ベイビーわるきゅーれ2ベイビー♡
映画「ベイビーわるきゅーれ2ベイビー」、滑り込みで観てきました!
前作に引き続いて、ゆるく見えて、人や物事への解像度が引くほど高い。
ゆるさというものへの解像度すら、引くほど高い。
最終的な根底には、時代に対する解像度の高さがあるのか……
今の時代、若くたってなんだって、インターネットの大海原を毎日泳いでバイトも行って、諦観せずに無垢で居る方が難しい。青春→未熟→困難→成長→大人という一本道の階段は、もう消え失せた。社会において、「まったくの未知」はどんどん縮小している。誰もがSNSで他人の人生を追体験し、人生を予習できる時代。
そんな世界観を、ちさととまひろが非常に自然に身に纏っている。敵を倒し壁を乗り越え、何かを成し遂げるんじゃなく。日常という一本道に時折あらわれるイレギュラーに、原状回復のために “対応する” 。彼女たちは少女でも女性でもなく、彼女たちなんだ。そこに段階なんて無い。
もう若者に、成長神話はいらない。
そう思わせてくれる素晴らしい素晴らしい映画。
震えるちさとと待たせるまひろ
まひろが定食屋で被弾した瞬間、戦慄し震えていたちさと。
最終バトルでダウンしたちさとに、「私に賭けて」と言い放つまひろ。
撃ち合いの最中で、まひろの顔の返り血を拭ってあげるちさと。
動けないちさとの顔に血だらけの手で触れ、自身を待たせるまひろ。
全部全部、美しすぎる対比になっている気がする……!!!!
互いに対して抱く気持ちが、互いに対する愛し方が、少しだけ違っているのかもしれないという想像の延長線上に、人間関係の色気を感じた。
人と組むということ
バスケ部の掛け声でガンガン行く兄弟と、
囁き声で誓い合い額を重ねるちさまひ。
当人たちにしか分からない文脈で
当人たちにしか分からない温度感で
排他的に向かい合ってきた歴史が垣間見えて
これが人と組むということの定義だなと感じました。
宮内さんは正真正銘のギャル
気負いすぎず効率的に人と絡むには、相手を傷つけうる杜撰さ ≒ 一種の犠牲を払ってテキパキ進めていく覚悟 のようなものが必要だと私は思っていて。
ちさまひが兄弟をノシた後、車の前で宮内さんと駄弁るシーンで、ちさとにはその杜撰さが身についている一方で、まひろにはそれが無いゆえに、「きちんと的確に」返そうとしすぎて重力が増していくように見えるんです。
でもでも、そんなまひろに対して宮内さんは、ゆる~く軽~く同調してくれるんですよね
これって、すんごく救われるやつだな。
私が思うギャルって、これだなと思いましたね……
金銭感覚の解像度が高杉
前作でメイドの先輩が節約で食べていたスイートブールを、今作では金欠のちさとが食べていた場面、さすがに芸が細かすぎて愛す。あれクソでかくて美味いよなあ
あと、最後の歯を磨くシーン。
ふんだんにハミガキ粉を付けてそれを味わうのって、些細な所から日常の豊かさが戻るという最高の比喩なのかなと解釈しました。巻き戻るラップに対してちさとも言ってたけど、金銭的余裕って細かな所で表れるよね( ;∀;)
取り上げはしなかったけど、
田坂さんと須佐野さんの良さは全観客共通ですよね……
良い職場だなァ……絶対怖いけど……
今後の人生でも見返す予感しかない映画です。