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二泊三日韓国旅行記

7月の三連休、大学時代の先輩ふたりと韓国旅行へ行ってきた。
人生で二度目の海外旅行である。

パスポートの期限が2025年1月で切れると気がついて、滑り込みで海外へ行きたいと思い立ったのが今年の春先。
どこに行こうかと考えたときに真っ先に浮かんだのが、韓国だった。友人と定期的に開催している語学勉強会で、ちょうど韓国語を学び始めたところだったから。

誰かと会うたびに「韓国行きたいんだよねえ」とふんわりしたお誘いをかけていたら、それにのってきてくれたのがRさんとKさんだった。
その日のうちに韓国行きのチケットを取った。お酒を飲みながら「これよりこっちの方が安い」「でもこの時間に着くのはちょっと」などとわやわや喋っていたら、チケットを取り終えたときには午前4時になっていた。飛行機をおさえたことの達成感に包まれながら、われわれは、小鳥のさえずりが混じる早朝の空気の中で眠りについた。


1日目(2024.7.13)

いざ出国

さて、時間は流れ三連休の始まり、土曜の朝である。
成田空港に着いてから、替えの靴下を一足も持ってきていないことに気がついて、第二ターミナルのユニクロで三足セットを購入した。せっかくだから韓国に着いてから調達すればよかったのだと悔やんだのは、飛行機に搭乗してからのことだ。

仁川(インチョン)空港に着くまでの流れは、せいぜい出国検査があるくらいで国内旅行となんら変わりはなかった。
フライトの時間は約2時間半。あらかじめアマプラでダウンロードしておいた『マッドマックス 怒りのデスロード』がちょうどいい長さだった。(これも後になってから「せっかくだから韓国映画とかにすればよかったな……」と思った。準備の方向がなんだか微妙にずれているのである。)

飛行機を降り、入国審査の列に並ぶのだが……、この入国審査が長かった!!! 約1時間半、長蛇の列の一部となってもぞもぞと進むことになる。
Rさんが『地球の歩き方』をリュックに忍ばせていたので、感謝しながらそれを三人で回し読んでいた。

空港からホテルまでは地下鉄で2時間ほど。
地下鉄に乗って椅子に座り、ここで初めて体が「日本とは違う土地に来たこと」を認識する。椅子が硬いのだ。
日本の電車のようなクッション生地ではなく、ステンレス製のつるりとした椅子である。ややお尻が痛い。
調べてみると、2003年の大邱地下鉄放火事件(地下鉄車両での放火事件。200人近くが死亡している。)がきっかけで車両の不燃化対策が講じられているらしい。何にでも理由はあるものだ。一見不便や不快に感じられるものは特に。

東廟前(トンミョアプ)駅で降りる。
駅の建物から出てすぐに、カラフルな屋台の数々に目を奪われた。宿をとったときには知らなかったのだが、東廟はヴィンテージファッションの聖地とも呼ばれる場所で、毎日フリーマーケットが開催されているらしい。

衣服や小物、果てはゴム手袋や小さなフィギュアなどが所狭しと道路に並べられ売られている。見ているだけでも楽しい。

旅行気分も高まってきたところでホテルに到着。

受付の方がとにかく親切で、チェックインの終わりににこにことたくさんのお菓子を持たせてくれた。個包装の、仕事の合間にちょこっと食べるようなやつを五、六個と、小さな缶ジュースを三本。
ありがたくいただいて、喉が渇いていたので部屋ですぐに缶を開けた。二本はペプシコーラ、一本は甘酒にも似たふしぎな飲みものだった。甘くて少しとろみがあり、底に白い粒が沈んでいる。原材料名表示をGoogle翻訳にかけると「米のジュース」と訳されて、やはり甘酒のようなものかと頷き合った。

夜のお散歩@明洞

ホテルを後にして、バスで明洞(ミョンドン)へ向かう。
韓国のバスは先払いである。運転席の横で支払いを済ませ、窓の近くの手すりの部分に三人で陣取り、外を眺める。地下鉄と違ってバスは外の景色が見えて楽しかった。ただし、これも地下鉄と違って日本語でのアナウンスは流れないため、やや気を張って現在地を把握しておく必要がある。
日本と共通のチェーン店を指さしたり、看板のハングルを目を凝らして読んだりしているうちにすぐに明洞に着いた。

バス停の向かいに韓国土産で有名なHBAFの大きな店舗があって、吸いこまれるように足を踏み入れてしまう。

もうお土産だなんて気が早いと思いつつ、ハニーバターカシューナッツの大袋を購入した。
試食で置いてあるお菓子類が全部おいしくてずるい。どうやらおよそ食べものという食べものは、なんでもハニーバターをかければおいしくなるようだった。

