![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/164535207/rectangle_large_type_2_38174286d7ea136c63bdd14f9c4a8b52.png?width=1200)
【読切★完結】死神の靴
#1 お人よしの夕暮れ
殺人的な猛暑が、アスファルトを焼く鉄板に変えていた。
体育館から漏れる声が、じりじりと照りつける太陽の下で溶けていくような午後——。
リョウは予選での敗退の疲れを引きずりながら、今日の送別試合に臨んでいた。先輩たちの最後の試合。
全力でプレーするしかない空気が、汗まみれの体育館を支配していた。
試合後、片付けを一人任され、リョウは歯を噛んで不満を押し殺した。
「なんで、いつも俺ばかり…」
重たいモップを引きずりながら、やっとの思いで片付けを終えた。
汗を拭って部室を出ようとした時、彼は立ち止まった。
自分の靴が見当たらない。
「あれ?俺の靴…」
棚を探しても出てこない。
結局、誰かの履き間違いだろう——見知らぬ靴を履いて体育館を後にした。
夕暮れが近づく校門を出て、駅への坂道を歩き始める。
今日という日を振り返れば、ついていない事だらけ。
そんな思いで歩いていた交差点で、リョウは目を見開いた。
目の前で、制服姿の少女が車に向かって歩き出していた。
反射的な体の動き。
少女に飛びついた瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。
音が消え、色が失われ——気づけば、彼は薄暗い霧に包まれた異世界に立っていた。
#2 彼岸
夕暮れの空は消え、代わりに薄暗い霧が街を覆い尽くしていた。
不気味な静寂の中、冷たい風が頬を撫でる。
その時、背後に異質な気配を感じたリョウが振り返ると、そこには冷たく輝く瞳を持つ死神たちが半円を描くように立ち並んでいた。
漆黒のローブをまとった彼らは、鋭い鎌を手に、まるで獲物を追い詰めるように、ゆっくりとリョウへと迫っていく。
「なんだ、アンタら」
問いかけは虚空に溶けていった。
返事など期待してはいなかった。
バスケで鍛えた脚力を信じ、リョウは走り出した。
その瞬間、履いている靴から異様な力が湧き上がる。
まるで靴そのものが意思を持つかのように、死神たちの動きを察知する力が体中に広がっていった。
リョウは直感的に跳躍し、死神たちの繰り出す鎌を躱した。
しかし、彼らの包囲網は着実に狭まっていく。
額から流れる汗を拭い、さらに速度を上げたその時、一閃の光が空を切り裂いた。
鋭い痛みが太ももを走る。
かすり傷だ。
死神たちは壁のように立ちはだかり、逃げ場を失ったリョウの死角から、一人が鎌を振り上げた。
その刃が振り下ろされる寸前、リョウの体は横へと強く引っ張られていた。
見知らぬ人物に導かれるまま、二人は暗い路地の影に身を潜めた。
「キミ、大丈夫?動ける?」
優しい女性の声に、リョウは顔を上げた。
月明かりに照らされた横顔は、まるで幻のように美しい。
「リョウ…俺の名前。ここは一体…」
「私はアヤ。ここは彼岸――あの世とこの世の狭間よ」
リョウは傷ついた太ももを押さえながら、アヤと共に息を整えた。
彼女はリョウの顔をじっと見つめ、不思議そうに告げる。
「キミは、まだ生きているのね」
「生きてる?どういう意味だ?なんでこんなところに…」
アヤは、場違いな明るい笑顔を浮かべ、リョウの靴を指差した。
「それは死神の靴。キミがここにいる理由は、その靴にあるわ」
そう言って、アヤは異界「彼岸」と、自身にまつわる物語を語り始めた。
#3 死神の靴
廃墟の一角に身を潜めた二人は、影の中をそっと歩み進めた。
「この靴について、もっと詳しく教えてくれないか?」
リョウの問いにアヤは静かに頷いた。
