087_『すべての雑貨』 / 三品輝起
『雑貨化する社会』
と帯にある通り「雑貨化」という視点は世の中を捉える上では非常に強力なフィルターで、眼に映るモノすべてを雑貨化することを一度始めてしまうと、途端にその眼鏡を外すことが難しくなる。
西荻窪にあるFALLという雑貨屋さんの本。エッセイというよりは論述の集積。
なので、雑貨/エッセイというタグ付けだけを頼りに読み進めると、その内容にすっかり裏切られる。
これはもはや、ボードリヤールに対する現代の回答。そして、その回答が机上の論理としてではなく、小さな雑貨屋のレジの上から実務的に生み出されていることが刮目に値する。
もちろん、その現代/現在は瞬にして過去になってしまうのだけれど。
インターネットの普及、浸透、あるいは支配によって、すべての情報がタグ付けされてしまう時代。このnoteも同様で本文が読まれる前に、そこに埋め込まれたタグ情報が先行するのは通念。
もしかしたら、この先、偶然で良い文章と出会うことは無いのかもしれない。と思うと哀しい。
また、何かを買うという行為にも、先ず用意されるのは検索される言葉で、モノそのものでは決してない。これは完全に消費される記号、すなわちシミュラークル。
新しいものを求めているようで、手に入れたものは決して新しくない。それはただの過去の分解と再生。それでも人は消費することを止めようとしないし、止められないのだから不思議。循環は繰り返し、過去は顧みられない。
この流れに抗うに必要なのは、自分としての確固たる視座。その純度を時間という試練の中でひたすらに高めていくしかない。
あるいは自分だけの言葉を表現として紡いでいくこと。それが言葉である必要はないけれど、何らかの形として残すことが大切。
それにしても良書という形容がふさわしい一冊。
デッドストック品のようなので、読みたい人は、ぜひ一報を。
※20年7月末重版されたようです!
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