ハニーバター海苔という謎の代物もあって興味をそそられたが、そこに試食の箱はなく、さしもの私も大袋を買う勇気は出なかった。

HBAFを出ると、次はオリーブヤングに引き寄せられる。こちらも有名なコスメストアである。
Kさんは街に乱立する両替屋のレート確認に夢中だったため、Rさんとともに店を物色した。

1階も2階もごった返していた。観光客だけでなく韓国の人びともかなり多かった印象。
フェイスパックの品揃えが良く、三枚ほどジャケ買いした。Rさんは針美容液なるものを購入していた。韓国に来て、日本になさそうなものをきちんと買えるのは格好いいと思った。

夜の明洞。ざわざわとさざめいて熱く、色々な食べものの匂いが混ざった空気に気分が浮き立つ。

夕食はずっと楽しみにしていたカンジャンケジャン(渡り蟹の醤油漬け)を食べた。

マッコリを頼むと、麦茶が入っていそうなどでかいヤカンをガチャン!! と置かれてテンションが上がった。

カンジャンケジャン+おかず7点の2人前セットと、海老の醤油漬け、テナガダコの踊り食いを注文する。皿がずらりと並んで壮観である。
初めて食べたカンジャンケジャンは非常に美味だった。複雑な味の醤油が染みて白米とマッコリの進むこと進むこと。生の蟹の食感はやわらかな魚にも似て、するすると腹の中に溶けていく。幸せ……!!

蟹は食べやすいようにひと口サイズに切って提供されるので、個人的には茹で蟹よりも食べやすく感じた。
しかし私もRさんもKさんも食べている最中は「うまい……」「うまいですね……」「うん……」「最高……」「……」という感じだったので、やはり蟹には何か人を黙らせる力があるようだ。

ところで完全に脱線なのだけれど、ここで少し韓国のトイレ事情の紹介をさせていただきたい。私が韓国に着いて空港以外で初めてトイレに寄ったのがこの店だったからである。
韓国のトイレにはトイレットペーパーが流せない。
それくらい調べてから来いという指摘は最もなのだが、私はこのときまでその文化を知らなかった。トイレの個室の中でひとり、「トイレットペーパーは流さないでください」という日本語の貼り紙と、便器の横に置かれた大きなゴミ箱に私はひどく驚いた。使用済みのトイレットペーパーをおそるおそるゴミ箱に入れたとき、「違国だ!」という気持ちの第二波が私の身体を包んだのであった。

食べ終えたあと、屋台を二軒ほど梯子した。
明洞の屋台は福岡などのそれよりも、地元の祭りのそれに近い。屋台の前に座って酒を飲むスタイルの店は少なく、各々が食べものを手に持ちながら賑やかに行き交っている。

しかし、大きな道路に面した一等地の屋台に椅子つきのところがあったので、なんだかんだフライトで疲れていたわれわれはこれ幸いとそこに滑り込んだ。
お酒はありますか? と聞くと、そこのコンビニで買っておいでと指をさされた。缶ビールを買ってきて、出してもらったキンパと貝の煮物をつまむ。

心地のよい屋台だった。
暑い夜だ。その上目の前には貝を茹でる鍋とトッポッギを煮ている鉄板があるのだから、ただ座って酒を飲んでいるだけでも汗がだらだらと垂れてくるのだけれど、その熱気もあまり気にならなかった。貝の辛さに、すぐにぬるくなってしまったビールの苦さがマッチしておいしかった。満腹になって、少しだけ眠たい気分になった。

屋台を切り盛りするおじさんとおばさんの手捌きがうつくしかったからかもしれない。
トッポッギの鉄板をかき混ぜ、注文された品を手早く盛り付け、次の材料を切り、鍋にぶち込む。そのすべての動作が流れるようで、いつまでも見ていられた。屋台に長居するのも申し訳なく、実際は30分もいなかったと思うのだが。

チムジルバンでスフィンクスと出会う

ホテルの浴室のドアが半透明だったので(?)、ホテルでの入浴は早々に諦めていた。
その夜は、ホテルから徒歩圏内にあるチムジルバンに行ってみることにした。チムジルバンとは日本でいうスーパー銭湯に近い施設で、風呂の他に岩盤浴のようなサウナのような空間が複数併設されている。

これがとても良かった。

お風呂部分で汗を流して軽く身体を温め、館内着に着替えてサウナ部分へと移動する。
サウナ部分は男女共用空間だ。館内着の人びとが、サウナへ続く床のそこかしこにごろんごろんと寝転がっている。そのまま寝ている人もいる。自由だ。

