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養生訓 巻第七 用薬 鳳凰堂流解釈㉛
原文を現代文に改変
補湯は煎湯熱き時少しずつのめばつかえず。少しずつ飲んでゆるやかに験を得べし。一時に多く服すべからず。
補湯を服する間、殊に酒色を過さず。一切の停滞する物くらうべからず。酒食滞塞し、或いは藥を服し過ごし、藥力めぐらざれば気をふさぎ、腹中滞り、食を妨げて病をます、しるしなくして害あり。
故に補藥を用る事其節制むずかし。良醫は用よう能してなづまず。庸醫は用ようあしくして滞る。
古人は補藥を用る其間に、邪をさる藥を兼用ゆ。邪気されば補藥にちからあり。補に専一なればなづみて益なく、かえって害あり。是古人の説なり。
鳳凰堂流意訳
補湯は煎じた湯が熱い時に少しずつのめば仕えない。少しずつ飲んでゆるやかに効果を得るのが良い。一度に多く服用してはいけない。
補湯を服用する間は、特に酒色に気を付ける。あらゆる停滞する物は食べてはいけない。酒食が滞って塞ぐ、或いは薬を服用し過ぎる等によって薬力がめぐらなければ気をふさぎ、腹中が滞り、食を妨げて病が酷くなる、効果がなくし害があるのである。
従って補薬を用いる際には節制がむずかしくなる。
良医は薬を上手く用いても、薬が節制によっては馴染まない。
雇われ医は用い方が悪く滞る。
古人は補薬を用いる間に、邪気を取り除く薬を兼用した。邪気がされば補薬にちからが出る。補だけに専一になれば馴染んでしまって益がなく、かえって害がある。
これが古人の説である。
鳳凰堂流解釈
治療の第一義は如何に養生を意識して貰うかですが、
養生を意識してこなかったからこそ、未病、既病と深まっていた人にすぐに理解して貰うことは難しい上に、
虚実錯雑して、標は取れても本が潜伏します。
普通は症状が取れたら治療は終わりですが、あるときに症状は違っても奥にあるものが同じだと気づくと、難易度は上がりますが、自分の未熟さに気づき、本神を治療すべく精進する事になります。
これは、一人の人と真摯に時間をかけて向き合う事で見えるものなので、現代では中々難しいと思います。