ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」(第十二章)
NFTアートは、全く価値がなさそうなものに価値がつくという不思議なもの、という印象が強い。
NFTアートとして売られているものも様々だが、画像と動画にしぼって考えると、本質はメディアアートだ。
メディアアートを理解することは、NFTアートを理解することにもつながると思い、東京藝術大学の「メディア芸術史」の授業でテキストとして使用されている、ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」という論考を読み始めた。
「複製技術時代の芸術作品」が収録されている本は様々あるが、解説付きのがほうが分かりやすいと思い『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』を使用している。
大衆の腐敗した心性(第十二章)
たった2ページの短い文章なのだが、非常に難しい。
映画は多くの人の心に訴えかける力を持っているが、資本と結びつくことによって、世の中を良い方向に変えていくためには必ずしも使われないということが述べられている。
むしろ積極的に、大衆を導くというよりは大衆を操り、良心や判断力を麻痺させることに使われた。
ベンヤミンは1892年にベルリンで生まれたユダヤ人で、「複製技術時代の芸術作品」 を書いたのが1935年、ナチスから追われる身であり、ナチスの恐ろしさを肌で感じていたはずだ。
第二次世界大戦が1939年に始まったので、大戦前の当時の映画と、現代の映画は様相が異なるが、映画の性質を知る上で有効な章となる。
・人間が機械(カメラ→映画)を通じて表出→自己疎外感が生産的に利用されることになる
・映像を大衆の前に写すことが可能
・政治家も同じ
・劇場と、議会は閑古鳥が鳴くようになる
・大衆は映画俳優をコントロールする
・映画俳優は、映画が上映されるまで、大衆を見ることはできない
・この大衆の不可視性によって、大衆のコントロールの力は強くなる
・映画が資本主義的搾取の束縛から解放されない限り、つまり、資本と手を切らないかぎり、コントロールの政治的価値が有効に生かされるには至らない
・現状、コントロールという革命的チャンスは、資本によって反革命的なチャンスに転化させられている
・映画スター崇拝=人格の商品的性格
・観客崇拝(お客様は神様)が補完する
・映画スター崇拝と、観客崇拝は、大衆の心性の腐敗を促進
・腐敗した心性=ファシズムが階級意識に代えて植え付けようとしているもの
※ファシズム:権力で労働者階級を押さえ、他国に対して侵略政策をとる独裁制 理解が難しく、ほどんど理解できない言葉が出てくる章だった。
たとえば、人間が機械を通じて表出することが「自己疎外感が生産的に利用される」ことになるという意味がわからない。
「人格の商品的性格」もいまいちピンとこないキーワードだ。
マルクスの「人間が商品となる」資本主義という定義にそわせてきているのだろうが、そもそもここでいう人格とは何だろうか。
難しい。。。