様々な温度に別れたサウナがある。
おそらくメインは大きなスフィンクスの顔がのっかったあのサウナなのであろう。なぜスフィンクスなのか。いや、なぜかと言えばチムジルバンの形がピラミッドに似ているからなのだろうが、それにしたって謎である。面白い。

サウナの中にはゴザのようなものは敷かれていて、皆この中でも手足を投げ出して横たわっている。
いびきも聞こえる。ここにも寝ている人がいるらしい。大丈夫なのか。熱中症や脱水症状にはならないのだろうかと心配になる。

われわれもそっと横たわってみる。
テレビの置いてあることが多い日本のサウナに比べて、ここは静かだ。特に音楽が流れているわけでもないし、誰も会話すらしていない。かすかにいびきだけが聞こえてくる。

顔や背中にじわりと汗がにじむ。
ホットヨガを習っていたときのことを思い出した。夏に外でかく汗とは違い、汗をかくためにつくられた場所で出てくる汗は、ふしぎと不快感が少なくさらりとしているのだった。

暑い部屋と涼しい部屋を何度か行き来するころにはすっかりお酒も抜けて、旅の疲れもいくらか回復し、爽やかな気分になっていた。

2日目(2024.7.14)

朝から牛肉を食べる文化

ホテルでビールを飲みながらあれこれ話していたら昨夜もずいぶん遅くなってしまったのだけれど、ソルロンタンを食べるために早起きをした。

ソルロンタンとは牛骨・牛肉を長時間煮てつくるスープのことだ。
朝食などに食べるものらしいと聞いて、朝から牛を……!? と戦々恐々としながら店へ向かった。

出てきたソルロンタンはとても優しい味で、たしかにこれなら朝食向きだと納得がいった。
牛肉がごろりと入っているのに脂っこさはなく、中に入ったにゅうめんとお米も柔らかく煮込んであった。風邪をひいた日に食べても良さそう。テーブルに備え付けてある白菜キムチとカクテキもアクセントとしてぴったりだ。

量は昼食/夕食でも十分に満足できるくらいのボリュームだった。ようやく昨日の食事が消化できたところで、今日も満腹でのスタートである。

韓国のコーヒーチェーン、メガコーヒーでコーヒーを注文し、飲みながら歩く。

メガコーヒーという名に恥じぬ、立派な大きさのコーヒーだ。
そして安い。暑い日の散歩のお供にはうってつけだ。

でかい。一番小さいサイズのコーヒーでもスタバのベンティくらいの大きさがある。

日本と韓国の歴史とは植民地支配の歴史

まだ目覚めていない仁寺洞(インサドン)のメインストリートを横目に景福宮(キョンボックン)へ。

景福宮への道中で出会ったぴかぴかの馬。ざらりとした質感が毛並みを感じさせて素敵だ。

景福宮は、1395年に創建された朝鮮王朝の法宮(王の住む宮殿の中で最高位の宮殿)である。
(中略)
日本の植民地時代、日本による意図的な損傷を受け、さらに1915年には朝鮮物産共進会の開催を名目で90%以上の建物が取り壊されてしまった。しかし1990年から本格的な復元事業を行い、昔の朝鮮総督府の建物を撤去するとともに、景福宮の本来の姿を取り戻しつつある。

景福宮パンフレット(日本語版)より

景福宮を歩いていたときの自分の感情に、私はまだ名前をつけられていない。

宮殿は広々としてすばらしい建物ばかりだった。
勤政殿(クンジョンジョン)の荘厳さには息を呑んだし、水に映った慶会楼(キョンフェル)にはしばらく見とれていたし、屋根についた魔除けの装飾の可愛らしさに微笑んだ。

しかし、「文禄の役の際に全焼した」「日本によって殆どが撤去されてしまった」「日本の軍人によって皇后が殺害された」などの文字を見るたびに、日本の犯した罪を思って暗い気持ちになったのも事実である。

植民地支配の歴史を考えれば、精神的な同化を目的として強制的な日本語教育が行われていたことを考えれば、私はこの国のどこでもうっすらと日本語が通じることを無邪気に喜ぶことができない。
「日本人? 日本語メニューあるよ」と呼び込みをされるより、韓国語でまくしたてるように話される方がずっと嬉しいと思ってしまう。
その嬉しさも、何か歪んでいるのかもしれないけれど……。

