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知識や情報ではない!?フェリス女学院大のイベントから考える、参加者を満足させられる大学の一般向けイベント

大学の知を社会に発信するイベントや講座を実施する大学は、とても多くあります。文科省の「開かれた大学づくりに関する調査」によると、94.5%(調査対象792大学)もの大学が公開講座を開設しているようで、もうこれはほとんどの大学がやっていると言っていいように思います。今回、見つけたフェリス女学院大学のイベントも、こういった知の社会への発信を目的にした取り組みなのですが、内容が非常に魅力的でした。こういう柔軟な発想の取り組みが増えると、もっと大学に足を運ぶ人が増えるような気がします。

大学の一般向けイベントに参加者が求めているもの

ではどんなイベントなのかというと、「ジェンダーでクラシック音楽を考える」という対談とコンサートの2部構成のイベントです。対談は、大学の一般向けの取り組みとしてちょこちょことあるのですが、そこにプラスしてコンサートを開催するというのは、回転寿司を食べにいったら本格的なスイーツが出てきたぐらいの驚きやお得感があるのではないでしょうか。

ちなみにコンサートのテーマは、「ジェンダーとセクシュアリティからクラシック音楽を聴きなおす」。プレスリリースには「『男性作曲家の影となった女性作曲家』『アメリカ近代作曲家たちとセクシュアリティ』をテーマとして構成された楽曲を披露する」と書かれており、わかるようでわからないところに、さらに興味が刺激されました。

今回のフェリス女学院のイベントを見て思ったのは、結局のところ一般の人が大学に求めているのはこういうものなのではないか、ということです。言い換えれば、このイベントをひもとくと、大学の社会向けイベントを良くするヒントがあるように感じるのです。

欲しいのは知識・情報ではなく、知的な驚きや発見

もったいぶった書き方をしましたが、一般の人が大学のイベント・講座に求めているものは、トドのつまり、知的な驚きや発見、だと思うんですね。こう書くと、いやそうでしょうよ……とツッコミが入りそうです。でもそうはいっても、実際に企画するときって、知識や情報を伝えることに強く意識がいってしまいがちです。ですが、これってアプローチの一つでしかなく、知的な驚きや発見を伝えるためには、もっといろいろなやり方があるし、見方を変えるなら、参加者が“真に”求めているものは、知識や情報ではない、と言えるのかもしれません。

こんなことを書くと、「いやいや私は心理学を知りたいんだよ」とか、「ぼくは生命科学に興味があるんや!」みたいな意見も出てくると思います。でもそれって、分解していくと、その分野に対しての興味や知識があることによって、その分野の話を聞くとより効率的(?)に、知的な驚きや発見をすくいとることができる。だから、他分野よりその分野のイベント・講座に積極的に参加したいんだ、とも解釈できます。もちろん、仕事で使うから嫌々ながら受講していますとか、そういう人もいるでしょう。でも、生涯学習にしぼるなら、結局は知識・情報を知ることで得られる興奮や満足感みたいなものが、参加する根源の動機なのだと思います。

大学のイベントは、たぶんきっともっと自由になれる

で、何を書きたかったのかというと、今回のフェリス女学院大の取り組みは、前半こそ対談ですが、後半はコンサートです。コンサートは、知識・情報を直接的に伝えるものではないものの、おそらく知的な驚きや発見を得られる催しになっていそうなんですね。もしそうなっているのなら、”大学らしいイベント”というのは、講座や講義、シンポジウムみたいなものだけでなく、実はもっと自由な視点・発想でつくれるのかもしれないと思いました。

学術・研究機関である大学が、裏付けのある正しい情報を伝えるのではなく、“よくわからんけど、なんか知的で驚きや発見がありそう!”という企画を社会に出すことに、抵抗感や怖さがあるようにも思います。でも、そもそも学問って、なんかわからんけど面白いものなわけで、それはそれでいいんじゃないかと思うんですよね。参加者も(意識はしていないかもしれないけど)、実はそれを求めている可能性が高いようにも思います。そして、こういったイベントを考えるうえで、あえてレクチャー形式から距離を置いてみるというのは、企画の出だしとしてけっこうありなように思うんですが、どうでしょう?そういうイベントが増えることを、個人的にはすごく期待をしています!

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