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連載 セルフタッチング入門 第12回(最終回) 「セルフタッチング」と「セルフコンパッション」

 いよいよ、本連載「セルフタッチング入門」も最終回となりました。ご自身の手で、自分の身体に触れる“セルフタッチング”の旅は、いかがでしたでしょうか。
この回では全体のまとめとして「セルフタッチング」と、自分自身をかけがえのない存在として慈しむ「セルフコンパッション」との関係を考えます。
  唯一無二の最も大切な存在である「わたし自身」に寄り添うために、その存在に気づき、慈しむための「ワーク」も2つ紹介します。

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わたしに触れる、コロナ時代のタッチケア

セルフタッチング入門


第12回(最終回) 「セルフタッチング」と「セルフコンパッション」
文●中川れい子

わたしのことを、好きになってもいいですか?

「ほんとうに、ほんとうに、わたしのことを好きになってもいいのでしょうか?」

このような質問を受けたのは一度や二度ではありません。エサレン®ボディワークの施術の前の時もありますし、その直後のこともあります。でも私は、その方に「自分のことをもっと愛してください、好きになってください」とアドバイスするわけではありません。

言葉でいくらアドバイスをしても頭の中で抵抗がおきやすいので、セッションでは言葉での誘導は控え目にし、自分の内側から沸き起こる感覚を見守るようにしています。大切な存在として、その方のお身体とゆっくり対話するようにして触れながら、身体のバランスを調えつつ、心地よさを伝えていく。ただ、それだけです。

もちろん初めての施術が終わった後に、ご自身から「なんだか、自分が愛おしくなってきました。もっと、自分のことを大切にしようと思います」というご感想をくださる方も大勢おられます。

身体が“安心感”と“心地よさ”を体験しはじめると、ごく自然と「自分を好きになる」回路が開かれていきます。“心地よい”と“好き”の感覚はつながりやすく、そこからもたらされるリラクセーションが、オキシトシンやセロトニンの分泌(自己尊重感や多幸感を深める作用があります)を、脳内で促すからでもあります。そして、何よりも大切に触れられることにより、身体が“ここに在る”、そして“大切な存在”であることに気づいていくからなのでしょう。

疲れて自分自身がわからなくなり、自分を愛せないような気持ちになったときは、あなたの身体をとても大切に触れて、穏やかなリラクセーションを促すような施術を受けることをお勧めします。でも慣れないうちは、他人に触れられること自体が怖れや不安を引き起こすかもしれません。そういう場合は、自分で自分に触れる“セルフタッチング”が良いでしょう。自分で自分に触れるのなら、比較的安心ですね。

それでも、思考や思い込みが、その感覚を否定しようとすることがあります。
どうやら自分の身体は気持ちがいいと感じはじめている。
でも、ほんとうにその感覚を信じてもいいのだろうか?

そしてもう一度、私に言葉で確認されることも。
「ほんとうに、ほんとうに、いいのですか? 自分を好きになっても? 自分を愛しても? 自分を大切にしても?」
「もちろんですよ」と、私は、答えます。
「だって、あなたには、あなたしかいないのです。あなた自身が、あなたにとって一番大切な存在で、あなたが“今・ここ”にいる世界はあなた自身を通してしか存在しません。あなたが今どういう状態であれ、あなたがあなたの人生と、あなたの身体の主人公なのです」

でも…、かく言うわたしも、小さいときはずっと、
「きっと、わたしは、いないほうがいいんだ」
「できることなら、消えてしまいたい…」、とずっと思っていたのです。
自分の存在の、不確かさに、いつもおびえていました。
そんなわたしが、気が付けば、自分自身を慈しむことを大切にすることを語りだしたのですから、不思議ですね。そう…ある時から、セルフコンパッションを受け入れるようになったのです。

「コンパッション」と「共感」の違い


あるがままの自分自身の尊さを受け取ることを、「セルフコンパッション(Self Compassion)」といいます。これは「セルフラブ (Self Love)」とも似ていますが、微妙な違いがあります。セルフラブには、「好きになれるような自分になりたい」「自分の好きなように思い通りに生きたい」…というニュアンスと重なりがちですが(それが悪いわけではありません)、それに対して、セルフコンパッションは「〇〇だから愛する」「○○だから好き」ではなく、自分自身をあるがままに受容し、無条件の愛を自分に届けるという意味合いが深まります。

