DAY33. 夢のしまいかた
どうしたら、納得できるんだろう。ずっとそればかり考えている。
不妊治療のやめどき。ひとは、いとも簡単に言うのだ。保険適用年齢は理に適っている、それを超えたらあきらめるべきだ。いや、まだ可能性はゼロじゃない、あきらめたら終わりだ。そんなに歳をとった親なんて、子どもがかわいそう。障害が出る確率、高いんでしょう? その年齢で、妊娠出産まで至れる確率は――。
初めて私の子宮に受精卵が着床したのは、結婚7年目の夏だった。ちょうど、コロナで一年延期された東京オリンピックがようやく始まろうとしていた頃。
今、テレビではパリの大舞台でまさかの2回戦敗退となった彼女が崩れ落ち、悲痛な声をあげて泣き叫んでいる。
金メダルに向けて柔道一筋にひた走ってきたその強い思いを称え励まそうと、会場から彼女の名を呼ぶコールが自然発生的に湧き起こって。遠いパリの地で起きているその光景に、じんと胸が熱くなる。
そうか。本当に悔しくて悲しくてたまらなかったら、こんなふうに思いきり泣いたっていいんだな。そんな至極当たり前のことを、心の中でぽつりと呟いた。
あれから、もう3年も経ったのか。
結局、3度の流産をした。どれも8周での心拍停止。そのお別れまでのひとときは、まわりから見るよりも遥かに私たちにとっては長く、深いものだった。でも、いわゆる胎児ネームをつけたのは真ん中のひとりだけだ。
まんちゃん。夫がいつしか呼び出して、「なにそれ、なんか嫌」と馬鹿にしていたのが定着してしまった。2022年3月26日の妊娠判定日、その日は一粒万倍日と天赦日と寅の日が重なる“最強の日”だった。いちりゅう「まん」ばいび、に因んだ「まんちゃん」。
こんな最強の日に私たちのもとにその存在を示してくれたからには、きっとこの手に抱くことができると思った、2度目の妊娠判定。胚盤胞移植7日目のhcgホルモンの数値こそかなり低かったけれど、そこからの追い上げは頼もしかったし、胎嚢もしっかり見えて、心拍も聞けて。今度こそは、と思ったのに。
「生まれてきてくれたら、きっと楽しいよ。この世界は。私たちも全力で、あなたがあなたらしく生きていくことを応援したいと思ってる……」
何度も何度もそう話しかけて過ごした日々は、突然終わりを告げられてしまった。ひとり、冷たい内診台の上で。最強の日、だったんでしょう? 神様なんてやっぱりいないんじゃん。腹の底からそう思った。
気づけば35回目の採卵周期。今回で本当に最後にしようと臨んだ生理3日目の診察で、大きな20mm近い卵胞が見えて。
「それって、よく言う前周期からの遺残卵胞ってやつ? あんまりうまくいかない傾向のやつよね?」などと頭では思いながら、採れるものは採る方針の院長に言われるがまま3日後の採卵が決まった。
これでうまくいかなかったとして、本当に「これで最後だ」と納得できるのだろうか。とはいえ、毎回なんやかんやと問題が起きてばかりの現状で、本当に心から納得できる採卵なんてできないのかも知れない。
そんなことをこねこねと考えるうちに、頭の中はどんどん煩雑になっていく。狂おしいほどにこんがらがって、もはや手の施しようもない。
*
2月、今年も私はまた年をとり、それとともにわが家の筋トレジム通いムーブメントが始まった。最初の3か月ほどはパーソナルジムで教わったけれど、その後は駅前のジムで50kgのデッドリフトやら57.5kgのヒップスラストやらをしている。
とはいえダンベルスクワットとなると22.5kgほどだし、ベンチプレスは20kgのバーがやっと。最近は、もっと腕トレもしていかなければと思っているところだ。
筋トレは妊活のためというより、年齢とともにゆるんだ体を引き締める目的でやっている。でも、もはや口にすらできない密やかな願いもあった。いつかわが子に会えたら。いくらでも抱きしめ、追いかける体力を手にしておきたい――。
このモチベーションが完全になくなったとき、また新しい目標を見つけなければとは思っている。ここのところ計画を始めている終の棲家づくりでは、夫婦で使う筋トレ部屋をつくることも考えているのだった。
