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#読書 『原発亡国論』

『原発亡国論』(2021年)を読んだ。PCを使ってなにかを作る作業を続けてきた身としては、電力消費の先にあった原発事故について鈍感ではいられない。

本書の著者・木村俊雄さんは、子どものころから福島で過ごし、長年に渡って東京電力に勤め、福島第一原発の原子炉設計や管理・運転に関わってきた人物。

しかし木村さんは東電勤務時、原発の危険性に気付く。核廃棄物について「絶対に人類が共存できないシロモノ」と述べる木村さんは「人類の未来を破壊しかねない巨悪の片棒を担ぐこと」に嫌気がさし、2000年に東京電力を退職。原発の危険性を訴え始めた。

2005年1月発行のミニコミ誌『小さなくらし』への寄稿では「津波来襲により、冷却用海水ポンプや非常用の電源などの機能が喪失するだろうから、結果的に炉心は融解する」と記す。この予見が2011年3月11日に現実のものとなる。こうして木村さんは福島第一原発のメルトダウンを予見した唯一の人物として、注目を浴びることになった。事故後に。

本書では、日本の原子力行政の裏側と福島第一原発事故の背景を直接見てきた木村さんの視点で、その問題点が明らかにされる。

もっとも、原発が"駄目駄目"なのはわかっているから、10の罪状が50になろうと100になろうともはやどうでもいいと考える向きもあるかもしれない。そういう視点で見れば、『原発亡国論』という書名は少し仰々しい気もする。本書は原発を技術的に深堀りする書ではない。字は小説より大きく、1ページあたりの文字数も少なめ。難解な専門用語が飛び交うことはなく、図版も多用されていてわかりやすい。興味があれば、中高生でも理解できる内容といえるはず。

そして本書は、原発のない未来を作り出せることを語る『反原発興国論』の、その前向きな内容に価値がある。

例えば、「経済のために原発が必要」とする言説への反論として木村さんは、廃炉が推進されれば、その予算により立地自治体の経済を50年間安泰にさせられることを指摘している。

なお木村さんは現在、電気を「自分で作って」暮らしており、電力会社からまったく電気を買っていないという。家が電線とつながっておらず、電力会社の送配電系統(グリッド)から独立していることから、これを"オフグリッド生活"と呼ぶ。

そう言われるとつい、ロウソクの灯りのもとで木村さんが本書を執筆する様子を想像してしまうが、TVやPC、冷蔵庫、洗濯機などを使う"普通の生活"をしており、スマホでYouTubeも観るという。

また本書で木村さんは、反原発をうたうも行動が伴わない政治家や、即時原発ゼロを掲げる党に属していながらオール電化の家に暮らす議員に苛立ちを示す。与野党問わず、政治の動きは悪い。

しかし木村さんは一般の読者に対してまで、オフグリッド生活を送ることやオール電化をやめることを求めてはいない。特に、火の気が心配なお年寄りに対しては「オール電化でもいいと思う」との配慮を見せる。

木村さんは電気を捨て中世に戻れなどと過激なことを言っているわけではなく、あくまで電気の使い方についてその意義の有無を問う。電気の無駄遣いをやめることは、電気のありがたみを知ることになると同時に、原発を減らしていくことにつながる。

そして木村さんが生活の中で心掛けている"減電ライフ"のノウハウは、無駄に高い電気料金を少し安く済ませるため、誰もが実用できる。

例えば、木村さんは全自動洗濯機で「標準モード」を使わず「お急ぎモード」を使っても、結果はほとんど変わらないことを試したうえで、汚れがひどくない場合は「お急ぎモード」を勧めている。

これはぼくも試してみて、継続している。うちの洗濯機は筆者が小学生のころからもう40年ほど使っているものなので全自動ではないけれど、洗いやすすぎの時間を2・3割短くしても問題ないことを実感できている。

洗濯洗剤もメーカーが指定する量はかなり大袈裟と言われており、半分程度にしている。洗剤の量が多いとすすぎが足りないと感じるかもしれないので、あわせて洗剤の量も減らして、二重に節約するのがいいかもしれない。

気になるのは、電気ポットの話。電気ポットの使用を皆がやめれば原発を3基とめられるという話があるのだけれど、ぼくは最近電気ポットを買ったばかり。「これ、どうするかなー」というのが今のぼくの一番の悩みかもしれない。電気をジャンジャン消費することにためらいがある方は、ぜひ本書を手に取って、いっしょに「どうするかなー」と悩んでほしいなと思います。

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