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考察せずに、感想だけでもいいですか?~アニメ初心者、今更『まど☆マギ』を見る~

SNSやyoutubeでは、感想はもはや考察でなくてはならない

まどマギに取り憑かれて

私は、アニメや漫画に疎い人生を送ってきた。言うなればアニメ初心者の私なのだが、実はと言うと、今年4月初旬から長らく『魔法少女まどか☆マギカ』(通称、まど☆マギ)に取り憑かれている。

このアニメ、実は2011年に放送されたなかなか古いアニメらしい。ただ、いまだに続編やスマホゲームが制作されるくらいにファンの多い作品でもある。なんなら先日まで大阪のど真ん中、梅田で作品展まで開催されていたそだ。

当初は知人のススメに対して「女の子がかわいいだけのアニメでしょ」と高をくくっていた。
いやいや、めっちゃ面白い。この一か月で、映画版も、続編の『マギア・レコード』もすべて視聴してしまった。どうやら新作の映画版も制作中らしいので、数年に1度しか行かない映画館にも足を運ぶと思われる。

感想はSNSにはそぐわない?

こんなにもハマっていると、私もSNSを通じてまど☆マギの感想を投稿したくなってくる。一方で、10年の歴史を誇るまど☆マギには、驚ぐほどの数のファンがいた。たとえば、twitterのフォロワーは28.7万人。ネットを歩けば、すでにまど☆マギを考察したブログや動画が山のようにアップされている。

さて、それらブログや動画に対しては、「こんな見方があったんですね!」「まさかそこが伏線になっていたとは・・・すごい」といったコメントが寄せられていた。

ただ私が気になったのは、否定、いや罵倒に近いコメントについてである。

「お前の見方は浅い」「そこが伏線とか、本編見直せよバカ」そして何よりも、「こんな考察、感想でしかない」といった文言が私のスマホを打つ手を止めた。

感想の考察化

私はこれまで作品に対するファンコミュニティというものとは無縁で生きていた。だからこそ、まさかそこに「気軽に感想が言えない」空気感が存在していることを知らずに生きてきた。つまり、もはや感想は考察でなくてはならないのだ。

改めてSNSやyoutubeを見渡してみると、この「感想の考察化」はまどマギ以外の場所でも起こっている。たとえば、ミュージシャンのMVもそうだ。なんなら有名人のインタビューにだって、SNSやyoutubeではいつの間にか考察が寄せられている。そして、顔の見えない誰かが、また別の誰かを罵倒する。

考察せずに感想だけでもいいですか?

私は今、そうした考察化した感想に触れ「俺みたいな初心者がまど☆マギの感想なんて怖くて言えない」と二の足を踏んでいるのだ。

ただ私がSNSで投稿したかったのは、ファンたちが罵り合う根源となりうる考察ではないはずである。アニメ初心者だった私がここまで取り憑かれているのだ。だからこそ、「まどマギ、めっちゃ面白い!好き!」というシンプルな感想を言いたかっただけなのである。

もちろん考察と言う作業は楽しいだろうし、長年のファンだからこそ私のような初心者の感想など想像の範疇を超えるなんてことないということも理解できる。ただ私はまだ、まど☆マギと出会って1か月程度なのだ。だからこそ、ぜひお許しを乞いたい。

どうか古参のまどマギファンの皆様方、考察せずに感想だけでもいいですか?

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よくよく考えれば、この記事だって、そうした「感想の考察化」を考察しているのかもしれないなぁと思っています。

※ヘッダー写真引用元 『劇場版魔法少女まどか☆マギカ』公式HP


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