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【ホツマの論点】 恵比寿と大黒 柱の不思議 <98号 平成30年8月>

 ホツマ二十一アヤは長編。連載中の『わたしのほつまつたゑ』(清藤)は、今回その後半の解釈となります。地鎮祭や棟上祭の原初が明かされます。楼門や鳥居、羅生門の語源や深意が、次々と語られて、息つく間もない驚きの連続となるアヤですが、「大国主」の正体が示される部分には、「あれれ?」と意外に感じた方も多いと思います。馴染みの深い七福神の二大スター、恵比寿と大黒。アカデミズムの通説では、鯛を釣り上げる姿の恵比寿が「唯一の日本古来の神」で、大黒は、ヒンズー教シヴァ神が、大国主命=素戔嗚尊の息子の大己貴命(おおなむち)と習合したものと解釈されています。

 ホツマ伝承を読み解けば、恵比寿は、カシマタチ(国譲り)に際して賢明な判断を示した「ゑみす顔」のクシヒコ=(オホナムチの息子)のことだと判ります。それでは、大国主は父のオホナムチであろうと早合点しそうなものですが、このアヤで、ヲコヌシ(大国主)は、「宮造り則」を定めるなど、国造りに功績のあるクシヒコにニニキネが下賜した尊称であると明かされるのです。しかも、中軸となる「中柱(宮柱)」のことをその名を取って「大国主柱」と名付けたと伝えています。つまり、今に至る「大黒柱」もクシヒコ柱なのです。

 ただ世俗的には、種袋と槌を持ち豊穣をもたらす大国主=大黒さまのお姿は、オホナムチそのものであり、神社の御祭神を検証すると、クシヒコとオホナムチはかなり混同して伝承されています。加えて、記紀では素戔嗚尊の六世とか七世とか記述されるように、大国主がクシミカタマと混同されて伝承されたケースもあります。大物主や事代主が、世襲役職名であることに理解が及ばなかった故の混乱もあるのでしょう。

 ところで、本アヤは、「柱のアヤ」と云っても良いほど、縄文文化における「柱へのこだわり」が満載です。「中ツ柱・スミ(角/隅)柱」の五本柱の深意、柱における「根」への着目など、ホツマの世界観を特徴づける要点が「柱」には秘められています。三内丸山遺跡、出雲大社の古代復元図、諏訪地方の御柱祭、そして伊勢神宮の「心御柱」など、「柱」には天地とつながり、神霊と絆を結ぶ、神聖な役割があります。

 本号には、その「はしら」を考察する論考が結集しました。両神の「トツギ(嫁ぎ=ト継)」は柱巡りから始まります。「はしら」には、「いのち」を生む不思議な力があるようです。

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ヱビスと大黒という日本人大好き神様のお話から、「柱」についてサラリと語った小論ですが、少々詰め込みすぎかも知れません。ヱビスと大黒は、日本の古代史を考える、とくに帰化人のルーツと日本神話への影響力を考察する際に大切な要素です。また、「柱」もそれを語るだけで何十本も章立てが必要になるテーマです。

表紙画像は、山岳信仰の西の聖地・石鎚山の鎖場です。山伏の峰入り道には、このように圧倒的な一本道が多いのですが、やはり、これも「柱」に関係します。アメツチ天地を結ぶ「柱」を登拝し、柱のように聳える滝の流れに禊ぎして、採灯護摩で煙を柱とし、夜は満天の星を眺めつつ「夢の告げ」を待つ。これが、我が国の山岳神道なのです。

とらさんオシのMARiAさん↑の石鎚登拝。随分初々しい頃ですね♡ わたしも同じ峰を登った(6年前ですが)とは、信じられない画像です、はい。

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