養生訓 巻第五 五官 鳳凰堂流解釈①


原文を現代文に改変

心は人身の主君なり。故天君と云う。思う事を主どる。耳目口鼻[形は頭身、手足なり]

この五は、聞くと、見ると、嗅ぐと、物言い、物食うと、動くと、各々その事を主どる職分ある故に五官と云う。

心の使いものなり。

心は内にありて五官を主どる。よく思いて五官の是非を正すべし。天君を以て五官を使うは順なり。五官を以て君を使うは逆なり。

心は身の主なれば、安樂ならしめて苦しむべからず。

五官は天君の命受け、各官職をよく勤めて欲しいままなるべからず。

鳳凰堂流意訳

心は身体の君主である。

従って天君とも呼ばれ、思う事を主どる。

耳目口鼻[形は頭身、手足である]

この五つは、聞く、見る、嗅ぐ、しゃべる、食べる、動くと言ったそれぞれの事を主どる職分がある為に五官と呼ばれている。

全て心が使っている。

心は内にあり、五官を主どる。

よく考えて五官の是非を判断しバランスをとるべきである。

天君が五官を使うのは順。
五官が君を使うのは逆。

心は身体の主人なので、安樂にさせ苦しませるべきではない。

五官は天君の命令を受け、各官職をよく勤めて勝手に動いてはいけない。

鳳凰堂流解釈

東洋医学の根幹部分でもある五官。

自分で意識し、この言葉通り使うことは難しいけれども、

自身の身体と心に意識付けをし、

それを主体として人を診る事には大きな意義があります。

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