気持ちに対してすぐに名前をつけることはできなくても、知ることには意味があると思う。

この旅行で景福宮に行くことができてよかった。

謎のオブジェ。……と思ったが将軍標(チャングンピョ)と呼ばれる魔除けであるらしい。写真には映っていないが、向かいに配置された「天下大将軍」と対になっている。
これはほんとうに謎のオブジェ。

歩く(コッタ)/食べる(モㇰタ)/飲む(マシダ)/読む(イルダ)

朝のソルロンタンがまだお腹に居座っていたので、昼食の計画を変更してかき氷を食べることにした。
韓国語でかき氷は氷水(ピンス)という。

まん丸に盛りつけられた氷も、お花模様の皿も愛らしい。

韓国ではかき氷はシェアして食べるのが一般的とのことで、三人でふたつのピンスをつついた。右がラズベリー、左が餡子+きなこ餅のピンスである。
ミルク氷がさっぱりと、しかし普通の氷よりは心なしか優しく身体を冷やしてくれた。餡の甘さが控えめで好みだった。

つかの間の涼みを終えて、北村韓屋村(プクチョンハノクマウル)へ。
韓国の伝統家屋である韓屋(ハノク)が密集するエリアである。

途中で偶然見つけて覗いた白麟済(ペクインジェ)家屋は、程よく空いていたことも添えられた説明が丁寧だったことも好ましく、とても良いスポットだった。

植民地時代に立てられた韓屋を代表する建物で、サランチェ(男性専用の棟)とアンチェ(女性専用の棟)が廊下で繋がっており、外に出なくても自由に移動できるのが同時代の家屋では珍しい特徴らしい。

温突(オンドル)と呼ばれる床暖房システムの解説がおもしろかった。
要するにかまどや炉から出た燃焼ガスを、床下に通すことで部屋を暖めるというものだ。煙突が熱をそのまま外に排出してしまうのに比べるとずいぶんエコなシステムである。


散策は続く。

以下は散策中に見つけた良い感じの階段三選。(唐突)

くまと桃に続く階段。
無造作に置かれた自転車がいい味を出している。
急な階段には、不思議と心惹かれるものがある。ここから落ちたらどうなるだろう、と思いながらぐっと身を乗り出して覗き込むのだ。

行きたかったタップルームにもすんなりと入ることができた。
韓屋を改造した建物でクラフトビールを飲ませてくれる、日本でいう古民家カフェのような店である。屋根の一部がガラス張りになっていて、光のよく入る気持ちのいい空間だった。

ナイスなTシャツが飾られていた。店員さんが袖をくるくるっと丸めて羽織っていたのも可愛かった。

ここでのビールがどれもおいしくて、すっかりお店のファンになってしまった。
家の近くにこんな店が欲しい。

酔い覚ましを兼ねてさらにてくてくと歩き、教保文庫へ。
大きな本屋である。スタバや雑貨屋、小さなアートギャラリーが併設されていて、蔦屋書店に近い雰囲気を感じた。

ここは雑誌、ここはたぶん参考書、とあたりをつけながら回遊する。
日本の本が日本語のまま、それも「日本書籍」というコーナー名までつけられて広々と置かれていたのには驚いた。

せっかくだからなにか日本に持ち帰りたいと思い、可愛い表紙が目についた新書サイズの一冊を購入。
目次を見た感じではおそらく短編集だろう。韓国語の勉強が進んだら、時間をかけて一篇くらい訳してみたいと思った。

これも完全にジャケ買いである。いつか読めるといいな。

夕飯はユッケを食べるべく広蔵市場(カンジャンシジャン)に移動した。
目指すはミシュランにも載った人気の店だ。整理券の30組待ちの記載にはおののいたが、30分ほどで呼び出しがあった。回転も速いらしい。

注文を通すと牛丼のようなスピードで提供される。
ユッケを二皿と生レバーを一皿頼んだのだが、これはこれで一日目とは異なる壮観だった。生肉が山盛りで三皿、目前にどどんと鎮座しているさまはなかなか迫力がある。

そろそろと箸をつけると、どちらも想像よりずっと食べやすい味で安心した。
ユッケはほんのりと塩味がついており、生卵をからめてそのまま食べられる。皿の底に敷き詰められた梨が爽やかな箸休めとなる。
生レバーはごま油と塩をつけて食べる。こちらも癖がなくておいしかった。

生マッコリを頼むと吹きこぼれるくらいの発泡ぶりで、これは日本じゃなかなか味わえないなあと嬉しくなった。

二軒目はマッコリ専門店へ。
店の奥に様々なマッコリがずらりと並んだ冷蔵庫のような部屋があり、そこから自由にマッコリを選ぶことができる。店のマスコットキャラクターであろう虎の描かれたコップも可愛い。

