ホツマ標(しるべ)~ホツマ読み解きのへそ~⑧ 「ホツマヱト五座六局陰陽暦」 <133号 令和6年6月>
縄文古代から続く60進法暦年/
シナ干支とホツマヱトは巡りが一致する/
ホツマヱトで吉凶が判断出来うるか/
ホツマヱトとシナ干支対照表/
縄文古代から続く六〇進法暦年
今年(2024年)の干支は「きのえタツ/甲辰」。この干支は、シナが古代から伝える六〇進法の暦法です。十干と十二支の組み合わせで成立しています。けれども、漢字で「干支」と書いて「ヱト」と読むのは、日本人がシナ伝来前から暦年を六〇進法の「ヱト」として理解し、呼称していたからです。
ホツマツタヱには、日本古来の暦法が記述されているのですが、それが、六〇進法の「ホツマヱト」です。ホツマヱトでは、「東西中南北」を表す「キツヲサネ」即ち『五座/ゐくら』と「アミヤシナウ」という『六局/むわた』(「六局」という漢字表記は、筆者の造語です)、さらに「ヱト」即ち『陰陽』という三つの要素を掛け合わせて、六〇巡りする循環暦を成立させています。5×6×2=60の六〇進法です。
「ゐくら」「むわた」「ゑと」の組み合わせでつくられているので、筆者は『五座六局陰陽暦/ヰクラムワタヱトコヨミ』と名づけていますが、ホツマ研究者の間では、「キアヱ暦」とか「天鈴暦/アスス暦」とか「ホツマヱト」と呼ばれています。
シナ干支とホツマヱトは巡りが一致する
次々ページに、ホツマヱトとシナ干支の一覧表をあげていますが、ホツマヱトの最初「キアヱ」が、シナ干支の「甲子」となり、順次、組み合わせで巡っていきます。一番目となる「キアヱ/甲子」は、始点ですので、重要な節目となります。ちなみに、全国高校野球の舞台となる「甲子園」は、
【完成するまでの仮名称は「枝川運動場」であったが、完成予定の大正13年(1924年)が十干十二支の最初の組み合わせで縁起の良い甲子年(きのえねとし)だったこともあり、後に「甲子園大運動場(」と命名。<ウィキペディア>】
と「縁起のよい節目」年である故に、命名されたことが知られています。
神武天皇が即位された年はシナ干支で58番目の「辛酉」年です。ホツマヱトでは、やはり58番目の「サナト」年となります。「辛酉年」は、
【辛酉年は天命が改まる年とされ、王朝交代の革命の年で辛酉革命という。日本において、辛酉年に改元する理由は政治的変革の防止が目的であり、三善清行により901年の辛酉年に元号を「延喜」に改めたことから始まった。(略)明治時代になるまで続けられたが、中国では前例がない。<ウィキペディア>】
とありますが、革命の国シナで前例がないのに、万世一系の本朝で「革命」の年と評するのは、笑止千万です。何のことはありません。
「サナト」年は、アマテルが即位した年であり、アマテルがオシホミミに禅譲した年でもあり、縁起のよい年だから、タケヒトが即位年としたのでしょう。
シナ干支の起源は、殷(商)の国の頃からとされていますが、ちょうどその末期がアマテルの時代なので、本朝より伝来された六〇進法暦をシナでも取り入れたものと思われます。故に、その巡りは、一致しています。
ホツマヱトで吉凶が判断出来うるか
四柱推命や、算命学、九星気学や奇門遁甲などの東洋占術は、すべてシナ干支の巡りを基本としてその巡りの善し悪しを吉凶判断に反映させています。
シナの占術では、吉凶判断をシナ流の「陰陽五行説」に基づいて解釈しています。「木火土金水」の「相生」と「相剋」との関係性を六〇干支の読み取りから導いているわけです。
しかしながら、陰陽思想は本朝が淵源であり、シナ流の五行説も「あいうえお/キツヲサネ」という我が国の「五大」哲学/「五座」思想を移植したものである可能性が高いことは、筆者が本誌で繰り返し論述してきたところです。
とすれば、ホツマヱトの巡りにおいても、「五座キツヲサネ」と「六局アミヤシナウ」さらに「陰陽ヱト」の組み合わせから、吉凶を判断することが可能なのかも知れません。
「五座」は、「空風火水土」の五大と「東西中南北」の方位で定まっています。「陰陽ヱト」も「陰陽」「兄弟」「上下」「日月」「天地」「海山」と読み取りが可能です。課題となるのは、ホツマヱトのもうひとつの要素である「六局アミヤシナウ」です。
「アミヤシナウ」についてはホツマ研究者が様々な解釈の説をこれまで出して来られていますが、決定打となるものが未だ定まらない状態といえます。
そこで、こと占術に焦点を当てて、このたび筆者は、「アミヤシナウ」の各要素について、ひとつの仮説を立ててみました(次ページ参照)。即ち、「アミヤシナウ」を「福・寿・克・禄・位・勝」と当てはめてみたのです。「ア/天福」「ミ/身体健全・寿」「ヤ/弥栄・克己」「シ/風恵・財運」「ナ/名誉」「ウ/大いなる・火力」というようなイメージです。
読者の生年月日も、ネット検索やアプリでシナ干支が判明できるので、下の表でホツマヱトに転換することが可能です。その吉凶判断は、如何なものでしょうか。 (さらに探究を続けていきます)
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ホツマ歴については、筆者とらさんにとって大切な研究課題です。「ふとまに」も、「巡り」と「並び」(循環と配置)がその要諦であります。古代シュメールで60進法が使われていたと現代人は認識していますが、実は、「60めぐり」は、本朝でその以前から活用されていたのです。シナ干支は、それを本朝から学び流用したものです。「干支」を「カンシ」と読まずに「ヱト」と読むのは、縄文日本人にとって、「巡り」は「60めぐり」であり、「ヱト」であったからです。
神武天皇ご即位の年を「辛酉年」としたのは、讖緯説に基づく後世の「こじつけ神話」だと現代人は理解しようとしていますが、ハズレです。その年めぐりは、「サナト(58番)」であり、天照大神が即位した年めぐりであり、天照大神がオシホミミに譲位された年めぐりも「サナト」だったのです。
ちなみに、本論考では触れていませんが、58番目が大切だったのは、おそらく(もともとは)19年周期の朔旦冬至に大嘗祭を合わせる為だったのでしょう。(19+19+19=57の翌年)この太陽太陰暦の19年周期は、メトン暦といわれているものですが、本朝起源です。シナの大章法は、日本に学びとったものです。
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お茶目な林先生 ↑ 達者でいらっしゃるかしら。伊豆の古墳群をご案内した日が懐かしいです、、、