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ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」を読みすすめる(第三章)

NFT、ひいてはデジタルアートを理解するために、メディアアートの歴史について知りたいと思い「複製技術時代の芸術作品」を読みすすめている。

読んでいる本は『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』で、この中には「複製技術時代の芸術作品」が収録されている。

第三章

第十章まで読み進めたが、第三章はその中で一番理解するのに時間がかかる章だった。

「複製技術時代の芸術作品」の中で重要なキーワードである「アウラ」もこの章に登場する。

以下が第三章のまとめとなる。

・複製には「いま、ここに存在する」という特性が欠けている
・「いま、ここに存在する」という事実は「真正性の概念」を形成する
・手で作られた複製と、技術による複製の違いは以下の2点
 ①手で作られた複製に比べて、技術による複製は、オリジナルにたいして明らかな自立性を持っている
  ・例:写真はズームや魚眼など、人間の目には映らない像をとらえることができる
 ②技術による複製は持ち運びが容易なので、鑑賞者に近づくことができる
  ・例:野外で行われた合唱作品も、屋内できくことができるようになる
・結果、技術による複製によって、オリジナルの「いま、ここに存在する」という価値は低下する
 ・映画に映る自然や、芸術作品についていえる
・自然には傷つきやすい核心(真正性)はない
 ・事実の真正性は、根源から伝えられうる総体のことで以下を含める
  ・物質的に存在していること
  ・歴史の証人となっていること
 ・技術的複製は、物質的な存在という根拠がなく、歴史の証人としても能力もあやふや
 ・こうして揺らぐもの=事物の権威、事実に伝えられている重み=「アウラ」=複製技術時代の芸術作品において失われていくもの
・以下2つにより伝統の震撼が起きた
 ①複製技術は複製されたものを伝統の領域から切り離し、大量生産する
 ②鑑賞者にそれぞれ近づくことで、複製作品にアクチュアリティーを付与する
・伝統の震撼は人類の危機・新生と表裏をなし、大衆運動と密接に繋がっている
 ・大衆運動を代表するのは映画

本書を読む前は、「複製技術時代の芸術作品」は写真や映像などの複製された作品についての書籍かと思っていたが、伝統的な芸術作品への影響を扱っており驚いた。

デジタルな時代だからこそ1点ものの絵画などは価値が高く、投資対象としても魅力的という側面もあり、価値は上がっていっていると思っていたが、複製作品の存在自体が、否応にも伝統的な絵画や彫刻にも影響を与え、絵画や彫刻に宿る「アウラ」を失わせていくという視点は新しく、考えもしなかった。

続きが楽しみだ。

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