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内向的って悪いことじゃないし、むしろ簡単に幸せになれると気づいてハッピーになった
自分の人とは明らかに違う部分の良さを受け入れたら幸せだなって思ったのと、それによって人と比較なんてしなくていいんだなと気づいたのでそれについて書いていく。
私が他者と明らかに違うところ
それは、1人がいることが苦ではないこと。
人間誰しも1人の時間は必要だと思うんだけど、私は必要とする時間が長い。そして、逆に1人でいる時間が全く苦ではない。人から見たら病的に見えるほど。
そのことに最初に気づいたのは大学の夏休み。大体2ヶ月くらい休みがあって、県外から引っ越して暮らしている子は何か理由がない限り大抵実家に帰る期間がある。私はその頃バイトもしていなかったので時間は有り余っていたのだが、実家に帰りたくなかったのでその時は2ヶ月間家に引き篭もった。
友達もほとんどが実家に帰省しているかバイト三昧でほぼ会うこともなく、筆まめでもないので何かないかぎりメールなどのやり取りもしない。そんな中引き篭もった2ヶ月は毎日が充実しているわけじゃなかったけれど、ほどほどに楽しかった。内容としては漫画やドラマを見たり、ゲームをしたり、絵を描いたり。外に出るのは一週間に1度食料を買いに出るだけで、人と喋るのはレジ対応してくれたお姉さんにありがとうという瞬間だけだった。
他者から見ればおそらくつまらなく感じるであろう生活はとても私にはあっていた。好きなことに集中でき人に気を遣わなくていい、1人なのに暇な時間がほぼない楽しい生活だったと自分では満足し、休みが終わってしまうことに寂しさすら感じていた。
しかし、終わってみていざ大学が始まると「そんなのめっちゃ暇じゃない?」「実家に帰ればよかったのに」「よく2ヶ月も1人で生活できるね、私は無理」と内容に多少違いはあれど、否定的というか変なものを見るような目で見られたのを今でも忘れない。
人と違うことで自分がおかしいのかもしれないと感じた
皆に話してみたら自分が思っていた反応と違っていたので、当時は少し動揺した。自分にはとても楽しかった過ごし方だったのに、他者から見ると全く楽しそうに見えないなんて。私の感覚はおかしいのだろうか。
そう思ったけれど、しばらくしたら他の人は元からの基準が違うんだから理解できないのかも、と考え直した。
実は私は父親が嫌いだ。今まで生きてきた中でも関わり合いたくない人間、不動の第1位。だから実家に帰ることに苦痛を感じていた。今も嫌いなのは変わりないが、大学当時は本当に大っ嫌いで年末年始には「実家に帰りたくない!」と友達に愚痴ってから帰省するのが私の中では普通だった。
でも大抵の友達は親との関係は良好で、私の話をしても理解してもらえなかったから仕方がないことなんだなと思った。納得しようと思ったけれど、しばらく心の折り合いがつかなかった。
内向的で人と話すことが得意でないから感覚がおかしいのかな。他者と比べて劣ってるところが多すぎていいところないから感覚も違うのかもしれない。
なんて自分に自信が全くない時期だったから他人と比較してずっとぐるぐる鬱々考えてた時期もあった。
現在ではどうかというと
もう30代だし、気持ちも落ち着いて他の人と同じ感覚になっ……てない!!
無職最高!大学のときの夏休み再来!!自分の時間の全てを好きに使えるの嬉しさしかない。人と話さなくても相変わらず楽しいし、何もしてない日も暇だと思わない(何もしない日と言うのは漫画や動画三昧をしている)。
以前より声が出なくなることとお金が減ることに焦りは感じるけど、ただそれだけ。元々そんなにお金使わないし、ひと月に生活費以外で1万くらい自由に使えれば不自由を感じない。交際費も月1回使えば多い方だし。この状態が何もしなくても維持されるなら、このままの生活で問題ないと思ってしまうくらいには何もなくて幸せ!
…うん、大学生のときと何も変わってない。好きなものもそんなに変わってないね。ずっと内向的で、家で自分の好きなことに集中して楽しんでいたら満足するから外交的な人みたいにどこそこ遊びに行かないと辛いとかない。
むしろ外に出るとどんどんHPが減っていくから用事が終わったらすぐ帰ってきてゴロゴロしたいし、用事がある日が続くと鬱々してくる。何もしない日(1人で引きこもって好きなことしてる日って意味)が私の中では当たり前。お金使わなくてもある程度満足できるって省エネでいい。
人間ってそんなに変わらないね。
幸せの感じ方は本当に人それぞれなのだと実感した
私は大学時代に周囲に理解されない生活が幸せ。10年以上経っても変わらないならこれからも変わらないと思う。そして、それでいいのだとここ数年でストンと腑に落ちた。
自分が幸せだと思うなら幸せなのだと思うし、わざわざその幸せを否定しないでいい。幸せを他人の基準に合わせなくていいんだ。
元同僚に婚活を頑張っている人がいたが、会社帰りにバンバン人に会って恋人探しをしていて、自分とは真逆の生活だった。自分がその生活をしたら確実に病むし、魅力的に思えなかった。憧れはするけれど、自分にはあっていない。
憧れや理想も自分にあったものではないと目指しても不幸になるだけとわかっていた。これまで社交的でいつもニコニコしていて気配り上手で仕事も捌ける女性的な柔らかい雰囲気の人に憧れた時期もあったけれど、外に出れば出るほど疲れが溜まるし、自分のことで精一杯で人のことを気遣うどころか気遣われるし、NOと言わないことで良いように使われて終わった。
会社に合わなくて解雇されたって私が私であることは変えられない。私の幸せは私だけのもので、同じ空間にいたとしても他者が同じように幸せだとは限らない。意気揚々と飲み会を計画する上司とそれに鬱々参加する私、みたいなこともよくあることだ。もうそれだけわかっていれば良いのではないかと思った。
内向的な私は、自宅に引きこもって漫画や動画を見ていれば幸せだと感じられる。ということは、めちゃくちゃ簡単に幸せを感じられるってことなんだと気付いたら、今まで自分の短所だと思っていたところがチャームポイントに思えてきたから驚きだ。気付きがあったらやっぱり考え方も変わるね。
比較しない=自分の幸せを突き詰める
ならば私は自分は私の幸せを突き詰めたら良いのだと気づいた。それぞれが皆幸せを追求して、会ったときに自分は楽しいよって報告しあえばいい。
『今こういうことをしていて、こういう人に出会って、今度ここに行って楽しむ予定なの。あなたの楽しみは何?』
私自身社会人になってからあまり楽しい生活を送れていなくて、話題を出すことが鬱々したもののことも多かったから、今まではそんな会話をされると自慢か?と思う時もあった。
でも、生活の中に楽しいことがたくさんあれば、人生が上手くいっている人を嫉妬したり鬱々した話題を出さずに楽しい会話になるのだなと気づいた。
私は楽しい会話というのにあまり慣れていないのだけど、こういう話で友達とたくさん盛り上がりたい。皆で楽しい時間を過ごすためにも引きこもり以外の幸せも突き詰めていきたいなと思った。