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解放されつつあるようだ。


いろんな経験を経て大人になっていくわけだけど
その過程で自分自身にいろんな変化が訪れる。

最近の私の変化を聞いて欲しい。
というか、忘れないように書いておこうと思う。
備忘録。
せっかく考え方に良い変化があったり何かしらの気付きを得たりしても、
余裕がなくなると忘れてしまって同じことを繰り返すのが私のダメなところなので(笑)
読めば思い出せるように書き留めておこう。

変化だとか気付きだとか言ってますが、
意識して何かを変えたわけでも
じっくり考えて結論を導いたわけでもなくて、
日常のなかで、ふと
そういえば自分の考え方が変わっているな
ということに気づいただけなんです。

結論から言うと、

「こうあるべきだ」という思い込みというか、理想というか、
とにかくありとあらゆる「べき」から
ようやく解放されたような気がするのです。
今まで自分の中の「べき」にこだわりすぎていたことに気づいたというか。

私は常に
「役者ならこうあるべき」
「母親ならこうあるべき」
という「べき」に縛られていて、
でも自分のキャパシティや実力が理想に追いつかず
身動きが取れない状況がもうずっと続いていたように思うのです。
そして、追いつかない自分自身への焦りとか、不満とか情けなさ、恥ずかしさが積もって
それ故に自己肯定感が薄れていたのではないかと思うのです。
自信がなくなると失敗が怖くなり、さらに動けなくなり、そしてまたさらに自信を失う……という負のループ。
(これってありがちだけど、抜け出すのは簡単ではないよね。)

さらには自分の「べき」を他人にも投影して、
そこに当てはまらない人は「間違っている」と
無意識に思ってしまっていたような気がします。
自分の自信のなさを他人を落とすことで誤魔化していたのかもしれませんが……(最低!だけど、これも意外とありがち…では…ないか…? すみません。)


でも最近気づいたんです。

心の底から「人それぞれだからな〜」と呑気に思えている自分に。

「理想とは違うけど、こういうのもありか」
「本当はこうしたいけど、焦らなくてもいいか」
「出来ることだけやればいいか」
「私とは違うけど、あの人はあの人のやり方があるよな」
「私には私のペースがあるよな」

ぜんぶ普通のことですが、今までなかなかそうは思えなかった。それが、思えるようになった。
これは大きな変化だな と。

何かしないと、何かしないと と常に焦っていた気持ちから解放されて、
失敗することへの恐怖心や自分自身へのネガティブな気持ちが薄れている と感じます。

コロナ禍になってからも「表現者としてとにかく何かするべき」と焦っていたのが
「何かやりたいことがあったら実現させればいい、そうじゃないなら今は母親業を楽しめばいいじゃない」と思えるし、
「何かを始めたらとにかく続けるべき」と気負っていたのが
「とりあえずやってみて、無理だと思えば誰にも迷惑をかけないなら好きに辞めてもいいじゃない」と思える。
気負いがなくなれば身動きは取りやすい。

無気力なわけでも情熱が消えたわけでもなく、
ただ肩の荷が軽ければむしろいろんなことにチャレンジしやすい。
その余白がより良い育児や表現を生むかもしれない。

自分にプレッシャーをかけることが
責任を負うことだと思ってしまっていた気がする。
それは気のせいだ!

責任を負っているふりをして、むしろ本当に負わなければならない責任を果たせていなかったように思う!

そんなわけで、これまでの自分から少し考え方が変わった私だけれども、

そんな自分の変化に気づいて
いちばんに思ったことは

「変化した自分がするお芝居はどんなだろうか?」
「変化した自分で稽古をしたら何か違うのかな?」


お芝居が大好きなことは!!
なんっっにも変わってません!!!
(無理やりまとめに入る奴。すみません。)


早くお芝居がしたいです。
たらふく芝居したいです。
しこたま芝居したいです。


なんやーこの締め方ー。もやっとするなー。


まぁあとはね、私の変化を傍から見ても分かるくらい明確なものにして、
実際またお芝居する日が来たら、「なんかさいとう変わったな」と
良い意味で言われるくらいになれるように頑張ろうかなっと。思います。

成長したいなら、学ぶべき!努力するべき!
またお前か、べきーーー!!!!


読んでくれてありがとう!
ではまた!



さいとう はる

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