創作に役立たない用語偽典「ダモクレスの剣」
リライトしました。
以下はリライト前のものです。
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創作の役に立つ用語辞典の没ネタです。
『ダモクレスの剣』は、古代ギリシャ時代の故事。シラクサの僭主ディオニュシオス二世は、権力に憧れる若き臣下ダモクレスを玉座に座らせるが、その頭上には糸状のもので吊り下げられた剣があった。権力は魅力的に映るけど危険と隣り合わせ、ということをダモクレスは悟る。
没にした理由はふたつ。まーまーよく知られている話だから、というのがひとつ。もうひとつは、例に出されるケネディ大統領による引用に気になるところがあったから。
1961年9月、国連で演説したアメリカ大統領ジョン・F・ケネディは「今日、この惑星のすべての住民は、この惑星がもはや居住できないかもしれないという日を考えなければならない。男も女も子供も、わずかな糸で吊るされた核のダモクレスの剣の下で生きており、事故や誤算、あるいは狂気によって、いつでも切り落とされる可能性がある」と述べたという(翻訳はDeepLによる)。
この発言がダモクレスの剣の使用例として挙げられるが、なんとも納まりが悪い。
核は大量破壊兵器以外の何物でもなく、もちろん危険な代物。とはいえ日本の広島と長崎に落とされた原爆被害はすでに世界で知られており、わざわざ剣に例えても人々に対して危機を示す効果を持たない。
しかも米ソで前面に核を押し出して冷戦をやらかしている真っただ中、もうお互いに剣を構えて切っ先がカチカチ触れ合っている状態なので、ダモクレスの剣が持つ「普通なら目につかないもの」のニュアンスも持たない。
世界中の人々の頭上に核が降り注ぐ恐れがあったことは確か。とはいえ人々は権力を得て玉座に座しているわけではないので「権力に伴う危険」を意味するダモクレスの剣とは状況がまったく異なる。
ただ、核のイメージは人々と権力者では異なる。
核のボタンを握る者は「本気で撃つつもり」があるかないかを知っているからだ。撃つつもりがなければ、核は外交上のカードの一枚にすぎない。
そうした前提で考えれば、世界の人々は核がもたらす均衡によって(仮初の)平和を享受しており、これは人々が欲する『玉座』に相当するかもしれない。それなら、頭上に光る『ダモクレスの剣』とは何か。単純に、構図で言えば"敵の核"だ。
大切なのは剣は道具に過ぎないということだ。『ダモクレスの剣』の故事は剣が吊るされていることで"糸を切る者"という真の脅威が隠されてしまっている。
しかし、ケネディは演説の中で糸を切る者として「事故や誤算、あるいは狂気」の名を挙げた。当時、それは米ソ両国以外になかった。