まずは、セルフコンパッションの言葉の元となる“コンパッション(Compassion)”という言葉について考えてみましょう。コンパッションは一般的に「思いやり・慈しみ・慈悲・慈愛」と日本語に訳されますが、Com-という接頭語は「ともに」「一緒に」、Passionは「情熱」「感情」を表し、「Compassion=共に感じる・喜怒哀楽等の感情や情熱をわかちあう」、という意味が言葉の背後に流れています。そういう意味では、「共感(Empathy)」とも似ているかもしれませんが、やはり微妙に異なります。

「共感(Empathy)」とは、他者の悲しみや喜びをまるで自分のことのように悲しみ、喜び、感じ取る感受性をあらわします。愛する家族の突然の死や、突然の災難で悲嘆に暮れるとき、その悲しみをまるで自分のことのように共感してくれる人が寄り添ってくれることは、時に励まされることもあります。
ですが、時に当事者以上にその感情にとらわれたり、また、他者の悲しみや苦しみが脳内で自動的に再現されてしまうので、その悲しみの主体が誰であるかが混同されがちです。あるいは、絶え間なく共感し続けることで、援助者自身が傷つき、疲れ果て、燃え尽き症候群に陥ることも。支援する側の人は、自分の心の中で起きている他者への共感について、客観的に気づく必要があるでしょう。

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それに対して、コンパッションは、悲しみや苦しみの中にいる人に対して、“今・ここ”で“あるがまま”に共に在ることを意味します。悲しみや痛みをわかちあいつつ、ただ、共に在るのです。その方の悲しみが消えてしまえばいいなぁとか、痛みが軽減すればいいなぁとか、その人に対しての自分自身の期待や願望を手放して、ただ、あるがままの存在を受容し、寄り添うことがコンパッションだと言えるでしょう。

なので、コンパッションを深めるには「“今・ここ”をあるがままに気づくこと」、すなわち“マインドフルネス”のプラクティス(練習)が重要となります。グラウンディングやセンタリングも、同じく役立ちます。そうすることで、自分自身にも、他者に対しても“気づき”が広がり、より適切なサポート(思いやり)へと深まっていくのではないでしょうか。

セルフコンパッションとはなにか? その可能性


他者へのコンパッション(慈しみ・思いやり)と同じようなことを自分自身にも向けてみましょう。自分に対するコンパッション、「セルフコンパッション(Self Compassion)」は、ただ、あるがままの自分を、今・ここで、ジャッジすることなく受容し、この世で唯一無二である最も大切な存在である自分自身に寄り添うことを意味します。

悲しみも、痛みも、やるせなさも、ふがいなさ等、ネガティブな側面も含めて、いったん“そのまま”にして、今、この瞬間、まるごとの自分をあるがままに受け止めることがセルフコンパッションだと言えます。

そして、自分自身へのセルフコンパッションが深まると、他者に対して、無意識に「こうでなければいけない」というフィルターをかけている自分にも気づきやすくなります。なので、自分自身へのセルフコンパッションが深まると、他者へのコンパッションもごく自然と深まっていくと言われています。

最近の研究では、“セルフコンパッション”を高めることで、幸福感(well-being)が深まり、人生への満足度、感謝の気持ち、ポジティブで楽観的な姿勢を高め、また、ストレスを軽減し、レジリエンスを高めることも報告されています。セルフコンパッションによって、人生に起こりうるどのような状況の中でも自分自身を受容し、人生にやすらぎを見出す力が深まっていくからではないでしょうか。

お釈迦様が生まれてすぐに「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」と唱えたという説話があります。これは「人間はなんらかの条件があるから尊いのではなく、能力や地位、学歴や財産や健康状態などの有無にとらわれず、あるがままで尊い“わたし”を見出すこと」を説く言葉であるといいます。まさに、セルフコンパッション、そのもののお言葉ですね。

その生まれてすぐのお釈迦様の姿をあらわした像は、右手は天に、左手は地に向けられています。これは、天と地につながった自分自身の存在を示しているのでしょう。前回の、全身をつなげるセルフタッチングでお話をした“天と地とつながった、私のからだ(天・地・人)”のイメージをもう一度想像してみてください。

