数十年、あの人たちは?ー香港のテレビ番組『尋人記』
香港のテレビ番組はほとんど見ません。
広東語があまり分からないのに何言ってんだと言われそうですが、あまり面白くないのが外国人から見てもよく分かります。。。笑
そんな中、香港のテレビ番組の『尋人記』がすごく面白いと勧められたので紹介します。あるエピソードがとても興味深く、色々と考えさせられる内容でした。
動画はこちらのYouTube からhttps://youtu.be/7uAWXAILzbI
時代は1996年、登場するのは障がい者施設で暮らすダウン症の女性、ファンファンです。家族の訪問は年に1,2回という入居者が多い中、ファンファンの姉のユンメイが迎えにきて、毎週末を一緒に過ごします。
ファンファンは10人兄妹の末っ子。10年前(1986年頃)、彼女の両親と兄妹はアメリカに移住の申請をしました。しかし、ファンファンは自身の障がい・持病が理由で、移民の条件である保険をかけることができず、移民ができませんでした。結局ファンファンを一人香港に残し、残りの家族はみんなアメリカに移住。
姉のユンメイは一度アメリカに渡った後、移住を諦め香港に戻ってきます。妹を見捨てることができなかったからです。一緒に過ごす週末は、ユンメイの友達も呼んで、みんなで料理を作ったり、ファンファンと楽しい時間を過ごします。ユンメイはファンファンを一人にすることはできず、移住のために取得したグリーンカードが切れてしまっても、それは仕方ないと答えます。
そして25年後!!2021年。妹のファンファンと姉のユンメイは今何してるのでしょうか?番組スタッフは半年かけて彼らを探し出します。
ユンメイは結局移民せず、香港に住み続けていました。もちろんグリーンカードも期限切れ。当時、アメリカに渡った時に家族会議をし、ファンファンをどうにかアメリカに連れてきて、みんなで一緒にファンファンの世話をしよう、とユンメイは提案したらしいのですが、家族の誰にも賛成してもらず。
じゃあ、自分が香港に戻ろうと決めたそうです。新しい土地で移民として生活していくのは大変なこと、みんな自分のことで精一杯でファンファンの世話なんて出来るわけがない、と家族は反対しました。
当時(1996年)の映像が流れます。ユンメイの友達がインタビューに答えます。
「ユンメイは本当に偉大。ファンファンのために沢山の事を犠牲にしてる」
ユンメイはこう答えました。
「何も犠牲になんかしていない、ただの習慣。一つの習慣になればそれはもう生活の一部、自然なことだから」
そしてまた現在のユンメイへのインタビュー。
教師をしながら、結婚はせず、そんな『習慣』を30年続けたユンメイ、今も後悔はないと言います。
そしてファンファンは、現在も施設での暮らしを続けています。コロナウィルスの昨今、外出できないので、ユンメイは定期的に施設に訪れています。73歳のユンメイ、58歳のファンファン。最後は施設をTVクルーと訪れて、25年前に撮った写真をファンファンに渡して終了しました。
と、こんなあらすじの番組です。
移民、障がいを持つ家族との関わり、もしあの時こうしていれば、、、などなど、色々と考えさせられる内容でした。
日本人の感覚からすると、そもそも海外に移住するというのがあまりピンときませんよね。1980〜90年代の香港は、アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリアなどに移民をする人がとても多く、彼女たちの家族もその一つでした。
他国に移民をする、ということは想像以上に大変なことだったはずです。施設でしっかり面倒を見てもらう方がファンファンにとっても幸せ、と家族も色々と考え抜いた中での決断だったのかもしれません。
ただファンファンは、とても寂しかったんじゃないかなあと個人的に思いました。いきなり家族全員、まして両親までもが遠いところに行ってしまい会えなくなり、そんな中でユンメイだけが会いにきてくれて、暖かく包み込んでくれて。冒頭で二人が腕を組んで歩く姿がとても印象的でした。
この番組では他にも昔取材をした人たちの数十年後を追った様々な香港人の方を紹介しており、非常に興味深いです。また機会があれば紹介したいと思います。