お気持ち表明文
この文章はあくまで個人の感想だ。特定の誰かを馬鹿にしたり、さげすんだり、あるいは何か行動を改めてほしいと思っているわけではない。
もしかしたら読む人は不快に思うかもしれない。けれども、どうしてももやもやしたものを抑えきれないのでこうしてキーボードを叩いている。
もやもやの原因はいわゆる「お気持ち表明」というものについてだ。博学なる読者諸君はご存知であろう。最近(といってももう少し前の話になるけれども)流行っている記事の形式だ。
それはだいたいこんな感じの導入から始まる。
この文章はあくまで個人の感想だ。特定の誰かを馬鹿にしたり、さげすんだり、あるいは何か行動を改めてほしいと思っているわけではない。
もしかしたら読む人は不快に思うかもしれない。けれども、どうしてももやもやしたものを抑えきれないのでこうしてキーボードを叩いている。
そのあとには書き手の個人的な体験や、最近読んだ物語についての感想が続く。ここでは具体的な例は挙げないでおこう。角が立つといけないから。ただ、その体験から書き手は何かしらネガティブな感想を抱くのが定型になっていることは覚えておいてほしい。
これが「お気持ち」の「お気持ち」たる由縁だ。文章全体はただの感想に過ぎない。けれども、強く、くどくどと、長々と書かれた文章は読み手に対して「その気持ちに賛成しろ」あるいは「賛成して行動をおこせ」と訴えかけてくる。「さもなくばお前は公共の敵だ」と
読んでいると、なるほどもっともだと思ってしまうようなものも多い。考えてみればそれは当然なのだ。その文章の中では書き手がストーリーを作っているのだから。いくらでも正論は作れる。
でも、ぼくかぁやだね。そんなやり方はそういった文章と言うのは結局「これは感想であり、感想を述べるけんりを阻害するものは悪だ」という価値観を盾に
「破ぁ!!」
突然叫び声が聞こえたと思うと、画面が白く光った。思わず目をつむる。
「危ないところだったな」
振り返るとTさんがいた。バイト先の先輩で実家がお寺だと聞いたことがある。
「Tさん!? どうしてここに」
「そんなことより、見て見ろ」
Tさんが画面を指差す。そこにはこそこそと逃げていくちいさな生き物がいた。たことネズミと虫の交じり合ったような生き物だった。
画面に映し出されていた文章に目を通す。私が書いたものだろうか? 私は確かにこのように考えていた気がする。けれども同じくらい何かに書かされていたような気もする。
「これは、一体?」
「いんたーねっとの悪意みたいなものさ。悪意をのぞきこめば、悪意に見返されるものだからな」
そう言ってTさんはニヤリと笑った。寺生まれってスゴイ、改めてそう思った。