アルバイトのほろ苦い思い出と 「California Dreaming」 THE MAMA’S & THE PAPA’S
今回は音楽とそれにまつわる少し苦い思い出を。
学生の頃、近所の蕎麦屋さんでアルバイトをしていました。卒業までの4年間、スキー場で働く冬の間を除いて、ずっとここで働かせてもらいました。
店長は私の父親と同じくらいの年齢で、まさしく札幌でのお父さんのような存在になりました。店長の家族や他のバイトと一緒に食事へ行ったりしましたし、店長と2人で飲みに行ったこともありました。バイトに来ている学生にはいつも親切に接してくれる店長でした。
私は主に夜のシフトで、普段は店長と私を含めたバイト2人で営業しているところをもう1人のバイトが来れず、店長と2人で切り抜けたことも何度もありました。そんな時に限って忙しくなったりするのですが、(私の思いあがりかもしれませんが)店長と阿吽の呼吸で乗り切れるようになっていたことを懐かしく思い出します。
夏休みには昼のシフトを手伝うこともありましたし、場合によっては開店前の準備から閉店までの「通し」と称する勤務も引き受けていました。蕎麦屋のお昼はまさに戦場。出前を含めると14時くらいまでがとにかく忙しくて、トイレにも行けないとはこのことでした。
このお昼の時間帯を過ぎると、お店は少しゆったりします。夜の為の仕込みをしながらにはなりますが、お客さんがひっきりなしということはなく、店長も座って新聞を読んだりすることができる時間がありました。そんな時に、お店のラジカセでよく流していたカセットテープの中の1曲がママス&パパスの “California Dreaming” でした。
店長の趣味で用意されていたこのカセットテープは、当時でいう「オールディーズ」のオムニバスで、ママス&パパスの他にもトリオ・ロス・パンチョスとかそんなのが入っていたと思うのですが、特に耳に残ったのが “California Dreaming” だったのです。
ジョン・フィリップスとミシェル・フィリップス、デニー・ドハーティ、そしてキャス・エリオットの4人による美しいハーモニーで知られるママス&パパスのこの曲は、1965年にリリースされ、全米4位となっている名曲です。
この曲を聴くたびに思い出すのがお蕎麦屋さんでの日々とそこにいた優しい人達なのですが、残念ながらそれだけではないのです。
冬の間はスキー場でバイトしていた私にとって、4年目の夏休みが学生として最後の長期休暇でした。特に何か予定していたわけではないのですが、あまり休みなくバイトしてきた私は「最後の夏休みくらいはバイトを控えて、家でゆっくり音楽でも聴きながら過ごしたい」と考えていました。
ところが夏を前にお店は人手が足りなくなり、なんだかんだと結局はたまにお昼の時間を手伝うだけでなく、多くを「通し」で働くことになってしまったのです。不満だった私はどうしても口数が少なくなり、店長との会話もなくなっていきました。
加えて店長はお父さんが亡くなり、お店の仕事以外でもやることが増え、店長自身も不機嫌な様子でいることが多くなっていきました。今なら、亡くなった後の家の片付けや遺族間の問題など、相当大変だっただろうと想像できますが、その時の私は夏休みを奪われた不満でいっぱいの、自分のことしか考えられない子供でした。
雪が降り始める頃にはお蕎麦屋さんでのバイトを最後にしなければならなかったのですが、そこまでの数ヶ月はほとんど会話もなく、最終出勤日についても相談しないまま、4年目の秋が過ぎていきました。
結局、11月最後の出勤になっていた日、お店の片付けを終えていつも通り「お疲れさまでした」とだけ言って帰宅し、その後は2度とお店に顔を出すことはありませんでした。「今日を最後にしたい」とも「今まで4年間、お世話になりました。どうもありがとうございました」とお礼を言うこともせず、最後のバイト代も取りに行きませんでした。
社会人になってからも札幌での勤務になりましたので、行こうと思えばいつでも行けたのですが、そんな終わり方だった為にずっと顔を出せずにいました。
何度かお店の前を車で通ったこともあり、まだお店が存在していることに安心しながらも、やっぱりお店に入っていくことはできませんでした。
それなりに忙しい日々を過ごしながら40歳を少し過ぎた頃、そのお店のある区を担当することになりました。これも何かの縁なのかもしれないと思い、意を決してお店に行ってみましたが、もうそこは違う名前のお蕎麦屋さんになっていました。私の知っている暖簾や看板を見ることはできませんでした。
「後悔先に立たず」とはこのことかと、身をもって知ることになりました。
それからしばらくして、「懐かしいあの店内だけでももう一度見たい」と思い、再びそのお店へ行ってみたのですが、今度は建物自体が壊され、駐車場に変わっていました。次のお蕎麦屋さんはそれほど続かなかったようで、店内どころか、もう外観を懐かしむことすらできなくなっていたのです。再び後悔することになりました。
そんなわけで、西日が差し始める店内によく流れていた“California Dreaming”は、私にとっては苦い思い出を伴う曲になっています。
店長やご家族、お店で一緒に働いた人達が今も元気でいることを願うばかりです。