楽しかったのだけれど、購入はボトルのみというルールが悔しかった。一軒目でマッコリを一本と瓶ビールを二本開けていたので、われわれのキャパシティではもう一本が限界だったのである。
こんなにあるのに一種類しか飲めないなんて……と後ろ髪を引かれつつ退店。

チムジルバン、再び

チムジルバンがすっかり気に入ってしまったので、今日は東大門(トンデムン)のスパに足を運んだ。

昨日のチムジルバンと比べると、ここは非常に日本人観光客が多かった。昨日のチムジルバンより混みあっているせいもあるだろうが、景福宮と同じくらいあちらこちらから日本語が聞こえてくる。
売店のおばさんの日本語も流暢である。

施設の中もかなり混雑していて、昨日と同じように寝転がって汗をかくということは難しかった。ぎゅうぎゅうと詰めて入ることになる。
皆三角座りで膝を寄せ合って言葉を交わしている様子は、なんだか中学校の体育の時間に戻ったようで可笑しかった。

こちらの様子を見るに、昨日のチムジルバンはどちらかと言えば地元の人びと向けの施設だったのだろう。
今日のチムジルバンは日本語も通じるし、アクセスもよくて便利ではあるのだけれど、個人的には昨日の施設の方が好みだなと思った。そこかしこで人びとがアザラシのようにだらんと転がっていて、その中に混ざって自分もでろんと転がることの、なんとも言えない良さがあったのである。

タクシーを呼んで帰る。
高速でもないのに80km/sくらいのスピードを出していた。鋭くクラクションを鳴らしながら。
他の車をどんどん抜かしながら走った。警察車両に乗っているような気分だった。

ホテルに帰ってからもコンビニで買ったマッコリを飲み交わした。
書いているとマッコリばかり飲みすぎであることがよくわかる。でもおいしかったんだよな、韓国のマッコリ……。

3日目(2024.7.15)

思いがけない収穫もある

最終日はお土産を見繕いがてらザ・ヒュンダイ・ソウルをうろうろしようと思っていた。

しかし。
到着してみると、入口の扉にはでかでかと垂れ幕がかかっていた。
ハングルは解読できなくとも、「We are closed for today.」の文字はまっすぐに目に飛び込んでくる。

なんとまあ、と三人顔を見合わせ、仕方がないので早めの昼食のため、計画していた冷麺の店に向かうことにする。

道中でIFC mallという建物を見つけて、ここもショッピングモールなのか……? と中を覗き込むも、とてもオフィスにしか見えなかったので断念。
後から調べてみたら、オフィスは地上階のみで、地下は全てショッピングモールとして展開されているらしい。勇気を出して踏み込めばよかった。惜しいことをした。

しかし図らずもオフィス街を軽く見学できたのは嬉しかった。
少し前に読んだチャン・リュジン『仕事の喜びと哀しみ』には汝矣島で働く会社員が登場していたなと思い出す。小説の中の風景と、自分が今歩いている道がふっとオーバーラップする。

汝矣島公園を突っ切って歩いた。
大きい公園というのはいつどこで遭遇しても心が躍る。飛行機の時間がなければここで寝転がって本でも読みたいところだった。
こういう素敵な場所にいきなり出会えることも、旅の嬉しさのひとつだ。

子どもたちが小鳥のようにたわむれていた。

冷麺屋は想像よりも混雑していた。どうやら人気の店のようだった。

冷麺の他に緑豆チヂミを頼んだ。日本で食べるチヂミよりもふかふかしており、パンケーキのようでおいしかった。
冷麺も日本のものよりかなり薄味で意外に感じたけれど、ほんのりきゅうりの香る冷たい汁が喉をするすると落ちていくのは気持ちがよかった。

空港までのバスが17,000ウォンだったので、三人で割れば大して変わらないだろうという見込みでタクシーを呼んだ。
運転手さんは初日と同じようにものすごい踏み込みで、われわれを空港まで運んでくれた。140km/sくらい出ていた瞬間もあった。
お会計は44,000ウォン。一人あたり14,700ウォン程度である。韓国のタクシーは安くてありがたい。

そして帰国

帰りの飛行機は一時間ほど遅れて到着した。

電車でRさんとKさんと別れた後、私は降りる駅を間違えた。
若干の遠回りをして帰る。
旅行の帰り道はいつも、どこかふわふわとした足取りになってしまう。他に足がつかないとはこのことか。

日本と韓国には時差がないから、韓国も今頃はきっと夜だ。
それだけのことが、今はやたらと嬉しいのだった。

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