物憂げな表情で靴を見つめながら話し始める。
「死神の靴は不思議な力を持っているの。異世界への扉を開き、過去や未来へも渡れる。でも…」
アヤは言葉を濁した。
その瞳に不安が宿る。
「でも?」
「代償として、使うたびに命が削られていくの」
リョウは黒い靴を見つめた。
その艶やかな表面に、かすかに自分の歪んだ姿が映る。
「元の世界に戻るにはどうすればいい?」
「靴の底を三回強く踏みしめて、心の中で強く願うの」
リョウは深く息を吸い、決意を固めた。
靴の底を三度踏みしめると、空気が凍りついたように変化した。
暗闇から現れた死神は、無言で大鎌を振り下ろした。
リョウの背中を貫く痛みと共に、視界が歪み始める。
過去の光景が血の霧とともに浮かび上がり、そして全てが闇に溶けた。
***
目を開けると、リョウは数時間前の交差点に立っていた。
目の前には、あの事故で車に轢かれる直前の少女がいる。
無邪気に笑う その姿に、リョウの心臓が痛むように締め付けられた。
たった数秒前。
過去を変えるチャンスは、あまりにも残酷なタイミングだった。
元の世界に戻りたかったはずなのに。
頭の中で言い訳が渦を巻く。
それでも、リョウの体は本能的に動き出していた。
まるで彼岸で見た光景の再現のように。
記憶が鮮明に蘇る。
あの時より、わずかながら少女と車との距離があった。
リョウは迫り来る車に背を向け、少女を抱きしめた。
今は考えるより、運命に身を委ねるしかない。
死に物狂いで、靴の底を三度アスファルトに叩きつける。
しかし、景色は変わらない。
もう靴の力は失われていた。
避けられない衝突。
このままでは二人とも命を落とす。
せめて、一人でも生き残ってほしい。
覚悟を決めたリョウは、少女を守るように体を丸めた。
鈍い衝撃音と、全身を貫く激痛。
意識が闇に沈んでいく中、リョウは微かな安堵を感じていた。
#4 彼岸再び
「なんで戻ってきちゃったの?」
呆れたような声に、リョウは目を開けた。アヤが、まるで悪戯がばれた子供を見るような目で立っている。
先ほどまでの激痛は、まるで幻だったかのように消え去っていた。
「俺は...本当に死んだのか?ここは彼岸なのか?」
リョウの問いかけに、アヤの表情が柔らかく綻んだ。
「キミ、合格!」
「は?」
突然の宣言に、リョウの思考が凍りついた。
「実はね、キミを死神の後継者に選びたいって死神がいてね。その死神が、キミが相応しいかどうか、私に判断して欲しいって頼んできたんだ」
アヤは楽しそうに説明を続けた。
死神には定年があるという。
役目を終えると、次の後継者を選び、試さなければならない。
死にかけている人間のリストから候補者を選ぶのだ。
そして、お人よしのリョウが選ばれた。
魔力を宿した靴は、後継者試験のための道具だった。
前任の死神はすでにその役目を終えている。
だから、靴の力も一時的なものだったのだ。
「死ぬ"予定"だったってことね。確定じゃなかったの」
アヤは嬉しそうに続けた。
「自己犠牲って、本当に美しいよね。満点合格!死神になれる人なんて、そうそういないんだからね。光栄に思うべきだよ」
アヤは饒舌に語り続けた。
この試験は、善良な死者を選び、その資質を試すためのものだった。
特別な力を与えられた時、それを自分のために使うのか、それとも他者のために使うのか。
その選択こそが、試験の本質だったのだ。
「ちなみにね」
アヤは意味ありげな笑みを浮かべながら、一枚の名刺を取り出した。
「クビになった死神の末路は結構悲惨だから、頑張るんだよ?」
名刺には『死神統括取締役 閻魔』の肩書きと共に、アヤの名前が刻まれていた。
リョウは頭を抱えた。
何か言葉を発することすら許されないような、重たい空気が漂っていた。
彼の新しい人生――いや、死神としての永遠が、始まろうとしていた。