あなたにとってくつろげる場所は?〜セルフコンパッションを体験する


とはいえ、まずは身近なところから、セルフコンパッションを体験していきましょう。セルフコンパッションのはじまりは、あなたの身体感覚にとって心地よいことを見つけることでもあります。なぜならば、身体感覚は私達を“今・ここ”につなげてくれるからです。わが子をやさしく見守り、子どもが求めることに敏感に応える母親のように、自分自身の身体の声に耳を傾けてみましょう。

あなたにとって自室で寛げる場所はどこですか? 少し、まわりを見渡してみましょう。あなたが今いる場所や空間は、安全で心地の良いところでしょうか? 室温はどうですか? 寒すぎたり暑すぎたりしたら、少し調整してみましょう。座っている場所はどうでしょう? ソファーや座布団の座り心地の感触は? 夜のくつろぎの時間、身に着けている衣類の感触はどうでしょう? 締め付けすぎたり、固かったりしたら、それも調整してみましょう。好きな音楽をかけたり、好きな香りを空間に広げていくのもおすすめです。

呼吸するときのお腹の感覚はどのような感じがしますか? 息苦しさを感じたり、スムーズに動かず居心地の悪さを感じても、今は、それを否定したり、ジャッジしたりせずに、あるがままに感じてみましょう。激しい睡魔を感じたら、それはあなたの身体が休養を必要としているのかもしれないので、眠ることをゆるしてみましょう。

もしも、お部屋が散らかっていたらお掃除するのも良いですが、まずは、自分の身体の周辺の小さな空間から調えていきましょう。あるいは、片付けるときに人の助けを借りるのも良いかもしれません。

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不完全で、変化し続ける「わたし」を慈しむ
今、できる範囲でいいのです。
自分の身体の小さな声にただ、耳を傾けてください。
完璧を求めすぎずに自分にやさしくしましょう。
人間とは、不完全なものなのです。

自分の中で感じる小さな違和感や、居心地のよくない感覚は、あなたの身体があなた自身に対して伝えようとしているメッセージでもあるのです。あなたの身体が、あなた自身に“思い出してほしい”とシグナルを送っていて、それは、あなた自身も気づいていない、意識でとらえられる以上の、あなたを超えた“大いなるあなた”の声でもあります。

そこには、ふだん自分では気づかないような自分自身も含まります。それは、もしかすると、あなたにとって、不完全で、見栄えのよくない自分かもしれませんが、恐れず、否定せず、勇気をもってそのままに、あるがままを抱きしめてみましょう。あなたが否定してしまいたい不完全さの中に、あなたの気づいていない未知の可能性が隠れていることがあるのです。

自分自身の感じ方が少しずつ変化していくことも見守ってください。
変化は”希望”の代名詞なのかもしれません。
不完全さとは“美”の故郷(ふるさと)ではないでしょうか。

なぜ、セルフコンパッションは難しいの?〜内側を感じるWORK


「いやいや、そんなこと出来ないですよ」「難しいです、とても無理!」と、私たちの思考は、横やりを入れてくるかもしれません。ではなぜ、自分自身という唯一無二の存在を“あるがまま”に愛することが、難しいのか? をもう少し考えてみましょう。

その理由のひとつは、私たちの意識のベクトルは、自分の“外側”へと向かいやすいからです。いざ自分自身を大切にしようと思っても、外側に向かった意識の方向を変えない限り、自分自身のことは見えてきません。いくら自分を大切にしようとしても、そこに“在る”という実感がもてないのですから、好きになったり、愛したりなんかできませんよね。

もちろん自分自身を危険から守る意味である程度は必要ですが、あまりにも外側を見張るのに心が奪われてしまうと、つい、うっかり、ほんとうに守るべき自分自身のことを“忘れて”しまうことがあります。忘れるとは“心を亡くす”と書きますが、心を外側に奪われてしまい自分自身へと向ける心がすっぽりと抜け落ちる。本末転倒のようですが、とてもよくあることです。

私達の目は外側を見るようにできているので、ずっと外界の刺激を受け続けます。もしよかったら、短い時間でいいので、「見よう、見ようとして外側を能動的に見る」ことを少し休憩し、目を閉じて内側を感じる時間をもってみましょう。(もしも、目を閉じるのに不安を感じる場合は無理をしないようにしてください)

