の所蔵した法帖を譲り受けて、宝書龕の堂号を得ている。(wikipediaより)
河井荃廬刻の高堅の自用印が残っていることからもその親交が伺えますね。
(国文学研究所の蔵書印データベースに載ってる)印が曲がっている。。
さて、外出自粛の中ネットで三井の拓本で調べらるのはこの程度でした。
三井記念美術館と拓本コレクションについては、月刊誌「美術の窓」内の連載「書の扉」にて取り上げています。清水実三井記念美術館学芸部長と髙橋利郎大東文化大学教授の対談です。6/18発売号ですので、ぜひご覧ください!