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令和憲法草案 -前条- (2)

第4条

 公人は、礼、即ち敬心を基礎とする。人民を治むる基本は必ず礼に有り、上の者に礼が無ければ下の者は纏まりを欠き、下の者に礼が無くば、必ず犯罪者が顕れる。

 此の様に全ての公人に礼が有れば秩序は乱れず、国民に礼が有れば国家は自然と治むる事ができる。

第5条

 公人は饗応を絶ち、財物への欲望を棄て、公明に訴訟を処理する。庶民の訴えは日に千件を超え、歳月を過ぎる毎に、その数の増えは様に果は無い。  
 近頃、訴訟の管理者は賄賂を貰う事が当たり前と成り、賄賂を見てから審査する。従って財産家の訴えは石を水の中に投げ入れる如き、容易に聞き入れられ、貧者の訴えは水を石に投げ入れる如きに拒絶される。

 その様に貧民を迷いの内に留むる事は、役人としての道理も欠く。

第6条

 勧善懲悪は、古来の良い規範である。人の善行は匿す事無く、悪行は匡す。諂り詐る者は、国家を転覆させる鋭利なる武器、人民を滅ぼす尖った剣である。
 また、佞り媚びる者は、好んで上の者に下の者の過失を訴えるし、下の者に逢えば上の者の過失を誹謗する。
 その様な人間は皆、国家と君主に対する忠誠が無く、人民に対する仁愛も無い、それが大乱の原因である。
 
 それ等を踏まえ、常に公共の福祉を保護した上で、技術を勧善懲悪へと向かわすべく認識し、また学び、国家の責務として研究を助けて実行する。

第7条

 人には各々に任務が有り、其れを適切に担う。
 それに当たり、権限の濫用より遥かな距離を保つ事を、各々が努める。   
 賢人・哲人を官職に任ずれば讃えし声が起き、奸者が官職を有すれば災禍・戦乱が頻繁に成る。
 世の中には生得の知者は少なく、努力に依り、聖人と成るものだ。
 事柄の大小に関わらず、適切な人材を得れば必ず治まり、時代情勢の緩急に関わらず、賢人が現れれば自ずと寛と成る。

 その様に行へば、国家には永久に危険は無い。従って古の聖王は、官職の為に人を求め、人の為に官職を求めたりはしなかった。

(引用等に関してはリンク先を参照のこと)

・参考文献 十七条憲法 (リンク先:四天王寺編「聖徳太子と四天王寺」の訳文による)

改憲。たったそれだけ。