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みんなが見る「わたし」と私が知ってる「私」は違う。

穂崎です。
メモ程度の乱文だけど少しだけ書きます。

ある日の小さな会話から

大学の帰り、地下鉄に乗ってた時に、友達と少し喋ってたんですけど、その時に「お金すぐ使っちゃう」って話をしてて。

夏休み中はライブ参戦も含めて3回遠出してるし、先週も東京、横浜旅行に行ったしでほんとになくて。
後先考えずにやっちゃうから結構まずいことになっています。
ほんとに控えなきゃなって思って今頑張ってます。

そんな話になった時に、友達に「親近感が湧く」って言われたんです。
「真面目やしそんな金欠になるみたいなイメージなくて」と。

そう見えてるだけで、結構テキトーだし真面目では無いと思うんだけどなぁっていうのが私の正直な感想でした。

高校の時も、第一印象は真面目とかそんな感じで、半年くらい経つと意外と抜けてるとこあるんだなって思ったって言われたことがあります。

なんか言葉にするの難しいけど、そのいう時は「違うんだよ!!」って叫びたくなります。


私の思う私

私の思う私は、みんなに見せてるわたしとは全然違う。

基本的にテンション低いし、常にだるいみたいな顔してると思います(笑)
芯は冷めてるみたいなことが多いから、みんなといる時は感情を顔の上に乗せる感じ。 

作ったわたししかみんな見てないから、雑でズボラな私を知らないから、多分そういう印象になるのかなぁなんて。

けど、作ってるのだって、ローテンションな私を見られたくないとかいい人でありたいとか、そういうところから来ていて実際その印象づけは成功してるからいいんじゃないって思う私もいます。


いい人とか真面目な人とかって見られたいのに、それを言語化されると違うって叫びたくなる。

矛盾ですかね。これ。

難しい。


演じ続ける私

昔から私は、どこか演じ続けていた。
人といる時はほぼずっと。
家もどこか落ち着かない時があって、ぽっかり穴が空いたような気分になったりもする。
だけど今更演じることを辞めることは出来ないし、社会で生きていく上では必要なことだろうと思うし、私はこうやって生きていくんだろうなって思う。

自分が、私はここにいるってわかっていれば、
私がわたしを褒めて、わたしが私を守ってたら、それでいいかなって思います。

言葉にしたかったので書いてみました。


それでは今日はこの辺で。
ありがとうございました。

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