(2)医心方 巻二十七 養生篇 谷神第二 鳳凰堂流解釈
次は史記から引用しています。
人は神の働きによって生きている。そして神は形を頼りに動いている。
心神が使われすぎると尽きてしまい、形も働きすぎると疲れる。形と神が離れると死んでしまう。
従って聖人はこの形神という観点を重視しており、
神は生命の本質であり、形は生命の備えであると言える。
つまり先ず神を安定させなければ、自分の天下である身体全体を治めることができるとは言えない。
原文の意訳でも分かりにくいと思いますが、東洋医学では五藏は神が宿るところとされ、
神の中心には心、芯があると考えている為、心のことを心神と呼んでいます。
もう少し分かりやすく解釈すると、
心神(精神とは微妙に違います)の働きが本性であり、本性は身体があるから発揮できるもの。
心神(ここは精神と解釈しても可)が疲労すると、回復にはかなりの時間がかかり、酷ければ耗滅してしまう。
身体という形も使い過ぎると疲労として現れるが、この形(身体)と神(心)が離れてしまうと死ぬ事を意味している。
心が性命の本質であり、身体はそれを活かす為の道具だと言える。
この観点から考えると、先ずは心を安定させる事ができれば身体は1日、1週間、2週間の単位で回復していく。
という風に鳳凰堂は感じています。