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音なしで真剣ゲーミング

少し前から、ゲームのBGMをオフにするようにしています。

「ゲームミュージック、いいのに~。もったいない!」という声が聞こえてきそうですし、それには完全に同意なのですが、心を鬼にしてBGMをオフにするようにしたところ、「うまくいった」のです。

なにがうまくいったかって、それは「文章を読むこと」です。

本来ならごく当たり前のことですが、音楽を聴きながら文章を読むのはちょっとつらく、なかなか内容が頭に入りません。ぼく自身ずっと、ゲームのテキスト程度なら気にするほどではないと思ってたくさんのアドベンチャーゲームやRPGを楽しんできました。でも、BGMを消してみたらよりいっそう良かったのです。

『ドラゴンクエストX』ではBGMの音量を1(最小)に。音なし戦闘シーンも意外といい。

きっかけは近年、本などの資料を読み込まないといけない仕事をしてきたことです。資料を読み、事実関係を間違わずにそれでいてわかりやすく記事をまとめるようなものと思ってください。これ、音楽を聞きながらでは無理だったんです。

もともとぼくは昔からPC・ゲーム寄りの編集者、ライターとして、その仕事は平然と音楽を聴きながらやっていました。また、プログラミングの仕事も音楽をかけながらやってきました。どちらも、問題ありません。でも、ゲーム寄りの記事はアウトプットが中心でインプットは伴わないことが多く、プログラミングは極端に集中するので音楽は途中から耳に入らなくなります。

でもゲーム、特にRPGなどの「お話」はインプットが中心です。いつの頃からかぼくはRPGを楽しめなくなり、実は10年以上前から単体の新作RPGをプレイしていません。

でも昔は楽しめたのに、今はダメというのはおかしいですよね。ただ、この理由はわりとハッキリしていて、それは「物語の複雑化」が著しいからです。アニメの『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)、ゲームの『ファイナルファンタジーVII』(1997年)以降、ゲームなどの若者向けエンタメの物語は複雑化し、伏線が多用されて裏をかく展開が高く評価されるようになり、やがてそれが当たり前のようになっていきました。

思えば、FF7の時点で疑問ではあったんです。FF7はある意味「ぶっ壊れた」ゲームバランスが楽しくゲームとしては秀作だと思いますが、物語についてはあまり興味がわきませんでした。その後、『ゼノギアス』あたりも「そっち系」の作品で、ぼくは大好きですがそれでも細部を覚えていないし、プレイしていた当時からあちこちに「もや」がかかったような気がしていました。

一方で、ドラマや映画などの物語は楽しめるので「ゲームの物語はもういいや」と思うようになっていったのです。でも、これだっておかしいですよね。ドラマも映画もBGMはありますから。ぼくは特に海外ドラマが好きで、しかも「字幕の方が、内容が頭に入る」と感じています。

ゲームはBGMを神格化しすぎ

なにが違うかといえば、映画やドラマは「あくまでBGMにすぎない」という扱いで、人が喋るときは音量を下げていますし、あまり「熱く」なるBGMは使用しません。言葉なし、動きで語るアクションシーンは別ですが。

対してゲームは、BGMの音量調整をしないものが多く、しかも「熱く」なるBGMを好んで使ってきます。大昔のアクションゲームならともかく、RPGでそれは困ります。特に、こうも物語が複雑化してくるとさすがにBGMは邪魔なのではないかと思ったわけです。ゲームは全般に、他の映像系エンタメに比べてBGMを大きく扱いすぎです。

今の(日本の)コンシューマーゲーム業界はバブル期に勃興し、その後不景気のなかで必死になって「商売っ気」を高め、また他のエンタメに比べて内容を伝えにくいという特性も相まって、やたらと「人」を神格化してきたという経緯があります。プロデューサー、作曲者、声優など「人」の名前を連呼することで関心を引こうとする一方で、本質的なプレイの快適さが犠牲にされていることがあるように思えます。

『Age of Empires DE』ではシナリオの説明文を読み上げてくれますが、残念ながらOFFに。

でもちょっと困ったことも

なにせ現実にはBGMなんて流れていないわけですから、本来BGMはなくてもいいものです。特に近年のゲームはちょっとした自然音・環境音が豊富になってきているのでBGMをOFFにしたほうが、その「世界」を感じることができて没入感が増すことさえあります。今となっては「BGMがないと寂しい」という考えは、制限が多かったファミコン時代の名残り、先入観を引きずっていたのだとすら感じます。

激しく出遅れながら先日始めたドラクエ10は初めからBGMをOFF……にはできないのですが音量を最小にしていてとても快適ですし、FF11もBGMをOFFを基本にするようにしています。

もっとも、FF11のBGMを主に作曲している水田直志さんの曲は大好きなので、最新シナリオ『蝕世のエンブリオ』は新曲を聴くためもあってイベントシーンを2回見ています。

ところが、ちょっと困ったことが起きました。

『FINAL FANTASY XI』は、複雑な世界設定が解き明かされていくのを楽しむ物語。
BGMもとても良いのがつらいところ。

FF11のBGMは、主要なテーマに関連するフレーズが複数の曲で共有されていることがあるのですが、それが新曲にもあり、またイベントシーンの内容ともつながりがあるようなのです。こうした、BGMによって他のシーンとのつながりを感じさせる演出はとても意義のあるものですから、これは正直に「聴き逃したくない!」と感じます。

テキストが表示されるようなイベントシーンでは、音量を小さくできるようにしてくれるだけでもいいんですけどね。有意義にBGMを活用している作品のためにこそ、そのあたりのメリハリをつけてほしいところです。

(おしまい)

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