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(5)医心方 巻二十七 谷神第二 鳳凰堂流解釈
鉅鹿張臶子明は、三国志巻十一、魏書十一の袁張涼國田王邴管傳第十一に記載されている、黄初四年以降の文にしか見つける事はできませんでした。
鉅鹿は恐らく、秦の時代から続く、現在の河北省にある県名、場所の名前であり、
張臶、字が子明と言う人は三国志時代の魏国の人です。
この人の思考の養生の注意点として、
一つの事ばかり考えすぎたり、色んな事を考えすぎたりしないこと。
一つの事を考えすぎるのは愚かな惑いであり、あれこれ考えるのは何を集中して考えているのか分からなくなるからである。
又、書物を読んで思考を巡らせることが、本性を最も深く損ないやすい。
読まなければ済まないのであれば、しっかりと理解できる本を読むべきであり、分からないことをいつまでも考えていると、寿命を減らすばかりでなく、無駄な事にかかりすぎて志が失われたり、長いこと忘れずに怨みになったりして心が安定しない。
酷い場合は本性を失ってしまう。このような事を一般的には失読(読書によって思考の罠にはまり健康を害する)と言っている。
鳳凰堂流は、見解が違います。
これは一つの養生と言う枠組(太極)としては大切ですが、
人は欲があるからこそ現世を伸びやかに生きられると言う事を基本にしていますので、マイナス面ばかりをあげつらい、危険性を声高に述べるのは第1段階。
個人個人の特性(本性、欲)を活かしながら、やり過ぎた時に如何にそれを認識し、制御するかを小さな失敗から学ぶ事が大切だと考えています。
つまり、読書に関しては一見くだらないものからもたくさん学べる人もいれば、
読書自体を好まない人もいますので、
その人の目と思考の疲労度によって判断することが大切です。
ちょっと甘い物が欲しくなった時は、
身体がそろそろ休んでしっかり呼吸してねと言っているサインだと思うのが良いですね。