筋トレ後に酒を飲むと効果が目減りしてしまうらしいと聞いて、最近はアルコールを抜く日が多い。というかほぼ無。夫は会食だなんだとつきあいでちょくちょく二日酔いになっているけれど、私はすっかりその機会が減ってしまった。
反対に、やたらと食べに来ているのがここの蕎麦屋だった。前は仕事が忙しい昼によく出前をとっていたが、やはり店での作りたてこそ格別だとジャッジしてからは、下手をすると週に何度も足をのばしている。
「カツ煮定食、お願いします」
「私はゆば天せいろ蕎麦で!」
いつもの女将さんにおのおの口づてで注文をして、小さな2人がけ席でいそいそと待つ。すぐ奥の調理場の活気が感じられるこじんまりした蕎麦屋は、いつもだいたい席が埋まっていて、ほどよいざわめきが居心地を良くしている。
ふと目がいった夫の肘もとには、白くて長い、4、5センチほどの毛がついていた。
犬の毛かな。特に声もかけずにその毛を取ろうとして、ぎょっとする。ついているんじゃない、そよいでいる。
「わ、なにこれ」
「ん?」
「白い……毛? 生えてる!?」
「ああ、そうだよ。こいつは大事に育ててるんだよ」
「育てている……」
「聞いてよ。ここにはストーリーがあってさ」
「どういうこと?」
「昔っからさ、いつもここには黒くて長ーい毛が1本だけ生えてたわけよ」
「そうなんだ」
「気になるから、ときどき抜いたりしてたんだけどさ。このあいだ、あれ買ったじゃん? ひげとかにピッてやるやつ」
「ああ、脱毛の光エステね」
「あれをさ、こいつにやったら生えなくなるんじゃないかと思って、剃ったところにピッて、実験的にやってたわけ。あれって黒い毛にだけ反応するってやつじゃん?」
「なるほど……まさか」
「そうなの。そしたらまさかの白髪になって、光をかいくぐって転生してきたのよ、こいつが!」
「えええ」
「そうなってくると、アスファルトの割れ目から健気に生えてるたんぽぽ眺めるみたいな気持ちになってきてさぁ。大事に育てることにしたわ」
「謎の愛情わいてるし……。やめて、腹痛い」
ジムで力を出し切った空腹をよじらせながら夫と笑いあっていたら、それだけで不思議とエネルギーが満ちていくのがわかった。
きっと身体的なガソリンは枯渇ぎみなんだろうけれど。心には、温かいミルクが注がれてほっとするような感じ。そんな心地好い疲労感とともに、今日もおいしく蕎麦をすするのだった。
*
いつも10日は飲むクロミッドを2日だけ、あとは点鼻薬をして終わり。生理6日目に行なわれた35回目のスピード採卵は、確かに1つ成熟卵が採れて、夫の精子と正常に受精した。
ここ最近の成績では、そこまででも快挙だ。私たちはまた性懲りもなく歓喜して抱きあった。でも、そのまま胚盤胞になることはなく。途中で成長を止めてしまったことが、あっさりメールで告げられた。
結局、19回採卵をして7回移植した最初のクリニックから、2度転院をした。その間、35回目の採卵までで凍結できた胚盤胞は2つだけだ。そしてそのどちらもが、着床前遺伝的検査PGT-Aで移植不適のC判定に終わっている。
たった1つの受精卵を移植することすら叶わず、ずっと採卵をし続ける日々。だいぶ図太くはなったけれど、腹の奥にぶすりと針を刺されてひたすらに痛みを逃がし耐える時間は、何度経験しても楽なものではなかった。
それが失敗に終わるたび、またあの時間を過ごさなければならないのかと胸の奥にふっと影が落ちる。
卵が1つも採れずに、空胞に終わった日。朝から採精のため一緒にクリニックへ出向き、仕事でひと足先に帰った夫が、家で私の帰りを迎え入れながら、ぽんと肩をたたいた。
「おつかれさま」
多くを語らず、それだけしみじみと言う夫に、忙しいなか無駄足をさせてしまった申し訳なさと自分のふがいなさとで、思わず目がうるむ。
「打ち上げにおいしいビール飲むなら、いつもの寿司屋かな?」
そう水を向けるやさしさに「うん」と答えながら、もうだめだった。
