「外側のこと」と適切な距離は? 〜菅総理大臣との親しさについて
菅総理の事実上の辞任を聞いて「あたふた」した…
9月3日(もうずいぶん前な感じがしますが…)菅総理大臣が辞任するというニュースが出ましたね。
正確には、すぐに総理を辞任するわけではなくて、
自民党総裁選挙に立候補しないことを表明した、ということなのですが、
現状のこの国のシステムでは、
自民党の総裁にならない(なれない)=首相になれない、
になっているので、ややこしいですが、
「事実上、総理大臣であり続けることを断念した」と言えるわけです。
そのニュースを知ったのは、
多分、共同通信の速報だったと思います。
LINE上の「友達」にしてもらっているので、
通知が来たんですね。
その日は部屋でぼんやりしておりまして
(コロナの影響で仕事がキャンセルになっちゃったので)
すぐにラジオでNHKをつけたら、
なんかもう大騒ぎになってまして。
で、自分もなんとなく「あたふた」しゃちゃいました。頭が。
「なぜ、今日のこの時点での決断なんだろうか?」
「安倍さんも麻生さんも守ってくれなかったんだなあ」
「二階幹事長を首にしようとしたのはなんだったんだろう。彼の逆襲にあった?」
「最近やつれて見えたし、表情もなかったよなあ」
「次はやっぱり岸田さんなんだろうか?」
「株は上がるのかな? いや、総裁選あったって勝ち目なかったろうから市場は織り込み済み?」
………
なーんて、次々といろんなことが頭をよぎる。
次々とネットニュースを漁る。
でも、
そんなに彼の事実上の辞任で「あたふた」するほど、
僕は彼と近しい関係だったっけ?
菅さんとそんなに親しかったっけ? 唯一の親しみポイント
そう。
実は、まるで近しい関係じゃあない。
政治家じゃないから
「選挙用のポスター印刷し直しだ!」とかバタつかなくていいし、
記者じゃないから
「小泉大臣のコメント取りに行かなきゃ!」とか慌てなくていいし、
熱心な地元の有力支持者とか、衛星放送とか携帯とか関連企業の有力幹部とかでもないから、彼の進退に直接の利害関係は全くない。
ついでに言えば、株とか先物取引とかもしてないので、
市場が動くからどうこう、みたいな関係も、まるでない。
強いて言えば、
菅さんが、秋田出身ってことぐらいかなあ。
菅さんは秋田の湯沢ということろで生まれて、
高校まで秋田にいた、と何かの記事で読んだことがあって。
秋田には、
もう20年くらい前だけど、仕事の関係で何度か滞在したことがあって、
その後も何度か、知り合いに会いに行ったり、観光に行ったりしたので、
東北の中では親しみ深い土地。
菅さんの故郷の湯沢にも行ったことがあって。
(もちろん、その時は菅の「す」の字も意識なかったけど)
4月に行った時に雪が降ってたのも新鮮だったし、
ナマハゲは、もう大人だったけど、かなり怖かったし、
ブリコ(ハタハタの卵)はたまらなくおいしかった。
懐かしいなあ。
ただ、
秋田にはいい思い出があるし、
その繋がりで、菅さんにはほんのりとした親しみを感じたりはするけれど、
やっぱり、
自分は菅さんとまるで近しい関係じゃないので、
こんなに「あたふた」する必要はない。ホントは。
もっというと、彼の事実上の辞任について、
「大喜び」することも、
「嘆き悲しむ」ことも、
「烈火の如く怒る」ことも、ない。
つまり、
振り回される必要は、全く、ない。
でも、なぜ、自分はそうなっちゃったんだろう?
同一化でも無視でもない「大人の」距離を取れる自分に
結局のところ、
「おおごとだ!」という
「大きな声」に
影響されたってことなのだと思う。
ニュース速報が流れて、
テレビは通常の構成を変えてお送りして、
翌日の新聞は大見出しで扱って、
なんかどうも深刻そうな感じがガッツリ醸し出されていて。
そういうのに、
乗せられちゃうんだよなあ。
前々から、
「もういいおっさんなんだから」
「あたふたせずに」
「ふりまわされない」
「落ち着いた人物」になりたいなあ、と思ってたけど、
まだまだ、なれてないですね^^;
でも、それは、
動じない人間になる、ということではないような気もする。
「そんなの気にしないよ」
「大したことないですよ」
「前から予想できてましたよ」
というのも、違う気がする。
起こっていることと自分を同一化してしまって
振り回されるのも違うけど、
完全に無視して、
全く影響がないように振る舞うのも、また、
事実を見てない、つまり振り回されてることのような
気がするので。
だって、
直接の利害関係はなくても、
自分の身の回りの変化はあるはずだから。
だから、
自分の身の回りに寄せて考える力があって、
自分は、自分のできる範囲で、何をどうするか、
について、
考えて、実行する力が、あるといいなあと思う。
それについても、
まだまだ、できてないけど。
でも、
そのために必要なことは、なんとなくわかってきた。
それは、
「自分は何を求めるのか」
「自分はどうなりたいのか」
「自分はどうありたいのか」
「それは、自分の中の何がそう感じているのか」
…そんなことを考えたり、言語化したりすることではないかな
と思う。
少しずつ、でも着実に、
そういう思考や実践を積み重ねていくといいなあ。
そんなことを色々思った、
9月3日のお昼からでした。
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