老子道徳経と中医学的身体観六十八
副題 配天
中医学的身体観としては、
心と天の相似
制御法であり、自然に適いながらも自然より穏やかに、心を無にする方法。
これによって身体も無駄な動きがなくなり、脱力し、心身一如(真の心腎相交)になる事を伝えてくれています。
鳳凰堂流解釈
天の徳と地の徳
自身が持つ、気を理解し、コントロールできていれば、
うちはうち、ひと(他人のうち)はうち
と言う考えを持っているので、押し付けたり、争ったりする事はなく、そのような生き方から、人が意を察して動いてくれ、その事に感謝する。
これを争わない徳と呼び、天の道に適うと呼び、
古来から伝えられた心の制御の仕方である。
鳳凰堂流意訳
優れた人は他人に押し付けない。
戦う場合はいつも冷静である。
よく勝つも人はやたらに敵と戦わない。
人をうまく用いる人は、人に対して謙虚な態度をとる。
これを『争わない徳』といい、『他人の力を用いる』といい、『天の道』にかなうという。これは昔からの規則である。
直訳
善く士たる者は武ならず。
善く戦う者は怒らず。
善く敵に勝つ者は与(あらそ)わず。
善く人を用うる者はこれが下となる。
これを不争の徳と謂い、これを人の力を用うと謂い、これを天の極に配すと謂う。
原文
善爲士者不武。善戰者不怒。善勝敵者不與。善用人者爲之下。是謂不爭之徳、是謂用人之力、是謂配天之極。