レビュー『積読こそが完全な読書術である』
買ってから、一度もページをひらけていない本の山。
そんな山をみては、読めないことにうしろめたさを覚える人も多いはず。
このような積読は、一見ネガティブな行為として受け取られています。
しかし今日紹介する『積読こそが完全な読書術である』は、堂々と本を「積む」ための読書論が語られ、本好きはもちろん、情報多寡の時代に流されず、地に足をつけたい人にオススメです。
現代の問題点
インターネットが身近な世界に生きる僕たちは、さまざまな情報の中に身を置いています。
現代は本に限らず、動画コンテンツ、音楽、ゲーム、演劇といったさまざまな情報が日々大量に供給される時代。
それらを体験したり消費したりできないまま時間だけが過ぎていく「情報の濁流」の状況です。
そんな情報の距離が縮まった世界では、情報の濁流に飲み込まれないために必要になるのが防波堤。
でなければ、主導権は自分ではなく情報そのものとなってしまいます。
そうならないための防波堤として本書で紹介されるのが、「ビオトープ的積読環境」の構築。
自分を軸にして、情報の濁流の中から必要なものを抜き取り、不必要なものを濁流に放出するという作業です。
ビオトープ的積読環境とは
ビオトープ的積読環境とは、「自律的に選択」しつつ「メンテナンスを行う」蔵書のことです。
「自律的に選択」とは、世の中にある本を手当たり次第読むのではなく、自分なりのテーマや基準で選択することです。
「メンテナンスを行う」とは、常に本の中身と他の本や自分のテーマとの関係性を確認しつつ、入れ替えを行うことです。
現代の問題は、無秩序に増大していく情報供給に自分が飲み込まれてしまうこと。
その対策のために、ある程度の独立性を持った自前の積読環境(ビオトープ的積読環境)を構築する必要があると本書では説かれています。
そして、「本を読む」という行為自体は積読の延長線上にあるものにすぎないと、ピエール・バイヤールのベストセラー『読んでいない本について堂々と語る方法』や、M・J・アドラーの『本を読む本』、ショーペンハウアーの『読書について』を引用して語られます。
一冊の本をどんなに深く読み込んだとしても、そこに込められた著者の想いを完全に理解することは不可能。
また、人間のどんどんと忘れていくものなので、数ヶ月も経てば内容をすっかり忘れることに。
これは「本を読んだつもり」になっているだけの状態ともいえます。
すると、タイトルと目次、まえがきとあとがきを読んだだけでも同じことが言えるのではないでしょうか。
つまり、「積読」にうしろめたさを感じる必要はまったくありません。
おわりに
情報が濁流のように溢れかえり、消化することが困難な現代。
そんな状況下で、充実した読書生活を送るために必要なのが自律的な「積読」です。
背伸びして買ったもののページを開いていもいない本、完読したという記憶しか残っていない本、そして、心奪われ蔵書に加わっていく本。
本書を読めば、それらの本を眺めては悲嘆にくれることがなくなります。
また、本書は読書論をつうじて、心理学や経済学、テクノロジーにまで思考の幅を広げていくので、存分に知的刺激を味わうことができます。
読書の奥深さに触れることができる一冊であり、自分のペースでじっくりとビオトープを構築してゆきたいと思いました。