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老子道徳経と中医学的身体観㉛
副題 偃武
兵と聖人を題材に書かれていますが、中医学的身体観では陰陽剛柔を脱力(陽)、拙力(局所の筋力だけの力、陰)として考えます。
極力、筋肉(肝)ではなく、脱力した後の骨(腎)の力で対応し、方向を変える時、どうしても必要な時には少し筋肉を用いる。
脈診でも切診(触診)でも、脱力すると自身と相手が一体化し、情報量が飛躍的に増加します。
患者も脱力すると、面診(望診)で奥から浮き出てくる色が見えたりします。
これを力任せにやると、診察者が想定している事が診断となってしまい、信者は改善しても、そうでない人には恨まれる可能性があります。
鳳凰堂流意訳
兵はそれ自体が不幸を呼ぶ器。憎む事がある。
従って、そもそも道を求めるものはそれに関わらない。
君子は陽を見るが、夜は陰を見る。
つまり、通常は日が当たり、お天道さまに恥じない行動をするが、やむを得ない場合は陰で行動する。
兵は君子が持つ器ではなく、不吉な器。
やむを得ず用いた後はきれいに忘れる。
意のままになったとしても、陰を用いたからであり、誇るべきではない。これを誇れば修羅道に堕ちる。
修羅道に堕ちれば、遍く人に認められることはない。
良いことは陽を使い、悪い事には陰を使うが、軍隊では副将が左に座り、大将は右に座る。
つまり戦いは常に葬儀の作法となる。
戦争では大勢の人が死ぬため、その哀悼の意味で、軍では戦いに勝利しても常に葬儀の作法となる。
直訳
それ佳兵(かへい)は不祥の器、物これを悪(にく)むことあり。
故に有道の者は処(お)らず。
君子居(お)ればすなわち左を貴び、兵を用うればすなわち右を貴ぶ。
兵は不祥の器にして、君子の器にあらず。已(や)むを得ずしてこれを用うれば、恬惔を上となす。
勝ちて美とせず。而るにこれを美とする者は、これ人を殺すを楽しむなり。
それ人を殺すを楽しむ者は、すなわちもって志を天下に得べからず。
吉事には左を尚(たっと)び、凶事には右を尚ぶ。
偏(へん)将軍は左に居り、上(じょう)将軍は右に居る。喪礼(そうれい)をもってこれに処るを言う。
人を殺すことの衆(おお)ければ、悲哀をもってこれを泣(な)き、戦い勝ちて喪礼をもってこれに処る。
原文
夫佳兵者不祥之器、物或惡之。故有道者不處。君子居則貴左、用兵則貴右。兵者不祥之器、非君子之器、不得已而用之、恬惔爲上。勝而不美。而美之者、是樂殺人。夫樂殺人者、則不可以得志於天下矣。吉事尚左、凶事尚右。偏將軍居左、上將軍居右。言以喪禮處之。殺人之衆、以悲哀泣之、戰勝以喪禮處之。