ここでご案内するワークでは、まず「見えるままに、(受動的に)見る」ことを体験します。そして、目を閉じて、呼吸とともに頭の中の思考と少し距離をとって内側を感じる“小さな瞑想”のようなワークも体験してみましょう。

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目のワーク〜見えるがままに“見る”WORK、目を閉じるWORK

  1. 安全な場所で、楽な姿勢で、吐く息とともに力を手放していきます。

  2. 自分の身体の周りにある周辺のものを、「見ようとせずに(あれは、○○だ…と、ひとつひとつチェックせずに)」、ただ、ぼぉ~っと受動的に、「見えるがまま」に見渡してみましょう。身体を軽く動かしながら、身体の前後左右、上の空間も、見えるがままに見渡してみましょう(約1分)。見終わったら、今の自分の身体の感じや呼吸について、ふりかえってみます。

  3. 次に、軽く目を閉じて、自分自身の呼吸に意識を向けていきます。呼吸を通じて、外側の空気が内側へと循環するのを感じてみましょう。

  4. 鼻から吸った空気が鼻腔に触れて、あなたの頭全体に広がったあと、ゆっくりと息を吐いていきます。あれこれと頭の中で考えている何かを、吐く息とともに手放すように。鼻から吐いても、口から吐いてもどちらでもいいでしょう。その際、顎の力を手放して、目の周辺の筋肉もゆるめるようにしてみましょう(15秒ぐらい)。

  5. 何度か呼吸を繰り返すなか、胸やお腹のふくらみや、呼吸による身体全体のゆらぎも感じていきましょう。意識を呼吸に向けることで“今・ここ”に集中し、徐々に思考と距離をとっていきます。なにか考えが浮上したら、思考を止めようとはせずに、ただそのことに気づき、まるで遠くから眺めるようにして思考と少し距離をとってみましょう。そして、また呼吸に意識を戻していきます(2~3分)。

  6. 閉じられた目の奥の“あなたの頭の中心”のあたりを感じてみましょう。そこには何も無いように感じられるかもしれませんが、それでOKです。外側の世界や思考にとらわれない、内側にある“スペース”を感じてみましょう。短い時間でも穏やかで平和なものを感じられたなら、それを味わってみてください。吐く息とともに、緊張を大地にゆだねるように手放していけば、さらにその平安は深まるでしょう(眠くなる場合は、今、脳に休息が必要だということなので、眠ることをお勧めします)。

視覚・聴覚優位の時代に大切なこと


私は、若いころから映画が大好きです。様々な国の映画を観ていると、日本というアジアの片隅で暮らしていても、世界中の人々の生活とつかのまの間、一体感を感じることができます。映画を観ている間は、映像や音楽、役者さん達の演技力やセリフを通じて、まるでそこにいるかのようなリアリティも感じます。もし映画がこの世になかったら、なんと狭苦しく味気ない世界に生きることになるのだろう? と震えてしまうほどです。

映像や映画は、“視覚”“聴覚”が中心となるメディア・アートです。この2つの感覚は、今、感じている対象が、地球の裏側にあるものだろうと、10年前に記録されたものであろうと、映像の上では再現可能で、“今・ここ”で共になくても、時空をこえてつながりあえるコミュニケーション・ツールともいえます。

一方、“触覚”は、“今・ここ”で共に存在していないと、感じることができません(最近テクノロジーの進化により、触覚もまた時空を超えてつながりあおうとするイノベーションが起きつつありますが……)。“触覚”は、“今・ここ”とつながる重要な鍵を握ります。そして、セルフタッチングは、“今・ここ”とつながり、自分自身を内側から感じることも促します。外側に向かったベクトルを、内側に向けるのです。

こういう時代にこそ、時々、自分の手で自分にふれて、自分の身体が“ここに在る”ことを思い出す“セルフタッチング”が大切となります。映像やゲーム、ヴァーチャル・リアリティやメタバースの世界を楽しむならば、1日数分でいいので、自分で自分の身体に触れる習慣をもつことをおすすめします。

