生きるすがた
会社の飲み会。ごくありふれた。
目の前にたまたま座った、38才の男性の後輩。
後輩と言っても、お互い複数の会社を経験し、さまざまな立場を経験してきて、一社会人同士敬意を持った間柄(のつもりで私は向き合っている)。
仕事の話し、来年度の予想の話し。他愛もない、少しばかりの上司への愚痴。
まだ若いのだから、上を目指して昇って行って、おばちゃんを引っ張ってよ〜、なんて軽口。いやいや、僕は今のままでいい、この組織で上に上がると失うものもたくさん見えている、と言う。
将来、自分で事業を起こしたいと。学生時代からハリウッドで10年間、映像クリエイターを目指して頑張った。夢は叶わなかったけど、将来は冠婚葬祭のシーンを写真やメディアに残す、最先端の写真屋のようなことをやりたいと言う。その業界でのアルバイト経験もあり、稼げるんですよ、僕腕もあるし、いろいろ描けてますと。
彼は、今の部署に異動してくる前、鬱にかかって半年間休職していた。休職する前は、チームを率いる立場に居たが上昇志向が強すぎ、メンバーを管理しすぎたり、周りと軋轢が生じ浮いていたと言う。パンクしてしまったと。
色々と話をするうち、自分にはタイムリミットがあるのだと話してくれた。健康そうに見えるが、20代の時に発覚した難病で、確実に奥さんや、まだ小さい子供を残してこの世を去ることになるのだと言う。でも5年先とか、そういう話じゃないですよ、と。びっくりして、反応が遅れた。周りに人もいるし、病名は聞けなかった。
鬱になる前、家族にお金をたくさん残すためには、自分がいなくなった後家族が生きていくためには、とにかく早く昇進して、給料を上げたかったと。でも今は、残された時間を、健康な人の2倍の幸せを感じながら生きたいと思うようになったと。だから会社で無理はしない。できるだけ早く、やりたかった仕事が始められるように定時で退社し、会社にいる以外の時間、経営や最先端のメディア加工技術の勉強をしていると。
冠婚葬祭のタイミングで残される記録の価値は、コンテンツの質では語れないと言い切った。その瞬間を記録する、その行動にこそ大きな大きな意味があると。どんなに雑な写真でも、それは人々の心を強く揺さぶる。だから僕はその仕事がしたい。今、練習のために休日には老人施設にボランティアで行って、写真や動画を撮らせてもらったりしてる、と言う。
私も、過去の罹患が原因で一部特約をつけた保険に入れない。ここまで話してくれた彼に応えたくて、その周辺の話を打ち明けた。彼が一人で抱え続けてきた気持ちを、少しだけでも分け合いたかった。彼も保険は無理だと言った。住宅ローンも組めないと言った。家族に申し訳ないと言った。
彼は、ずっと笑って話してくれた。私は、やや泣いてしまった。
難病がわかってから、想像もできないほどの絶望と苦悩を乗り越えてきたのだろう。結婚し、奥さんやお子さんが支えてくれたことも大きいだろう。それがあったから、今明確な将来のビジョンがあって、笑顔で自分の生活をコントロールし、夢に向かって歩いているのだろう。
多くの人々が行き交う街並み。満員電車の中。オフィスの風景。チームミーティングの様子。目に見えるものだけでは分からないものが、本当にたくさんこの世にはある。タイムリミットを告げられた人が、生きていることの素晴らしさという大地にしっかりと両足をつけて、懸命に、時に静かに毎日を刻むすがた。私が、今夜彼と話せたことを、偶然にしたくない。彼が話してくれたことを、大切にしたい。
命を輝かせて生きるということ。その意味を明確に教えてくれたことに、心から感謝したい。ありがとう、明日からも、お互い仕事がんばろうね。その夢と、あなたと、あなたの家族の周りには、光り輝く勇気の星々が煌めいているよ。
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