「どうしよう。まだ採卵続けたい? でもきりがないよね、本当」
「うん、終わりは考えないとね。だけど、もう一度やったら次はもしかしたらって、やっぱり思っちゃうんだよね」
「思っちゃう……」
「それは、俺も同じだからさ。でも」
「でも?」
「いつか区切りはつけなくちゃいけない。君の体には、どうしたってものすごく負担の大きい治療なわけだからさ。君が病気にでもなるんじゃないかって、やっぱり心配だし。もうあと1回なのか、2回なのか、ちゃんと決めようか――」
夫が私と同じように、いやそれ以上に、私たちの子に会いたいと願っているのを知ってる。でも、そこにはちゃんと私との未来もあったんだな。とか、当たり前なんだけど。当たり前じゃなくて、沁みた。すごく。
私たちの夢をおしまいにするのは、さすがにもうそろそろ。それはわかってる。ただただふたりの子の誕生を願うことが、こんなにも手の届かない夢だったなんて。結婚した10年前には思いもよらなかった。
未来はこれからも続いていく。ふたりきりの未来も、きっと楽しい。そうなんだけど。やっぱり、祈らずにはいられないのだ。最後の最後に、どうか夢を見させてください――と。
*
「冷凍ものと。こちらが冷蔵ですね。配達は以上です!」
「はい、ありがとうございます」
いつものように宅配してもらった食料品を受け取って、ドアを閉めようとするのを呼び止められた。
「あの、今週はコープ共済のご案内をしているんですけれど」
ああ、保険の売り込みか。この前も断ったのに。少々面倒に思いながらも笑顔でそつなく返す。
「前にも一度検討したんですけど、歯医者でも通院しているとこの金額では入れないとかで。もう違う保険に入ってしまったので」
「一度ご検討いただいたんですね! ほかの保険に入られたということですが……」
また、あれを聞かれるのだろうか。伝家の宝刀みたいに聞いてくるやつ。このあいだはいい加減にはぐらかしたんだっけ。
「お子さんの保険も、入られていますか?」
やっぱり。いい売り込み文句なんだろうなぁ、一般家庭には。
「ああ、うちは子どもいないんで」
今日は虫の居所が悪かったんだ、ごめんね。そう思いながら、ふっと笑顔は消えた。私だってこんなこと、言霊になりそうで口にしたくはないのに。
「あ、失礼しました。すみません……」
バツが悪そうにするいつもの配達のおじさんを後に、ぱたりと玄関ドアを閉じる。
*
ひとまず、もう一度だけ生理3日目に診てもらおうと夫婦で決めた。生理6日目のイレギュラーな採卵であのまま終わるのは、やっぱりどうしても踏ん切りがつかなくて。
クリニックの待合室で、夫にLINEしながらそのときを待つ。
〈 とりあえず血液検査した。今日は満月の大安らしい。受付番号は77番、ラッキーセブンだな! 〉
もう神様なんて信じられない、何度だってそう思ってきたのに、どこかでいつもゲンをかついでしまう。たぶん、人ってそんなものだ。
《 いい状態だといいね 》
〈 うん。いつもくらいな感じでも、今回は採卵しようか。最後の。 〉
《 そうだね。それで結果がどうであれ、ここでひと区切りにしようか 》
いつも、治療をやめようか、もうこれ以上だめじゃないかと言うのは私のほうばかりで。どんなにネガティブなことを言っても、いつもその不安を打ち消してくれた夫。彼がそんなふうに終わりをはっきりと言葉にするのは、たぶんそれが初めてだった。
そっか。そうだよね。本当に、もう最後なんだーー。
そう思った瞬間、ぽろりと涙がこぼれていた。そのしずくは口元のマスクにそっと受けとめられる。
世間でコロナ禍はもう過去のものになりつつあるけれど。いまだ院内ではマスクをするのが主流で良かった。ここへ通う人たちには、きっとわかる感覚だと思う。
採血をしたあと先に内診をして、小さな卵胞が1つだけ見えた。
〈 卵胞あったけど、また1つだけみたい。いつも通りと言えば、いつも通りだけど 〉
力なく夫にLINEをする。ほどなく、診察室前へ呼び出されたところで返信が来た。
《 いいじゃん、いつも通り。最後も俺たちらしく、一球入魂! 》