身体のやわらかさ、あたたかさ、感触、身体の広がり、呼吸のゆらぎなどを、素朴に感じていきましょう。あるがままの……ということは、痛みがあったり、ねじれがあったり、脂肪がたっぷりついていたり、自分の理想とする身体とは少々かけ離れていても、そこにとらわれず、自分自身をジャッジせずに、頭の中の思考からの声はいったん脇において…ということです。あなた自身の手であなたの身体を、まるごと、そのままを、ただ触れて、感じてみてください。

わたしに触れて、わたしらしさを超える〜セルフハグのWORK


意識化できる自分(自我、Ego)だけではなく、無意識も含まる自分自身の全体を、心理学の用語で「“自己(Self、セルフ)」と呼びます。意識を光とするならば、無意識を影(Shadow、シャドウ)と呼んでも良いでしょう。光(意識)だけではなく影(無意識)の部分も含めて、つまるところ“わたしはわたし”なのです。それは“わたしらしさ”すらも超えています。

なので、セルフタッチングの「セルフ」とは、自分一人でできるという意味だけでなく、自分の意識を超えた「大いなる自己(セルフ)」に触れるという意味も含みます

同じくセルフコンパッションの「セルフ」も、自分を自分で慈しむという意味だけでなく、自分という存在のまるごと、自分自身も気づいていいない無意識の領域も含めた、「大いなる自己(セルフ)」を慈しむことを意味しているのです。

それでは最後のワークとして、自分自身を抱きしめる「セルフハグ」のワークをご紹介します。わたしが、わたしだと思う“わたし”を超えた“セルフ(自己)”を、抱きしめてみましょう。

セルフハグのWORK

  1. 楽な姿勢で座り、大地に身体がささえられているのを感じます。吐く息とともに、身体の重みや緊張を手放して、ゆっくりと、呼吸に意識を向けていきましょう。目を閉じても不安を感じなければ、目を閉じて、じょじょに内側を感じていきます。

  2. 手と手をあわせて、軽く両手の指や手の平をもみほぐし、やわらかな手を育みます。そして、ゆっくりと合掌するように、手と手を合わせ手の平の感触を味わってみましょう。

  3. 合掌していた両手を、胸の真ん中(ハート)に置き、その感触を味わいます。しばらく胸につたわる呼吸のゆらぎを感じていましょう。息を吸うと、胸が膨らみ、吐くと、胸が沈む……その“ゆらぎ”を感じていきます。

  4. 次に、右手で左側の肩、左手で右側の肩に、自分の両手で両肩をハグするかのように触れていきます。

  5. 肩のどのあたりにふれると、安心や心地よさを感じるでしょうか? あなたの身体に尋ねてみてください。「なんとなく、ぴったりくる」ところでいいでしょう。

  6. 次に、どれぐらいの圧で肩を抱きしめてほしいのか、身体に聞いてみましょう。強い圧がいいのか、ふわっと穏やかな圧が良いのか。人それぞれ、異なります。いろいろと試してみましょう。

  7. あなたの好みの触れ方で自分自身のからだを、しばらく抱きしめます。手で触れている箇所のやわらかさ、あたたかさや、肩につたわる呼吸のゆらぎも感じてみましょう。その“ゆらぎ”と共に、しばらくいます。

  8. 心が落ち着いてきて、もう十分だなぁと感じられたら、抱きしめている両手の平を、胸の中心に向けてあたたかさを寄せていくかのように、ふたたび、胸の中心に置いていきます。手のぬくもりを伝えながら、呼吸とともにあなた自身のハート(心臓)を感じていましょう。

自分で自分を抱きしめる感覚は、どんな感じがしましたか?
誰かに教えてもらうのではなく、自分の身体に聞きながら、より自分にしっくりくる方法であなた自身を抱きしめてあげてください。もちろん、完璧でなくていいのです。それでも、あなたにとって、あなたが一番大切な人であることは、もはや疑いようのない事実であり、あなた自身が癒されない限り、世界が癒されるはずがありません。

