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雑学マニアの雑記帳(その13)朝ぼらけ

百人一首でかるた取りをする際には、上の句が読まれるのを聞いて下の句の取り札を取りに行く訳だが、上の句の最初の五文字を聞いても下の句をひとつに絞り込めない句が三組あるという。「朝ぼらけ」「君がため」「わたの原」で始まる句である。これらの言葉で始まる歌は、それぞれ二首ずつあるために、こららの五文字を聞いただけでは、まだ取り札を確定できないのだそうだ。
さて、ここではかるた取りの話をしようというのではない。ここで着目するのは「朝ぼらけ」という言葉の方だ。夜明けを表す言葉であることは分かるが、「ぼらけ」とは何だろうか。語源が容易に推定できない言葉を見ると、妙に気になる。
早速、日本国語大辞典で「朝ぼらけ」を引いてみると、「朝+開(ひら)け+明ける」あるいは「朝+はらけ+あける」(「はらけ」は開けの古い言い方)、「朝+仄(ほの)か+開ける」といった諸説が併記されていた。漢字表記も「朝朗」「曙」「朝開」などこちらも複数あって、明確な語源は明らかではないようだ。
次に大野晋の「古典基礎語辞典」でも確認したが、こちらにも明確な語源は示されていなかった。残念ながら「ぼらけ」の語源追求はここまでになってしまったが、この辞典のおかげで面白いことが判明した。
実は、この「古典基礎語辞典」は非常にユニークな編集方針のもとに編纂されている。全部で千三百ページ余りあるのだが、見出し語は三千二百ほどに過ぎない。普通の辞書でこのページ数ならば、三万語程度の見出しが載っていても不思議ではない。それがこの辞典では、一ページ平均で見出しは二語か三語しかなく、たっぷりと丁寧に解説されているのが特徴なのだ。大野は生前、自分が生きている内にはこの辞典は出さない、死んだらその時にできている分を出版して欲しいと言いながら編纂を進め、実際に没後に初めて出版されたという、作者渾身の力作なのである。
この辞典を見ると、古語では夜明け頃を指し示す言葉がやたらと多いことが判る。さらに、それらの言葉が指し示す時間帯の違いについて丁寧に説明がなされているため、それぞれの表現の違いを明確に知ることができる。時系列で見ると重複している時間帯もあるようだが、凡そ次のような順番で時刻の経過が表現されるということだ。

    夜が開ける前のまだ暗い時間帯
明け暗れ 夜明けが近いがまだ暗い時間帯 男女の別れの場で暗い心理状態
     とともに使われることが多い
彼は誰時 夜が少し明けてきても、まだ暗くて人の顔がよく判別できない頃
しののめ 東の空が白み始める頃
あけぼの ようやくものの色や形が判別できるころ
朝ぼらけ あけぼのよりも少しあと。ほのかに明るくなってきて、物のかた
     ちがようやく判別できる頃

現代の時間で言えば、日の出前の一時間程度の出来事であるのに、これほど事細かに異なる表現が使い分けられていたとは驚きである。同辞典には、その理由も記載されていた。当時の「妻問い婚」においては、男が女の家から自邸に戻る時間帯が重要な関心事であった。当時、女の元に通う男君は、夜が明ける前に(誰が通ってきたのか分かるほど明るくなる前に)帰っていくことがマナーとして絶対に守るべきこととされていた。女の元にはできるだけ長く留まりたい一方で、夜明けは気になるという悩ましい時間帯なのだ。「彼は誰時」はギリギリセーフ、一方「朝ぼらけ」は完全にアウトなのだ。
その後、通い婚の習慣の消滅とともに、これらの言葉は日常使われることは次第になくなり、現在では「夜明け」で事足りている。(暁は当時は夜の区分であったが現代では明るくなり始めた時間帯を指すように変化している。ただし、日常会話で使われることは稀であろう。)
時代とともに、人々の感心のある時間帯は変化している。前述のように平安時代には夜明けが重要であったが、例えば江戸時代には日暮れから夜明けまでは人々の活動は限定的で、細かく時間を区切る意味がなかったのではないだろうか。当然、細かく時間を区切る言葉は不要となった訳だ。
しかし、現在の日本人の生活は深夜でも活発であり、夜中の時間帯については、再び区分を細かくする(といっても平安時代と違って三時間区切りくらいの精度で良さそうだが)必要が生じてきたようだ。例えば天気予報などでは、災害防止のために的確に時間帯を伝えることが必要となる。気象庁のホームページを見ると、天気予報においては次のように時間区分を定義している。

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一方で、「夜更け」「夜半前」「夜半頃」「夜半過ぎ」「夜明け前」といった言葉については、現在では予報としては使わない方針であるとのことだ。曖昧性が残るからだろう。ただ、この表の区分でも夜の九時を過ぎると「夜遅く」であったり、「未明」の時間帯が一般的な受け取り方よりも早い時間帯になっていたりと違和感も残る。誤解される恐れもありそうだ。
表のように三時間毎に区切るというアイディア自体は悪くないが、この区分が一般的に浸透していないのが現状である。特に、テレビのニュースや天気予報では「夜半頃」とか「夜明け前に」といった、気象庁が混乱を避けるために使用していない表現に言い換えられていたりすることもある。曖昧な表現が乱立気味であるとも言える。。
曖昧性がなく、使い勝手の良い時間帯表現の定着に向けて、報道機関や関係省庁が連携して標準的な表現を模索・整理・確立すべき時が来ているのではないだろうか。


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