そっか、そうだったね。夫に少し力をもらって、これでいよいよ最後の採卵かと、勢い込んで診察室へ入っていく。
今日は院長の診察か、これは幸先がいいかも知れない――。
と、思ったら。
「……え」
差し出された血液検査結果の紙を見て、思わず声が出る。最近落ち着いていたFSHの値が、いつもの倍近い数字をたたき出していて。それは、流産後にしばらく出ていたストレスフルな高値を凌駕するほどだった。
そうしてまた、計画は狂いに狂うのである。私たちは最後の1回の採卵を温存して、今周期は人工授精をすることを選択した。実に5年ぶり。さんざん回数を重ねて、一度もかすったことがない治療方法。
ただ、保険適用ではない卵管内人工授精(m-IUI)は、以前やっていたものとまったく同じではない。それだけが、ほのかな救いだ。
「なんで今さら人工授精?」
最初、私から夫にその提案をしたときには難色を示された。これまでの経緯からも、私たちの年齢からしても、人工授精が成功する確率は限りなくゼロに近いだろう。それは私もわかっている。でも。
「このまま移植もできずに終わるなら、最後にしてもいいのかなって」
移植が叶わない今、どんなにパーセンテージが低かろうとゼロではない方法を、最後にとって終わりたい気持ちがあった。
「そっか」
夫はまた私が治療費の心配からそんなことを言い出したのかと訝しんだようだが、真意を聞いて納得してくれた。
確かに、人工授精なら費用も抑えられるからと、そこからまた何度もくり返し試したくなってしまう可能性もある。そんなふうにも思ったけれど。
*
サンサンという香港の少女の名をつけられた台風10号が無邪気に列島を行脚し、各地に甚大な豪雨をもたらしている。どの企業も在宅勤務を奨励するようなひどい土砂降りの中、私たちは夫の運転でクリニックを目指した。
今日は先負だ。午前中は凶らしいけれど、夫のオンライン会議の合間をぬって決めた人工授精の予定時間は、午後いちだった。
「今日で、もうクリニック行くのも最後になるかも知れないからね」
冗談めかしてそう言ってみる。気づけばなんだか、これですべてを終わらせたいような気持ちになっている。
さんざん煙草を吸って、一日ひと箱は余裕でなくなるようになって、最後は夜通し具合いが悪くなるまで徹底的に吸って、ふっと「もうやめよう」と思った。あの禁煙に成功したときと同じような感覚。あの頃は私も、まだ20代だった。
「え? もう一回採卵するんじゃなかったっけ」
「そうね、どうなるかなぁ……。あ、来週うちの実家へ行くって言ってたけど、車検に出しちゃうんだっけ。電車かな?」
「まあ、レンタカーでも。どうせお酒飲めないでしょう?」
「そうか。私は飲めないけど。飲んであげてよ、うちの母と!」
「やだよー! 俺、ワインのパック酒とか飲みたくないし」
「あはは! きっとあなたには缶ビールくらい出してくれるでしょう。第三のやつかもしれないけど」
この間、母が毎週のように赤ワインのパック酒を何本も買って消費しているという衝撃の話を父から聞いて、すっかりわが家のネタになっている。正直アル中を疑ったが、ポリフェノール効果で健康診断の数値はすこぶる良いのだと本人は豪語していた。今のところは笑い話だ。
フロントガラスに打ちつける、ちょっとした滝みたいな雨音を聞きながら。その中で今日もとりとめのないふたりだけの会話を弾ませる。ここは私の場所。たぶん、これからも。
とうとう夫が46歳になる誕生日の贈りものに、今年はメッセージカードをつけることにした。すでにわが家にいるかけがえのないコたち、犬猫の写真を添えて。綴ったその言葉には、祈りに近い想いを込めた。
お誕生日、おめでとうございます!
あっという間の結婚10周年でしたが、まだまだこれから。人生愉しんでいきましょう。
たくさん笑って過ごせますように。
どうかひとつ、よろしくお願いします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?