私が歌集について思うこと
去年、第二歌集『舞う国』を出した。5000円くらいしかかからないネクパブ・オーサーズプレスさんから出した。当時もう短歌を辞めたい気持ちでいっぱいだったので、謹呈はほとんどしなかった。30〜40部くらい。当然あまり話題にはならなかった。
私は結構悔やんでいて、こう言う中途半端なことをするなら、完全に私家版歌集として出せば良かった、と思っている。私家版で出した方が断然単価が安く出来(多分『舞う国』の半額くらい)、文フリや一箱本棚系で結構手に取ってもらえるように思うから(もちろんその人の力量にはよるけど)。多くの人に届けたいなら、その方が良かった。
ちなみに、私はあまりこの話をしたくないのだが、第一歌集『砂漠の庭師』はクラウドファンディングで出した。おそらく、クラファン歌集の第一号。それでもお金はあまり集まらなくて、謹呈できたのは80部。ただ『舞う国』よりは話題になっただろうか。でもこの方法は、誹謗中傷が平気な人じゃないとかなりきついし、批判的な人が多い時点で、一定の読者を取りこぼすことになってしまう。それは残念なことに思えてならない。
もう一つ。当たり前だが、100万近くかけて出した歌集も、みんなみんな話題になるわけではない。私は、好きだなと思った歌集があまり話題になってないな…と感じていたところ、著者ご本人が「売れてなくて本当に困っている」と話しているのを聞いた。何とも言えなかった。厳し過ぎやしないか。
歌集の最適解は何だろう。話題性のある、選ばれて出版出来る系にうまく乗れればそれに越したことはない。
でも歌集ってそればかりではない。
迷いそうなとき、私はいつも思い出す。負け惜しみみたいに聞こえるかもしれないけど。私の歌集が、ほんとに良かった、ほんとに好きだ、と言ってくれた人たちのことを思い出す。数は大事だ、もちろん欲しい。でも、一人の人の大事な一冊を作れたことを私は本当に嬉しく思う。
結局は、自分なりにどう落とし所を作るか。それが案外大事かもしれない。