セルフタッチング〜それは、わたしという“いのち”にふれること


わたしに触れることは、セルフ(自己)にふれることであり、セルフとは“いのち”そのもののことです。だから、セルフタッチングとは自分自身の“いのち”に触れて、自分が“いのち”の存在であることを思い出すことでもあるのでしょう。この“いのち”は自然の一部であり、外側に広がる自然界とつながりあっています。私達は、外側に自然を観察し、分析し、コントロールしようとしますが、自分自身というもっとも身近な“いのち”の存在が、外側の自然とひとつながりであることを忘れてしまいがちです。
忘れてしまわれがちな、内なる“いのち”に手で触れて、そして、外側もまた“いのち”の存在であることにも思いを馳せていきましょう。呼吸とともに、内側と外側のいのちをつなげ、呼吸のゆらぎとともに、この自然界のすべては互いにゆらぎあっていることを想像してみてください。

わたしも、いのち。あなたも、いのち。
あれも、いのち。すべては、いのち。

いのちと出会い、いのちを育み、いのちをいただく循環が私達の“世界”にはあります。自分自身の“いのち”の実感が増せばますほど、世界中にあふれる“いのち”の実感も増していくでしょう。そして、自分自身の“いのち”にやさしく触れるように世界にやさしく触れたなら、やがて、世界が私達にやさしく触れてくるのでしょう。
でも、たとえ、世界があなたにやさしく触れない時でも、まずは、自分自身にやさしく触れることを試してみてください。自分自身に触れていくことは、宇宙(天)の愛を受け取る“おおいなる器”を天に向けて広げ、まるで受信機をたてるようなものだからです。宇宙(天)の愛とは、たとえば太陽の光のように、いつも、すべての人に平等に降り注がれていて、無限に広がる“無条件の愛-compassion-”そのものです。
私たちが気づいていようがいまいが、宇宙は私たちを愛してくれていて、その愛は無限で、奪い合ったり、隠したりする必要はありません。だから、ほんとうは何もする必要はないのですが、ただ、あまりにも私達の意識が外側に向かいすぎて、それを受け取る自分自身を忘れてしまうのが現代社会なのかもしれません。
だから、わたしに触れていきましょう。
わたしの身体が“今・ここに在る”という
宇宙の愛を受信する“旗(ハタ)”を立ち上げるのです。
宇宙が私たちを愛するように、自分自身に愛を送りましょう。
だから、こんなふうにも言えるかもしれません。

セルフタッチングは、
この世にただ一人の、今・ここに存在している、
かけがえのない、わたしという“いのち”に触れて、
宇宙の“愛”とのつながりを再生し、
内側に流れる“光”を輝かせていくことなのです。

(最終回 了)

この連載は書籍化が予定されています!

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–Profile–

●中川 れい子(Reiko Nakagawa)
NPO法人タッチケア支援センター 代表理事、<身(み)>の医療研究会理事、こころとからだのセラピールーム amana space 代表。エサレン®ボディワーク認定施術者。
兵庫県生まれ。関西学院大学文学部卒業後、塾・予備校等の教育産業に従事(主に大学受験の日本史を担当)。1995年の阪神淡路大震災で被災後、現地ボランティアとして被災の現場にあたる中、からだを通してのこころのケアと癒しの必要性を痛感し、1998年よりボディワーク、ボディサイコセラピー、ソマティクス、カウンセリング、カラーセラピー、各種ヒーリング等を学び始める。1999年に、日本で最初に開催されたエサレン®ボディワーク認定コースに参加。その後、認定プラクティショナーとして関西の自宅で開業。ひたすらにセッションを積み重ねる中、非侵襲的な、ソマティクス・ベースの“タッチ”の癒しの可能性を痛感し、2011年に、NPO法人タッチケア支援センターを設立。「やさしくふれると世界はかわる」をテーマに、タッチケアの普及・教育・研究・ボランティア活動を開始し、家族間ケアや、看護・介護等の対人援助に活用できる「こころにやさしいタッチケア」を講座を開講。並行して、エサレン®ボディワークや、ローゼン・メソッド、米国ホスピタル・ベイスド・マッサージの公認講師を日本に招き、講座のオーガナイズもおこなう。
現在は、修了生と共に高齢者施設・がん患者会・緩和ケア病棟・産科病棟等での施術活動や、うつ病の回復期の方の就労支援センターや発達障害の方の地域支援センター等で、セルフタッチングのワークショップを開催。また、各種教育機関や福祉施設での出張講座も請け負う。エサレン®ボディワークを中心とする個人セッションも継続中。

website:NPO法人タッチケア支援センター
website:こころとからだのセラピールーム amana space

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