養生訓 巻六 醫を擇ぶ 鳳凰堂流解釈㉖
原文を現代文に改変
局方發揮出て局方廃る。局方に古方多し。古を考うるに用ゆべし。廃つべからず。
只烏頭、附子等の燥剤を多く載せたるは用ゆべからず。近古日本に醫書大全を用ゆ。
龔廷賢が方書流布して、東垣が書及び醫書大全、その外の諸方をも諸醫用いずして醫術せばくあらくなる。
三因方、袖珍方、醫書大全、醫方選要、醫林集要、醫學正傳、醫學綱目、入門、方考、原理、奇効良方、證治準縄等、その外方書を多く考え用ゆべし。
入門は醫術の大略備われる好書なり。龔廷賢が書のみ偏りに用ゆべからず。龔氏が醫療は明李の風氣衰弱の書宜に頗かないて、その術世に行われしなり。日本にても亦しかり。
しかるべき事は、選んで所々取り用ゆべし。悉くは信ずべからず。その故いかんとなれば、雲林が醫術その見識ひきし。
他人の作れる書をうばいてわが作とし、他醫の治せし療功を奪いてわが攻とす。
不經の書を作りて、人に淫をおしえ、紅鉛など云う穢惡の物を食らう事を人にすすめて良藥とす。
わが醫術を自らてらい自ら褒む。これ皆人の穢行なり。いやしむべし。
鳳凰堂流意訳
局方發揮が出て局方が廃れた。局方には古方が多い。昔からある病について考える時に用い、捨ててはいけない。
ただ烏頭、附子等の燥剤を多く記載している部分は用いてはいけない。少し前の日本で起きた病には医書大全を用いる。
龔廷賢の処方書が流布して、東垣の書や医書大全、その他の諸方を医が用いなければ医術は狭く荒くなる。
三因方、袖珍方、医書大全、医方選要、医林集要、医学正伝、医学綱目、入門、方考、原理、奇効良方、証治準縄等、その他の書を多く考え用いるべきである。
医学入門は医術の大略が備わっている良書である。龔廷賢の書だけに偏って用いてはいけない。龔氏の医療は明代における李の書風氣衰弱の書に良く合致した事でその医術が世の中に知れ渡り使われたもので、日本でも同じ事が起きている。
大事なのは選んで所々採用して用いることである。全てを信じるべきではない。
その理由は雲林の医術、見識が低い事を前提にして例に挙げると良く分かる。
雲林は他人が作った書をうばって自分の作とし、他医が治療した功績を奪って自身の功績としている。
経にない書を作り、人に道に外れた事を教え、紅鉛などという穢れた物を食らう事を人にすすめて良薬としている。
自分の医術に自らスポットを当て自画自賛する。これらは全て人の醜い行動であり、卑しい行為として行わないようにしなければならない。
鳳凰堂流解釈
中国伝統医学、東洋医学は自然の力、人の回復力を主とした治療であり、全体のバランスと部分のバランスを調和させる為の治療でもあります。
東洋思想、東洋哲学の中でもこの考えを外すと道を外れ、症状を治める事だけが主となり、現代医学と変わらなくなります。
生まれてから死ぬまで、自分の身体が回復する力を阻害しないようにすれば自然に治癒していきますが、目先の欲に目が眩むとその場は良くとも後々壊れるのが早くなったり、一見関係ないような部分が壊れたりするのです。
この事にまで視野が及ばない人は下医、愚医として敬遠すべきですが、得てしてそういう人が世の中で用いられやすい為、医に従事する人も医を受ける人もよくよく考えていかなければなりません。
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