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ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」(第十四)

NFTアートは、全く価値がなさそうなものに価値がつくという不思議なもの、という印象が強い。

NFTアートとして売られているものも様々だが、画像と動画にしぼって考えると、本質はメディアアートだ。

メディアアートを理解することは、NFTアートを理解することにもつながると思い、東京藝術大学の「メディア芸術史」の授業でテキストとして使用されている、ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」という論考を読み始めた。

「複製技術時代の芸術作品」が収録されている本は様々あるが、解説付きのがほうが分かりやすいと思い『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』を使用している。

画家と映像技師(第十四章)

「複製技術時代の芸術作品」の意義は大きく分けて二つあり、1つめが芸術を生み出す技術に注意を向けたこと、2つめが時代によって形成される知覚を重視したことだ。

本章では、その2つめの知覚についての導入となる。

・映画撮影の現場は、カメラの視点以外、映像に関係ないカメラや照明、スタッフなどが周りに溢れている
 ・→「映画スタジオ」と「舞台上」の情景の類似性を、表面的かつ無内容なものにする
・撮影技師と画家は、執刀医と呪術師の関係に似ている
 ・執刀医
  ・病人の中に手を入れることで治療しようとする
  ・人間対人間という関係を断念し、手術者になりきる
  ・患者の中に入れる手→患者との距離を大きく縮め、器官をまさぐる手の慎重さによってほんの僅か拡げる
 ・呪術師
  ・病人の上に手を置くことで治療しようとする
  ・自身と患者との自然な距離を維持する
  ・患者の上に置いた手→患者との距離をわずかに縮め、自己の権威によって拡げもする
・撮影技師
 ・事象の織りなす構造の奥深くまで分け入る
 ・取り出す映像はバラバラで←ある法則によって集められる
・画家
 ・対象との自然の距離に注意を払う
 ・取り出す映像は総体的
・映画による現実の描写は、現代人にとって重要
 ・機械から解放された、現実を見る視点を要求しているから
 ・その視点は、機械を利用した映画による徹底的な浸透に依拠しない限り、得られない

最後の部分を言いかえると、映画は、作品を大衆に見せるだけではなく、大衆の「現実を見る知覚」をも構成するということだ。

それがどんな知覚なのかは、後の章での紹介となる。

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