つぶるるバナナ
部屋は、いつでもいつまでもうす暗い。
すぐとなりのマンションのせいで、かすかな日光しかとどかず、それでいてよるは非常灯がこうこうとともり、いつでも、いつまでも夜明けか日暮れほどのほのくらさがつづいている。
くるう時計。身体もやがて針がずれてゆき、今がひるなのか、よるなのか、わからないまま、うす明るいような、うす暗いような部屋のなか、テレビからは異国のドキュメンタリー映像がながれていた。目のおおきな婦人の泣き顔。
葬式からかえってきた景子は、翌日からいつもと変わりなく会社へいき、なにごともなくすごした。毎朝おくる母親へのラインも欠かさなかった。ひさしぶりの仕事、こんな日くらい出来合いのお弁当でも買って帰ろうと思ったが、スーパーの惣菜コーナーで身動きできないまま結局いつもの三十八円の豆腐と四十五円のたれなし納豆を買って家路についた。奨学金の返済が終わらない。生活費をどれだけ切り詰めても、手取り十六万ほどでは微々たる程度の貯金しかできない。それさえも冠婚葬祭や予期せぬ出費があると振り出しにもどる。
家へ帰ると、へなへなと座り込んでしまった。動くことができないまま数十分。少しだけ息が戻ると、ふと、カーテンレールにかけた喪服のワンピースが目に入った。喪服は母の若い頃のものだったが、いらないというのでもらって帰ったのだった。妹は自前の喪服だったが、新品のようだったのでもしかしたら母に買ってもらったのかもしれない。こういう服はクリーニングに出すべきなのだろうが、しかし人生で一度もクリーニングというものに出したことがなく、ずっとカーテンレールにかけたままだ。
父の最期は、たくさんの白い花で包まれていた。
火葬場のスタッフに促されるまま、白い花を順番に棺桶に置いていった。最期のお別れです、とスタッフが言い、静かに棺の小さな扉が閉められると、重そうな木の箱はそのままガラガラと火葬炉に移され、無機質なレールの上を滑るようにして炉の中に入っていった。棺桶が最後までしっかり入ったことを確認すると、ガタン、と鉛いろの大きな音を立てて炉の扉が閉められた。その瞬間、母と妹は抱き合って泣いた。彼女は、それを一歩離れたところから見つめることしかできなかった。周囲の人からは、なんて薄情な娘だと思われたに違いない。小さな甥っ子までも、悲しみの雰囲気に触発され、母と妹の足元にくっついて飛びはねるように泣いていたというのに。
毎日、朝起きて化粧をし、電車に乗って会社へ行く。「おはよう、天気がいいね」と母親へラインを送る。そうやって、たんたんと日々をおくっていた。なにもかんがえないように、お金のことだけ考えて、ただただ一日をやりすごした。
が、ある日、通勤時に意識を失った。なんの前触れもなかった。今まで貧血にもなったことがないのに、混雑した電車のなかで立ったまま眠ったらしい、ドアがひらいた瞬間、人の流れにおされ、後ろむきにホームへ一直線に、ゴン、とコンクリートにあたまの後ろを打ちつけた。すぐに目をさましたようで、ぼやけた視界の先に誰かの手があったのでつかんで起き上がると、なにがおきたかわからないままホームに散らばった荷物をひろいあつめ、次の電車にのりなおして会社へむかい、体調不良で休む旨を伝えてから帰宅した。
いらい、会社へは行っていない。派遣会社からなんどか電話がかかってきたが、そのうちこなくなった。デスクに置いておいた百均のタンブラーはお気に入りだったが、とっくに誰か捨てているだろう。
ずっと、ねている。なにもするきがおきず布団にくるまっていると一日がながれていく、なにもしないのになぜかいつも疲労困憊でなんにも考えられず、わけもわからずにげたい気持ちでいっぱいになり、でもめんどうくさくてどこにもいけず、非存在になれたらいいのにと夢のなかでつぶやいてはどうでもいいやと目がさめた。あたまがはたらかない。
あたまを打った日の夜は、うちどころが悪かったら明日目が覚めないかもしれないとこわくなったが、朝めざめると少しだけ残念なきもちになった。頭はたんこぶができて終わった。
えんえんと、映像がながれるテレビから、しろいひかりが溢れでて、ぐしゃぐしゃの布団に翳が落ちた。いみもなくつつと涙がたれる。まぶしいテレビをみつめながら、からだを強制終了させるため百円の鬼ころしをひとくちふくむ、とたんに熱いにがみが舌ん刺し、あたまがぼんやりとうつろになった。
反射した身体はとけたまま、みるともなしに画面をみ、魔法少女の放つひらめく光が思考をたわませる。うつらうつらとねむりゆく目ん玉。いったい、今が昼なのかよるなのか、まったくぜんぜん、わからない。けどなんでもよかった。
いくらがてをふっている。おすしのいくらが、赤いつぶつぶを頭にのせて、景子にむかって手をふっている。テレビから漏れ出すひかりをとらえて反射し、景子の目をまたたかせた。ミニテーブルの上に置いてあるティッシュのかげから、いくらが手を振っている。反応しない景子にしびれをきらし、ティッシュのかげから飛び出し、はねながらてをふっている。おーい、おーい、とさけびだす。跳躍運動に耐えきれず、いくらが一粒、おちて転がっていく。あせるように、いくらは追う。その一粒を両手に持って、あたまに乗せなおす。いくらは景子にむかって恥ずかしそうにわらった。
が、景子は無視した。