愛のしるし
ヤワなハートがしびれる~
ここちよい針のシゲキ~
やっと本当のサイレント期間に入ったようです。
興味のあった手相鑑定を、周りのサポートにより仕事で取り入れることが可能となり、もともと好きな仕事だったのにさらに楽しくなってきました。
秋の予定だった夫の単身赴任が早まり、この4月から娘と二人暮らしです。
現実、よく動きますねw
正直言ってここまでとは思いませんでした。
興味のあること、好きなこと、
どんどん吸収して、マイペースに楽しんでいます。
【右手の濃い結婚線=執着だと思っていた】
いつからか右手の小指の下のところに、切り傷かと思うほどの赤く濃い結婚線が入っていて
手相の流年法(予想される人生の出来事の年齢を知る法則)を勉強したうえで、きっとこれは相手への執着を顕しているんだろうな、と この一年くらい思っていました。
はやく薄くなってしまえばいいのに。
一人で過ごす時間があると眺めてしまう消えそうにない深い線に注目する日々。
2月にした相手との久々のやりとりの結果、少しずつ相手への情熱のようなものが冷えていくのを感じながら、そこに居るのが当たり前になった頭の中をなんとか上手く使いこなせるように余力を工夫して、家族で過ごす時間も、一人で瞑想するひと時も、仕事を楽しむ間も、何も言わずにただそこにある存在感に慣れてきたころ。
私のこの赤い線は、果たして彼だけに向けられたものだろうか?
という疑問が沸いてきた。
先日私は彼にできる限りシンプルな感情を伝えきったので、(ツインレイなんじゃないかと思ってることも含めて)
相手との関係にいま後悔がない。
だったらこの執着だと思っていた線は、本当は違うのでは?
そして思い至ったのが
これは【私のいるこの世界への愛】なのではないか、という考え。
とにかく大好きなのだ
私が生まれてきたこの宇宙の
今あるこの環境や私自身、周りに居る人たちすべて。
それぞれが生きていて、それぞれの一面を見せて、
私に接してたくさんの経験をくれる。
波長が合う人もそうでない人も。
すれ違うだけの人も家族になった人も。
全てが私の世界を楽しくしてくれている。魂を成長させてくれる。
そう思って右手をみると、優しい、温かい気持ちが溢れてくる。
私はツインレイ概念を知った時点で、わりと思い込みが強い自覚があったので(そんな自分も好きなんですけどw
今回のことは、誰に対してどうこうするというものではなく、単なる意識の変換。勝手に暗いほうへ向かうベクトルを眩しいほうに向けて自分で方向転換したようなもの。
執着という言葉が持っている力に、私はどうやら長い間悩まされたようでした。それはいつか消えていくものではなく、自分を知ることで純粋なものに変えていけるのだろうと思います。
【胸(みぞおち)の痛みは、車輪(リール)を回して】
以前にも、エゴがうごめいたときに胸が痛む仕組みになっているようだと書きましたが、
最近は、私が自己犠牲してしまった時のことを思い出すと痛みます。
「忘れてな」「これからだって会うこともないんだから」
忘れないで、いつまでも覚えていてほしい。
そしていつか会えたらいいのに。
相手を苦しめたくない、重いと思われたくない、そんな理由から押し殺した気持ち。それらの、私が自分で選んだ言葉は今でも胸をぎゅっとさせます。
後ろによけたり、前に進んだり、いろいろイメージすることでその痛みを回避する方法を模索してきましたが、
今回は胸のところに車輪があってそれをなるべく勢いよく回すことを思いつきました。回転方向はなんとなく時計と反対周り(自分側から見て)
音もなく回転する車輪をイメージしていると、ふしぎと痛みが遠のきます。
流れの中で今ここにいて、胸の痛みがあった自分を確認して、
癒してあげるような感覚。
車輪が回ると痛みの元(エゴ)はキラキラと弾けてリールにひろがって
車輪はもっと速く回るようになるイメージです。潤滑油?
少し強くなるために 壊れたボートで一人 漕いで行く
理由もないのに輝く それだけが愛のしるし
基本は回想録として書いていますが、何かの気の迷いでこの記事にたどり着いた方がいらしたら、少しでも楽しんで頂けていれば幸いです。今回も読んでくださってありがとうございました。