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変化の過渡期だからこそ考えたい。フェリス女学院大が取り組む、学生の発表で問いかける”我々とは何か?”

歯止めのきかない少子化、コロナ禍を経ての学びや学生意識の変化、にわかに高まっている学び直しへのニーズなどなど。大学の置かれた状況が刻々と変わってきているのは、大学関係者でなくても、なんとなく感じている人は多いように思います。今回、見つけたフェリス女学院大学の取り組みは、こういった変化の過渡期だからこそ、より大事になる取り組みだと感じました。大学はどうあるべきかを考えるのは、大学のマネジメント層だけでは十分じゃないんです。

学生たちが考察した「女子大の意義」を社会に発表

ではどんな取り組みなのかというと、学生たちが「私たちが考える女子大の役割」について、広く一般に向けて公開プレゼンテーションするというものになります。これは「プロジェクト演習」という授業を通じ、学生たちが女子大学の学長をインタビューしたり、首都圏の女子大生にアンケートを行ったりして「女子大の意義」を考察したので、その成果を発表することを趣旨としたイベントです。

さらっと書くと、ふーん、こういう授業もあるのかと思ってしまいますが、よくよく考えると、けっこうユニークです。まずテーマが「フェリス女学院大の意義」ではなく、「女子大の意義」なんですよね。私立大学を中心に、一部の大学には「自校教育」というものがあって、自大学の歴史や理念を学び、自大学の学生であることに誇りをもってもらおうという取り組みがあります。でも、今回の取り組みは、そうではなく「女子大の意義」という、より広いテーマ設定になっています。

自大学であれば、建学の理念や、それを裏付ける取り組みや改革、実証する卒業生なんかを調べていくと、わりかし意義っぽいものを伝えられるように思います。良くも悪くも、やるべきことが、けっこう想像つきやすいわけです。でも、女子大という一般名詞になると、大学の理念や実績と切り離して考えないといけません。さらには、偏差値40の女子大もあれば、偏差値60の女子大もあるうえ、首都圏にある女子大もあれば、地方にある女子大もある。学べる内容だって、多少は傾向があるものの、基本的にはバラバラです。つまり、一気にとらえどころがなくなっていくわけです。このとらえどころのないものをとらえていくからこそ、どこにでもあるような答えではなく、自分たちなりに考えて、自分たちなりの答えにたどり着く必要が出てくる。そこに説得力や深みがでてくるように思いました。

学生たちの発表を通じて”我々とは?”を考える

もう一つ、面白いのは、この成果を学外に向けてプレゼンテーションすることです。大学の研究者たちによる公開講座やシンポジウムと比べると、学生たちによる公開プレゼンテーションは、はっきりいって引きは弱いと思います。でも、そこは問題じゃないと思うんですよね。学外に伝えることの一番の意義は、社会に伝える、という行為を通して、内部に伝えることだと思うのです。よく大学の新聞広告や交通広告を一番しっかり見ているのは、学内関係者だと言われます。これもそれと同じで、学外に「女子大の意義」を伝えることで、学内に伝える、もしくは再確認してもらうことが狙いのように感じました。

トップダウンで「女子大の意義」を学内に発信することも大事ですが、どうしてもそれだと「結局は生き残りたいから言っているんでしょ?」という冷めた視点を向けられがちです。でもそうではなく、学生がしっかりと調査したうえで発信しているうえ、自大学ではなく、女子大全体の意義について語っているとなれば、内容に公共性もあり、学生という当事者たちの声でもあるので、耳を傾けようという人も増えるだろうし、内容にも説得力が出てきます。また、学生たちにとっても「女子大の意義」を考え伝えることは、自分たちがいる環境や、女子大生ある自分たちを理解、確認することにつながります。

このnoteを書いている途中、女子大に在籍している学生たちが、フラットな視点で「女子大の意義」を考えることができるのだろうか?無意識のうちに結論ありきになるのではないか?という疑問が湧きました。でも、そこに注意は必要かもしれませんが、大きな問題ではないのかなと思い直しました。この取り組みの本質は、学生を含めたフェリス女学院大の関係者が、“我々とは何者なのか、どうありたいのか”に向き合うことにあると思います。そうであれば、そこに何かしらのバイアスがあったとしても、それも含めて“我々”なはずです。無理に中立的な視点に立とうとすると、かえってピントのずれた、いわば伝わらないし、指針にならない内容になりそうです。

今回は「女子大の意義」でしたが、大学が大きく変わろうとしている(変わらざるえない)、いま、「大学の意義」を考えるということを、どの大学もより意識的にしていかなければいけません。そのための方法として、フェリス女学院大の取り組みは参考になるのではないでしょうか。社会、国、大学経営者層といった“外”や“上”からの意見は、(言い方は悪いですが)ほうっておいても入ってきます。であれば、丁寧にすくい上げるべきは、学生をはじめとした、当事者たちの声なのかなと思うのです。

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