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養老院とは?

私の父親が長崎から横浜に住む叔父を頼りに上京した際に福祉事業をしている人を紹介されて、当時の養老院に見学した時…

部屋の中に数名の高齢者が背を向けて座っていたそうです。
そんな、背を向けていた入所者を振り向かせたいと入職を決めたそうです。

当時の養老院は、戦争で帰って来ても家族を失ったり、戦死扱いになって実家は弟が後を継いで自分の居場所が無い方などが、日雇い労働者として日本の高度成長期の高速道路や東京タワーなどの建築に携わり、高齢になって仕事を失い、浮浪者(今で言うホームレス)になった人達が収容されていたのが養老院と言う。
実際に、当時の入所者は浮浪者だったので上野、浅草、日比谷公園などで保護されトラックに乗せられ養老院に収容されたとそうです。

当時の養老院の入所者は、寝たりや介護が必要な人は居なく、日本の国の為に戦って、帰る場所も無く。日雇いで日本の高度成長期を支えて働いても歳を取って雇ってもらえず、人間不信になって浮浪者になった人達。
そんな人達が養老院に収容されて、人を信じるはずが無く、職員に対しても不審に思っていたそうです。
もちろん、入所者同士の喧嘩なんて当たり前になっていたらしいですす。

そんな、各々に背を向けて座っていた養老院の入所者と話し合う中で、施設内に自治会を立ち上げ、入所者自身が施設内の生活ルールや活動を作って行ったそうだ。

中でも畑仕事したいと言う意見に率先して手伝ったら、他の入所者から「こうやれ」「ああやれ」と口を出す入所者が増えて、数人だった畑が数十人に増えた事があったそうだ。

収容施設としての養老院は、職員も管理人的な上から目線も有ったのでしょう

入所者一人一人に人生があって、一人一人の思いや経験、考えを知る事で、職員も自分の知らない他人の人生を学ぶことで、人と関わる大切さを学んだそうです。

ちなみに昔の養老院は男性浮浪者の方が入所者としては多く、女性は高齢になって行き場を無くした娼婦などが入所していたそうです。

だから、昭和38年の老人福祉法の施行で、養老院が特別養護老人ホームと養護老人ホームに変わっても長い年月…老人ホームは姥捨山、収容施設、老人ホームに入ったらおしまいと言われた悪いイメージが続いたのです。

今の介護現場との違いは大きく感じますが、一人一人の利用者を知ることで利用者の人生を学ぶことの大切さは今も変わらないと感じる。
だが、利用者情報としては病歴や介護に対する必要性の事ばかり…
何処で生まれて、どんな仕事や家族と過ごしてきたのか?女性利用者なら旧姓など知らない事ばかり…

介護職の愚痴によくある。
あの利用者の介護は大変…
あの利用者はわがまま…
あの家族は…
大抵、介護職は利用者や家族の気持ちなど知らずに自分の関わりだけで愚痴を言う。

本当の介護の面白味をどう伝えて、どう感じてもらうか?
介護の仕事のイメージ転換していかなければ…

#介護 #老人ホーム #養老院 #福祉施設

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